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皇帝、自称祖父とは相いれないと知る
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「陛下」
ハロルドが近づくと、教皇ポラリスの側で花のような微笑みを浮かべていたリリアーナ嬢が、淑やかな礼をした。
大きな瞳はきらきらと輝き、上品な色合いの唇には可憐な笑み。
さながら、絵本か絵画から飛び出してきた姫君のようだった。美貌の教皇に傅く様は、天使のようだと表現されてもおかしくはない。
誰もが彼女を美しいと形容するだろう。その事は否定しない。
しかしハロルドは、襞の多い外出用ドレスを摘まみ、優雅なカテーシーを披露する彼女には一瞥もくれなかった。
「なかなか正式なご挨拶ができずに申し訳ございません。ハーデス公爵が孫、リリアーナと申します」
「おや、初対面なの? てっきり戦場にまで同行を許すほど親しい間柄なんだと思っていたよ」
「まあ猊下」
リリアーナがうふふと微笑んだ。
「親しいだなんて、そんな……それに初対面ではございませんわ。正式な場でご挨拶をする機会に恵まれませんでした、それだけです」
ハロルド以外の男性陣も華やかな礼装を身にまとっているが、それでも軍服だ。ふわりとした巻き髪に化粧、爪先を繊細な模様に染め、高位貴族の未婚女性用のドレスを優雅に着こなし……まるでそこがちょっとした外出先であるかのような淑女の装いには違和感しかない。
「……陛下?」
計算されているのだろう角度で首を傾げるリリアーナには目もくれず、ハロルドは侍従の代わりに椅子を引くネメシスに促され着席した。
マントを踏まないようにふわりと浮かせてから腰を下ろし、ゆっくりと脚を組む。
客人を迎えるには尊大すぎるその態度に、神殿騎士たちが不快そうな表情するが構わない。
先ぶれの手紙もなくこんなところにまで押しかけてくるのだから、最初に礼儀に反したのはそちらのほうだ。
にこにこと、やわらかな表情でリリアーナ嬢を見ていた教皇も表情を改めて、太腿の上で組んでいた指を解いた。
「失礼いたします」
設えられたテーブルにティーセットを置くのはネメシスだ。茶器は古くから、形だけでも友好的な会談だと言わしめるために必要な小道具だった。
「わたくしがお淹れしますわ」
「いえ」
優雅な仕草で腕を動かし、そのままティーポットに手を伸ばそうとしたリリアーナを、ネメシスがやんわりと制す。
「ロバート・ハーデス将軍、姪御さんを下がらせてください」
「えっ」
にこりと、表面上は穏やかだが有無を言わせぬその表情に、リリアーナは戸惑ったように声を上げた。
「そもそも、陛下に本陣から立ち去るよう命じられていたのでは?」
「そ、それは」
「リリアーナ」
ロバート・ハーデスが数歩の距離を大股に詰めて、助けを求めるように左右を見ている姪の元へ駆け寄った。
「叔父さま……!」
「お前どうしてこんなところにいるんだ!」
「公に命じられて補給物資を届けにいらしたようですよ。自衛もできないお嬢さんにウロウロされても困りますので、帝都に戻るようにと命じられていたはずなのですが」
ネメシスは慣れた手つきで茶葉をポットに入れて湯を足し、厚めのティーコジーをその上にかぶせながら言った。
「目と鼻の先なのですから、戻ろうと思えばいつでも戻れたはずです。どうして陛下の御命令に背くようなことを?」
穏やかな、まるで世間話でもしているかのような口調だが、騙されてはいけない。そもそも世間話をするような場ではないし、この男の本意はそんな生ぬるいものではないだろう。
「ハーデス公も何をお考えなのでしょう。末の娘さんが陛下の妃として格別のご寵愛を得ておられるのに……更なる権勢をお望みなのでしょうか?」
「そ、そんなことはありません。リリアーナ、こちらへ来い」
