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桃青

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3.

アンナとカイル

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 そしてついに。旅立つ日がやってきた。
 レター一家はアンナを見送るために玄関の外に出て、アンナに付き従う従者が彼女を馬車で迎えに来るのを、みんな揃って首を長くして待っていた。その間に弟のルイは、無邪気にアンナに話し掛けた。
「姉ちゃん、向こうに着いたら何かハリスのお土産を俺に送って。」
「分かったわ、ルイ。約束する。」
 アンナがそう答えたその時、セナがぼそっと呟いた。
「どうやら馬車が来たみたいだ。」
 確かに道の先では、早朝の静かな道にガッシャガッシャという派手な音が響き渡り、黒い何かが姿を現し始め、その正体である馬車はレター家の目の前までやって来て、ピタリと動きを止めた。そして馬車からは若い青年が降りてきて、家族に向かってペコリとお辞儀をすると言った。
「どうも初めまして。僕が従者のカイル・マナーです。」
 その言葉にみんなで深々とお辞儀をして返すと、アンナはくるりと身を翻して言った。
「それじゃ、私は行くから。」
 そしてカイルに手を取られて馬車に乗り込むと、笑みを浮かべて小さく彼らに向かって手を振った。
「お金持ちを、お金持ちを見つけるんですよ、アンナ!」
「元気でな!気をつけてな!」
「おみやげを忘れるなよ!」
 そうやって家族が口々に叫ぶのに、アンナはいちいち頷いてみせた。そしてカイルは頃合を見計らって御者に指示を出し、馬車はついにゆっくりと動き始めた。それから馬車はどんどん加速し、アンナは振り返って家族の姿が小さくなっていく有り様を、しばらく見つめていたのだった。
 … … …
 改まって、アンナの隣に収まっている従者だと名乗る男性は、彼女に話し掛けた。
「あなたがアンナ・レターですよね?」
「はい。」
 そう返事して、初めてアンナはこれから行動を共にする従者の姿をまじまじと見た。すると驚くことに、その人は一見、なかなか素敵に見えるいい感じの若者だった。澄み渡りながらきらりと輝く瞳、スッとした顔立ち、すっきりとした体形に、懐が深そうな風情…。
 その事実に気付いた時、アンナの胸は少しだけドキリとした。一方その男性は淡々と話を続けて、アンナに向かって手を差し出した。
「どうぞよろしく。もう一度言いますが、僕の名はカイル・マナーというので、これからはカイルって呼んで下さればいいですよ。」
 アンナは笑みを湛えているカイルの手を、そっと握ると言った。
「じゃあ私は…、アンナ、って呼んで下さい。」
「分かりました、アンナ。」
 そうやって自己紹介を終えると、しばらく2人の会話は途絶えたが、アンナの胸の内では沸々と次第に興奮が沸き起こり、まるで独り言のように喋り出した。
「やった。ついにやったわ。」
「―何が?」
「実は私、ずっと密かに都会での生活に憧れていたの。田舎のセレナなんかで一生を終わらせたくないと、心の何処かで思っていたし…。
 でもこれで無事脱出成功。いよいよ首都ハリスでの日々が始まるんだわ。」
「まぁ、都会っていうのは、僕から言わせてもらえば、人が多くて、ゴミゴミしていて、色々な欲望があちこちでぐるぐると渦巻いているだけだと思うけれどね。」
「あら、充分に面白そうじゃない?」
 ツンと澄ましてカイルにそう答えるアンナだった。

 そして駅に辿り着いた2人は、そこから列車に乗り換え、さらに首都ハリスを目指した。乗るべき列車を見出し、そのボックス席に腰を落ち着けたアンナは、しばし窓の外を見て、いつしか走り始めた列車の動く景色に夢中になっていたが、同じく大人しく流れていく風景を眺めているカイルに何となく興味が引かれて、彼に話し掛けた。
「あの、カイルは、ずっとこの仕事をやっているの?」
「―そうだな、ずっとというか、今までやってきた仕事の中で僕が一番長くやっている仕事だね。従者になってからもう、5、6年は経つかな。」
「そんなに。」
「旅好きが高じて、この仕事に就くことに決めたんだ。色々な人に付き従って、今まで色々な場所へ行ってきたよ。」
「いいなあ、凄く面白そう。じゃあ、例えばどんな場所へ行ってきたの?」
「う~ん、これから行くハリスにはもう何度も行ったことがあるけれど、それから…」
 そんなことを話しつつ、2人は自然にその関係を深めていったのだった。そうしている内に列車はいつしか目的地のハリスへと辿り着いていた。そしてカイルに導かれて駅に降り立ったアンナは、目をキラキラと輝かせて言った。
「ここがハリス。いよいよ着いたのね!」
 カイルはアンナの荷物を肩に担いで、しばらくメルの住所と地図に目を落としていたが、すっかりときめいている様子のアンナに対して、冷静に話し掛けた。
「あのさ、メルの家はこの駅からそう遠くない所にあるけれど、もし良かったら歩いていこうか。そうすればハリスの町を、少しは観光できるよ。」
「ええ、ぜひ!」
 そうやって意見の一致を見せた2人は人混みに揉まれながら、駅の改札口に向かったのだった。
 
 それから駅を出て街中を歩き始めると、アンナはしばし喋るのも忘れて、ただただハリスの光景に圧倒されていた。ひしめく建物、道路を行き交う沢山の馬車、道に広がっている巨大な市場、それに群がる人、人、人、人…。
 アンナは半ば呆れたように、田舎者丸出しで言った。
「凄すぎる。セレナとは何もかも違うわ。ハリスって、全てが驚くほど大がかりなのね。」
 そんなアンナにカイルは淡々と答えた。
「まあね。確かにここは、国中の全てのものが集まってくる所だから、何でも大仰になる。」
 そして彼らはふと大通りを折れ、喧騒から離れた落ち着いた雰囲気の住宅街に入っていくと、こじんまりとしたある一軒家の前で足を止め、カイルは表札を確認してから言った。
「うん、ここだ。間違いない。」
 アンナも首を伸ばして表札に目をやると、確かにそこには『メル・レター』と書いてあった。そしてカイルが玄関のベルをそっと鳴らすと、しばしの間があって―。
 扉が開いてある女性が姿を現した。
 それと同時にアンナは、彼女こそメル・レターであると確信したのだった。

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