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刺繍糸と銀のブローチ。
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アニス=カテドラルとフィリックス=グラントの婚姻が正式に決まった。
夏を前にして魔物の活動が活発になり、黒獅子騎士団の遠征も増えるため、今のところ式をあげる時期は未定である。
だが、なるべく早くアニスを迎え入れたいとのフィリックスの強い要望により、次の月にはグラント家に嫁ぐ事になっていた。
「アニス様、次はこちらを」
「は、はい」
次々と出されるドレスを試着し、アニスは目の回るような忙しさだった。
「首飾りは、そうね……。青い石の方がいいかしら」
母親も出入りの宝石商に持ってこさせた宝飾品を吟味している。
今、カテドラル伯爵家はアニスのお嫁入りの準備で大忙しなのであった。
名門カテドラル伯爵家の長女が嫁ぐというのに、輿入れに必要な物を持たせてやる事も出来なかったとなれば、後々までひっそりと、だが確実に嘲りを含んで語られるのは目に見えていたからである。
「アニス、ちょっとこちらに」
「は、はい、お母様」
アニスの顔の近くに、侍女がおおぶりのサファイアをあしらった首飾りをあてる。
「やはり、青い方がいいようね。こちらを一揃えお願いするわ」
「かしこまりました」
「それと、上質な真珠のものを一揃えと、あとはそうね、エメラルドも見せてくださる?」
宝石商に平然と告げる母親に、アニスは慌てて首を振った。
「今、持っているもので十分です」
「何を言っているの」
アニスの言葉に、母親が呆れたようにため息をつく。
位の高い貴族の娘が嫁ぐ場合、普段着用のドレスからパーティー用のドレス、冬物の外套や帽子、宝飾品に至るまで一から仕立てるのが通例である。
今回はあまりに時間がなく既製品になってしまったが、せめて上質な物を揃えなければいけない。
「あなたの持ち物が下世話な噂の的になれば、キャロラインの縁談にも響くのよ」
「は、はい。分かりました」
夕食後、自室に戻ったアニスは自分の持ち物を整理し始めた。
これからは騎士団長の妻になるため、それにふさわしくあらねばならない。
娘時代の物で持っていける物は少なく、特に気に入っている物だけを仕分けしておく。
明朝、侍女達が荷造りしてくれるだろう。
泉の回りに妖精が集う絵が描かれた箱の中には、美しい絹と色とりどりの刺繍糸。
それと、刺しかけの刺繍が入っている。
アニスはそれを大事そうに、荷物の一番上に置いた。
「お姉様、よろしいかしら?」
扉の向こうから、キャロラインの声がした。
「どうぞ」
キャロラインが部屋に入ってくると、一気に空気が変わる。
彼女のブロンドの髪が燭台の灯りに照らされ、美しく輝く。
薔薇色の頬がなおさら明るく見える。
つい先程までアニスの気に入っていた物が、色褪せていくようにさえ思えた。
「お姉様に結婚のお祝いをお渡ししたくて」
そう言って微笑む様子は、姉であるアニスから見てもひどく愛らしい。
キャロラインは、小さなビロード貼りの箱を差し出した。
中に入っていたのは、くすんだ銀の台座に繊細な彫刻が施されたブローチであった。
小さな可愛らしい花には紫水晶があしらわれている。
「これ、お爺様にいただいたのだけれど、地味だから私には似合わないの」
にっこりとキャロラインが笑う。
「お姉様のような方には、きっとお似合いになると思って」
キャロラインに、悪意はひと欠片もない。
ただ、誰からも愛されて当然として育った娘の幼い無邪気な残酷さがあるだけだ。
「……ありがとう、嬉しいわ」
「喜んでいただけて嬉しい! じゃあ、おやすみなさい、お姉様」
キャロラインが部屋を出たあとも、アニスはしばらくブローチを眺めていた。
そして、ビロード貼りの箱を荷物の一番端に置いた。
夏を前にして魔物の活動が活発になり、黒獅子騎士団の遠征も増えるため、今のところ式をあげる時期は未定である。
だが、なるべく早くアニスを迎え入れたいとのフィリックスの強い要望により、次の月にはグラント家に嫁ぐ事になっていた。
「アニス様、次はこちらを」
「は、はい」
次々と出されるドレスを試着し、アニスは目の回るような忙しさだった。
「首飾りは、そうね……。青い石の方がいいかしら」
母親も出入りの宝石商に持ってこさせた宝飾品を吟味している。
今、カテドラル伯爵家はアニスのお嫁入りの準備で大忙しなのであった。
名門カテドラル伯爵家の長女が嫁ぐというのに、輿入れに必要な物を持たせてやる事も出来なかったとなれば、後々までひっそりと、だが確実に嘲りを含んで語られるのは目に見えていたからである。
「アニス、ちょっとこちらに」
「は、はい、お母様」
アニスの顔の近くに、侍女がおおぶりのサファイアをあしらった首飾りをあてる。
「やはり、青い方がいいようね。こちらを一揃えお願いするわ」
「かしこまりました」
「それと、上質な真珠のものを一揃えと、あとはそうね、エメラルドも見せてくださる?」
宝石商に平然と告げる母親に、アニスは慌てて首を振った。
「今、持っているもので十分です」
「何を言っているの」
アニスの言葉に、母親が呆れたようにため息をつく。
位の高い貴族の娘が嫁ぐ場合、普段着用のドレスからパーティー用のドレス、冬物の外套や帽子、宝飾品に至るまで一から仕立てるのが通例である。
今回はあまりに時間がなく既製品になってしまったが、せめて上質な物を揃えなければいけない。
「あなたの持ち物が下世話な噂の的になれば、キャロラインの縁談にも響くのよ」
「は、はい。分かりました」
夕食後、自室に戻ったアニスは自分の持ち物を整理し始めた。
これからは騎士団長の妻になるため、それにふさわしくあらねばならない。
娘時代の物で持っていける物は少なく、特に気に入っている物だけを仕分けしておく。
明朝、侍女達が荷造りしてくれるだろう。
泉の回りに妖精が集う絵が描かれた箱の中には、美しい絹と色とりどりの刺繍糸。
それと、刺しかけの刺繍が入っている。
アニスはそれを大事そうに、荷物の一番上に置いた。
「お姉様、よろしいかしら?」
扉の向こうから、キャロラインの声がした。
「どうぞ」
キャロラインが部屋に入ってくると、一気に空気が変わる。
彼女のブロンドの髪が燭台の灯りに照らされ、美しく輝く。
薔薇色の頬がなおさら明るく見える。
つい先程までアニスの気に入っていた物が、色褪せていくようにさえ思えた。
「お姉様に結婚のお祝いをお渡ししたくて」
そう言って微笑む様子は、姉であるアニスから見てもひどく愛らしい。
キャロラインは、小さなビロード貼りの箱を差し出した。
中に入っていたのは、くすんだ銀の台座に繊細な彫刻が施されたブローチであった。
小さな可愛らしい花には紫水晶があしらわれている。
「これ、お爺様にいただいたのだけれど、地味だから私には似合わないの」
にっこりとキャロラインが笑う。
「お姉様のような方には、きっとお似合いになると思って」
キャロラインに、悪意はひと欠片もない。
ただ、誰からも愛されて当然として育った娘の幼い無邪気な残酷さがあるだけだ。
「……ありがとう、嬉しいわ」
「喜んでいただけて嬉しい! じゃあ、おやすみなさい、お姉様」
キャロラインが部屋を出たあとも、アニスはしばらくブローチを眺めていた。
そして、ビロード貼りの箱を荷物の一番端に置いた。
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