さあっと顔色を悪くした将軍に腕を引かれたが、リリアーナ嬢は大きな目を潤ませ泣き出しそうな顔で叔父を怯ませた。
筋骨たくましい竜騎士と、荒事とは無縁な若い女性との組み合わせは、傍目にも片方を非難したくなる絵面だ。
「わ、わたくしはただ猊下にご挨拶をしなければと……先日の祭事のお礼を申し上げるために」
「そもそも補給物資はゲオルグが届けるはずだっただろう!」
「お兄さまは体調が悪くて臥せっておいでです」
「おや、昨夜お会いした時にはお元気そうに見えましたが」
リリアーナの兄と言えば、たしか元老院に文官として出仕していたのではなかったか? 妹ほど目だった存在ではないが、なかなかの俊才だと聞いた覚えがある。
「こんな時ですから、お身内にももっと自重した行動を取らせるよう公にお伝えください」
「申し訳ない」
青竜将軍は潔く頭を下げて謝罪した。
彼自身は裏表を感じさせない騎士らしい男なのだが、涙目になって首を振っているリリアーナ嬢の方はどうもいただけない。
「違います、そんなつもりではありません。わたくしはただ……」
ハロルドは、縋るように見つめられているのは気づいていたが、リリアーナのほうには視線すら向けなかった。
「そうですわ、お茶を……」
「ご存じないのは無理もないですが、こういう場面でのお茶には作法があります。……毒味の意味も兼ねてね」
蒸らし終えた紅茶を注ぐ仕草は、迷いがなく手慣れたものだ。近しい間柄だと、ネメシスが普段から自分で淹れていて、しかもなかなかの腕だという事を知っている。
カップの数は三つ。黙って様子を見ている教皇に一礼してから手元のひとつに口をつける。
相手にもわかるように飲み込み、数秒置いてもう一度一礼する。
「とはいえ儀礼的なものです。有能な暗殺者でしたら、見張られていてもなお誰にも悟らせず毒を混入させることができますので」
「ど、毒だなんて……ハーデス家の娘であるわたくしがそのようなことをするわけがありません!」
「あまり若いお嬢さんを虐めるものではないよ」
客人である教皇のほうから見かねた風に口を挟まれて、ネメシスの笑みがさらに深まった。
「見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」
教皇ポラリスは、ネメシスと同類の、人のよさそうな笑みを困惑に寄せたものにした。
先にカップを手に取ったのは教皇、次いでハロルドも華奢な取っ手に指を二本差し込む。
そして双方同時に目礼して、カップを唇に寄せた。
儀礼的なものだ。本当に口に含みはしない。
しばらくしてかちゃりと小さな音と共に、二つのカップは皿に戻された。
「さあ、ここからは大切な話をするから少しさがっておいでなさい。お茶は後でね」
教皇はリリアーナ嬢を懐柔しようとしているのだろうか。やけに優し気な口調でそう言って、ロバート・ハーデスに下がらせるようにと視線で促す。
強張った表情の青竜将軍が、頭を下げて失礼を詫びる態を見せた。
「まあ、猊下はお優しいのですね」
しかし、そんな叔父の殊勝な態度など目に入らなかった様子で、リリアーナ嬢は花のように美しく顔をほころばせた。
青竜将軍はもっと強引に姪の腕を引き、あるいは強く言い聞かせて下がらせるべきだった。
しかしその判断は遅く、不動の姿勢で控えていた神殿騎士たちが一斉に身を強張らせる。
教皇の法衣に、リリアーナ嬢の淡いピンク色に染められた指先が触れたのだ。
高位の聖職者に許可なく触れるのはタブーである。相手が教皇であればなおのこと、身の回りの世話をするのも聖別を受けた神職だ。
無礼者と叱責され、その腰に佩かれた儀礼用ではない剣を抜かれていてもおかしくはなかった。
護衛の騎士たちがそうしなかったのは、この場にハロルドがいたからであり、彼女の叔父が慌ててその身体を遠ざけたからだろう。
神殿騎士たちが腰の剣に手をかけたので、連動してこちらの騎士たちもすぐに抜刀できるよう身構えた。
教皇ポラリスが、ほっそりした手を上げた。
数秒後、ハロルドも渋々と同じ仕草をした。
双方の騎士たちが剣から手を離したのは、更に十秒ほどあとの事だった。
「喧嘩をしに来たわけじゃないんだよ」
こんな緊迫した空気の中でも、教皇の声は穏やかでのびやかだった。
「まずは誤解を解きたい」
「……誤解?」
戦場にはひどく場違いな教皇に視線を据えて、ハロルドは薄く笑った。
「我が妃を死ぬほど怖がらせ、傍付きを幾人も殺め、今なお追いかけまわしているというのに?」
「違う、違うからね。ただ安全な場所に保護したいだけだ。お願いしたいこともあるけれど、本人が望まないなら無理強いはしない」
「どこが違う? 何が違うというのだ? そちらの異端審議官とやらがハーデス公爵家所有の離宮を襲撃したのが誤りだと? だとすれば、あれは賊か? ならば引き渡してもらおうか」
「少し行き違いはあったかもしれないけど、あの子を傷つけるつもりはないよ」
行き違いだと? どの口でそんなことを言うのだ。ハロルドが傍を離れるのを待って、力ずくで連れ去ろうとした癖に。
「すでに傷ついている」
そうとも、きっと彼女は泣いている。
己のせいで傍付きが死んだと、気に病んでいる。
「……怪我を? そんな報告は聞いていないけれど」
ふと、教皇の声色が変わった。表情は全く変わらないのに、空気が違った。
ハロルドは目を細めた。
純白に金の刺繍が施された法衣は、穢れない神聖さを表わしていて、血の記憶が濃い軍人たちの目には眩いばかりだ。
神の寵児と呼ばれ、実際に主神ラーンのいとし子もある教皇ポラリスを信望する者が、自軍の内にも多く居るのはわかっている。
各個人の信じる所を否定はしないし、その教義を認めないわけでもない。
しかし、傍らに立つ気配の薄い神殿騎士がピクリと表情を動かしたように、微笑みを消した教皇の雰囲気は、寸前までとは全く違うものに変貌していた。
ハロルドが近づくと、教皇ポラリスの側で花のような微笑みを浮かべていたリリアーナ嬢が、淑やかな礼をした。
大きな瞳はきらきらと輝き、上品な色合いの唇には可憐な笑み。
さながら、絵本か絵画から飛び出してきた姫君のようだった。美貌の教皇に傅く様は、天使のようだと表現されてもおかしくはない。
誰もが彼女を美しいと形容するだろう。その事は否定しない。
しかしハロルドは、襞の多い外出用ドレスを摘まみ、優雅なカテーシーを披露する彼女には一瞥もくれなかった。
「なかなか正式なご挨拶ができずに申し訳ございません。ハーデス公爵が孫、リリアーナと申します」
「おや、初対面なの? てっきり戦場にまで同行を許すほど親しい間柄なんだと思っていたよ」
「まあ猊下」
リリアーナがうふふと微笑んだ。
「親しいだなんて、そんな……それに初対面ではございませんわ。正式な場でご挨拶をする機会に恵まれませんでした、それだけです」
ハロルド以外の男性陣も華やかな礼装を身にまとっているが、それでも軍服だ。ふわりとした巻き髪に化粧、爪先を繊細な模様に染め、高位貴族の未婚女性用のドレスを優雅に着こなし……まるでそこがちょっとした外出先であるかのような淑女の装いには違和感しかない。
「……陛下?」
計算されているのだろう角度で首を傾げるリリアーナには目もくれず、ハロルドは侍従の代わりに椅子を引くネメシスに促され着席した。
マントを踏まないようにふわりと浮かせてから腰を下ろし、ゆっくりと脚を組む。
客人を迎えるには尊大すぎるその態度に、神殿騎士たちが不快そうな表情するが構わない。
先ぶれの手紙もなくこんなところにまで押しかけてくるのだから、最初に礼儀に反したのはそちらのほうだ。
にこにこと、やわらかな表情でリリアーナ嬢を見ていた教皇も表情を改めて、太腿の上で組んでいた指を解いた。
「失礼いたします」
設えられたテーブルにティーセットを置くのはネメシスだ。茶器は古くから、形だけでも友好的な会談だと言わしめるために必要な小道具だった。
「わたくしがお淹れしますわ」
「いえ」
優雅な仕草で腕を動かし、そのままティーポットに手を伸ばそうとしたリリアーナを、ネメシスがやんわりと制す。
「ロバート・ハーデス将軍、姪御さんを下がらせてください」
「えっ」
にこりと、表面上は穏やかだが有無を言わせぬその表情に、リリアーナは戸惑ったように声を上げた。
「そもそも、陛下に本陣から立ち去るよう命じられていたのでは?」
「そ、それは」
「リリアーナ」
ロバート・ハーデスが数歩の距離を大股に詰めて、助けを求めるように左右を見ている姪の元へ駆け寄った。
「叔父さま……!」
「お前どうしてこんなところにいるんだ!」
「公に命じられて補給物資を届けにいらしたようですよ。自衛もできないお嬢さんにウロウロされても困りますので、帝都に戻るようにと命じられていたはずなのですが」
ネメシスは慣れた手つきで茶葉をポットに入れて湯を足し、厚めのティーコジーをその上にかぶせながら言った。
「目と鼻の先なのですから、戻ろうと思えばいつでも戻れたはずです。どうして陛下の御命令に背くようなことを?」
穏やかな、まるで世間話でもしているかのような口調だが、騙されてはいけない。そもそも世間話をするような場ではないし、この男の本意はそんな生ぬるいものではないだろう。
「ハーデス公も何をお考えなのでしょう。末の娘さんが陛下の妃として格別のご寵愛を得ておられるのに……更なる権勢をお望みなのでしょうか?」
「そ、そんなことはありません。リリアーナ、こちらへ来い」
さあっと顔色を悪くした将軍に腕を引かれたが、リリアーナ嬢は大きな目を潤ませ泣き出しそうな顔で叔父を怯ませた。
筋骨たくましい竜騎士と、荒事とは無縁な若い女性との組み合わせは、傍目にも片方を非難したくなる絵面だ。
「わ、わたくしはただ猊下にご挨拶をしなければと……先日の祭事のお礼を申し上げるために」
「そもそも補給物資はゲオルグが届けるはずだっただろう!」
「お兄さまは体調が悪くて臥せっておいでです」
「おや、昨夜お会いした時にはお元気そうに見えましたが」
リリアーナの兄と言えば、たしか元老院に文官として出仕していたのではなかったか? 妹ほど目だった存在ではないが、なかなかの俊才だと聞いた覚えがある。
「こんな時ですから、お身内にももっと自重した行動を取らせるよう公にお伝えください」
「申し訳ない」
青竜将軍は潔く頭を下げて謝罪した。
彼自身は裏表を感じさせない騎士らしい男なのだが、涙目になって首を振っているリリアーナ嬢の方はどうもいただけない。
「違います、そんなつもりではありません。わたくしはただ……」
ハロルドは、縋るように見つめられているのは気づいていたが、リリアーナのほうには視線すら向けなかった。
「そうですわ、お茶を……」
「ご存じないのは無理もないですが、こういう場面でのお茶には作法があります。……毒味の意味も兼ねてね」
蒸らし終えた紅茶を注ぐ仕草は、迷いがなく手慣れたものだ。近しい間柄だと、ネメシスが普段から自分で淹れていて、しかもなかなかの腕だという事を知っている。
カップの数は三つ。黙って様子を見ている教皇に一礼してから手元のひとつに口をつける。
相手にもわかるように飲み込み、数秒置いてもう一度一礼する。
「とはいえ儀礼的なものです。有能な暗殺者でしたら、見張られていてもなお誰にも悟らせず毒を混入させることができますので」
「ど、毒だなんて……ハーデス家の娘であるわたくしがそのようなことをするわけがありません!」
「あまり若いお嬢さんを虐めるものではないよ」
客人である教皇のほうから見かねた風に口を挟まれて、ネメシスの笑みがさらに深まった。
「見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」
教皇ポラリスは、ネメシスと同類の、人のよさそうな笑みを困惑に寄せたものにした。
先にカップを手に取ったのは教皇、次いでハロルドも華奢な取っ手に指を二本差し込む。
そして双方同時に目礼して、カップを唇に寄せた。
儀礼的なものだ。本当に口に含みはしない。
しばらくしてかちゃりと小さな音と共に、二つのカップは皿に戻された。
「さあ、ここからは大切な話をするから少しさがっておいでなさい。お茶は後でね」
教皇はリリアーナ嬢を懐柔しようとしているのだろうか。やけに優し気な口調でそう言って、ロバート・ハーデスに下がらせるようにと視線で促す。
強張った表情の青竜将軍が、頭を下げて失礼を詫びる態を見せた。
「まあ、猊下はお優しいのですね」
しかし、そんな叔父の殊勝な態度など目に入らなかった様子で、リリアーナ嬢は花のように美しく顔をほころばせた。
青竜将軍はもっと強引に姪の腕を引き、あるいは強く言い聞かせて下がらせるべきだった。
しかしその判断は遅く、不動の姿勢で控えていた神殿騎士たちが一斉に身を強張らせる。
教皇の法衣に、リリアーナ嬢の淡いピンク色に染められた指先が触れたのだ。
高位の聖職者に許可なく触れるのはタブーである。相手が教皇であればなおのこと、身の回りの世話をするのも聖別を受けた神職だ。
無礼者と叱責され、その腰に佩かれた儀礼用ではない剣を抜かれていてもおかしくはなかった。
護衛の騎士たちがそうしなかったのは、この場にハロルドがいたからであり、彼女の叔父が慌ててその身体を遠ざけたからだろう。
神殿騎士たちが腰の剣に手をかけたので、連動してこちらの騎士たちもすぐに抜刀できるよう身構えた。
教皇ポラリスが、ほっそりした手を上げた。
数秒後、ハロルドも渋々と同じ仕草をした。
双方の騎士たちが剣から手を離したのは、更に十秒ほどあとの事だった。
「喧嘩をしに来たわけじゃないんだよ」
こんな緊迫した空気の中でも、教皇の声は穏やかでのびやかだった。
「まずは誤解を解きたい」
「……誤解?」
戦場にはひどく場違いな教皇に視線を据えて、ハロルドは薄く笑った。
「我が妃を死ぬほど怖がらせ、傍付きを幾人も殺め、今なお追いかけまわしているというのに?」
「違う、違うからね。ただ安全な場所に保護したいだけだ。お願いしたいこともあるけれど、本人が望まないなら無理強いはしない」
「どこが違う? 何が違うというのだ? そちらの異端審議官とやらがハーデス公爵家所有の離宮を襲撃したのが誤りだと? だとすれば、あれは賊か? ならば引き渡してもらおうか」
「少し行き違いはあったかもしれないけど、あの子を傷つけるつもりはないよ」
行き違いだと? どの口でそんなことを言うのだ。ハロルドが傍を離れるのを待って、力ずくで連れ去ろうとした癖に。
「すでに傷ついている」
そうとも、きっと彼女は泣いている。
己のせいで傍付きが死んだと、気に病んでいる。
「……怪我を? そんな報告は聞いていないけれど」
ふと、教皇の声色が変わった。表情は全く変わらないのに、空気が違った。
ハロルドは目を細めた。
純白に金の刺繍が施された法衣は、穢れない神聖さを表わしていて、血の記憶が濃い軍人たちの目には眩いばかりだ。
神の寵児と呼ばれ、実際に主神ラーンのいとし子もある教皇ポラリスを信望する者が、自軍の内にも多く居るのはわかっている。
各個人の信じる所を否定はしないし、その教義を認めないわけでもない。
しかし、傍らに立つ気配の薄い神殿騎士がピクリと表情を動かしたように、微笑みを消した教皇の雰囲気は、寸前までとは全く違うものに変貌していた。
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