月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
146 / 207
修道女、デートする

4

しおりを挟む
 その植物園は無料で開放されているので、若い男女の逢引の場所としては定番だ。
 今も複数のカップルや夫婦が手をつないで散策していて、色とりどりのクリスマスローズが咲き乱れるトウヒの小道を、親密そうに寄り添いながら歩いている。
 針葉樹の独特のにおいがする森は美しく整備されていて、小道の先にはガラス張りの温室が見える。そこには温かい時期に咲く花が年中咲いているので、見学者には人気だ。
 街はずれの立地にもかかわらず植物園が人気の理由はもう一つあって、温室から花を盗もうとする不心得者に対処するため、武装した警備が常駐しているのだ。主に現役を続けることが難しくなった騎士や冒険者などで組織されていて、公爵家の下部組織として運営されているのもまた安心感を抱かせるひとつだろう。
 メイラはその警備担当者の中に、見覚えのある顔を見つけた。
 記憶の中に在るよりも老け込み、背中も丸くなっているが、若い頃はさぞ女性からもてただろう整った容貌をしていて、何より見覚えのある琥珀色の瞳が当の本人なのだと告げていた。
 メイラはすぐに気まずい思いで顔を俯けたが、相手は彼女にまったく気づかなかった。
 気難しそうな顔に作られた笑みを張り付けて、すれ違ったメイラたちに礼をする仕草はどこか草臥れている。
「……どうした?」
 少し離れてから、陛下が問いかけてきた。
 メイラは、ぎゅっとその腕にしがみつきながら、さりげなく背後の男性を振り返った。
 もとは栗色の髪だったが、白髪が混じり銀髪に近い色合いになっている。かつては見上げるほどの巨漢だと思っていたが、それは幼子の目線のものだったらしい。
「……昔に」
 陛下の鋭い目が、小道を遠ざかっていく背中を一瞥する。
「子供の頃に少し」
 あの男性はハーデス公爵家に仕える騎士で、父がリゼルの街に来た際の屋敷の警備を主にしていた。
 幼いメイラ相手でも、容赦なく仕事を遂行する人だった。命令だからと真夜中に屋敷から放り出されたことが何度かある。
 今思えば、リゼルの街から修道院は近いので、ただ家に帰せと指示されたのだろう。10歳に満たない幼子だったので、通いなれた道であろうと夜道はひどく恐ろしく感じられたものだが。
「クリスティーナ・ホーキンズと名乗っていた、リヒター提督に例の指輪を渡した女性の父親です」
 握られた手に、少し力がこもった。
「クリスは商家に養女に出たのだと言っていました」
「……そうか」
 真夜中に放逐される以上のことをされた覚えはないが、娘のクリスからひどく目の敵にされていたので、彼女とよく似た容貌のその父親のことも苦手だった。
「足を悪くされたのでしょうか」
 遠ざかっていくその足取りはゆっくりで、素人目にも左足が上手く動かないのだとわかる。
「義足だろうな」
「……」
 メイラはもう一度だけ、かつて恐ろしいと思っていた騎士の後姿を見送った。
 騎士にとって、四肢の一部を失うことは致命的だろう。身体の一部を失い、あれだけ溺愛していた娘も失くし……さぞ辛い思いをしているに違いない。
 メイラはぎゅっと陛下の手を握り返し、去っていく背中から目を逸らした。
「温室は年間を通して春先の気温が保たれているので、マントを着ていては暑いと思います」
 あちらもメイラなどに気の毒がられても嫌だろうと、ことさらに話を別の方向に向ける。
 せっかく陛下と美しい園内を歩いているというのに、余計なことを考えて暗い顔をするべきではない。ことさらにこやかに笑みを浮かべ、歩幅を合わせて歩いてくれる夫に身を寄せると、宥めるように手の甲を撫でられた。
「何代か前の皇后さまのお名前を付けられたバラもありますよ。咲いていればいいのですが」
 引きずる足と、その背中の悲哀が、どうしても脳裏から離れなくて。
 陛下に促され、温室内のベンチに腰を下ろしながら、こんなささやかな感情も隠せない自身をひどく情けないと思った。
「疲れてはいないか?」
「はい、お気遣いありがとうございます」
 互いの指を絡ませ合いながら並んで座って、目前で咲き誇る深紅の薔薇をじっと見つめた。
 無意識のうちにため息が零れた。
 かつてはあんなにも堂々と屈強な体躯を誇り、美しい妻子と騎士としての身分……まさに順風満帆な人生だっただろうに。
 ふと、温室のガラスの向こう側に、城の尖塔の崩れた部分が見えた。
 幸いにも死者は出なかったと聞くが、あれだけの災禍だ、あの人のように四肢を失った者もいるのかもしれない。
「ハロルドさま」
「なんだ?」
「黒竜の素材は……あっ、申し訳ございません」
 無意識の考えが声に出てしまい、メイラは慌てて口を閉ざした。
 素材を売った代金のいくらかを、負傷者の補償に当てて欲しいと言おうとして、ただ逃げ回っていただけの人間に口を挟む権利などないと首を振る。
「なんだ、欲しいものでもできたか?」
 ふわり、と植物系の香のにおいがした。
「ならば可愛らしく強請ってみせよ」
 至近距離に寄せられた朱金色の髪が視界を塞ぎ、慌てて上げた顔を待っていたかのように唇が塞がれた。
「……どうした? 強請らんのか?」
 触れるだけの短い口づけ。
 それだけでも呼吸を忘れ、凍り付いてしまっているのに、低い甘い囁き声と共に、ふうと呼気が耳朶に落とされる。
 こんな明るい昼間に、しかも少なくない入園者が周囲にいる状況で! 
 あわあわと震える唇を割って、分厚い舌が侵入してくる。
 首の後ろに回った陛下の手に力がこもり、更に深く交わろうと角度を変えようとする気配を察し、メイラは霧散しかけていた理性をかき集めその胸板を押した。
「こ、このようなところで!」
「そなたが愛いのが悪い」
「まって、待ってください!!」
 今日の服装は街娘風のワンピースで、いつものようなコルセットをつけていない。動きやすさ優先で選んだのだが、布地が薄い分触れられている手の感覚がよりリアルに伝わってくる。
「……っ」
 もちろん脱がされているわけでも、裾から手を突っ込まれているわけでもない。しかし、弱点である腰を大きな手で掴まれ、ざわりと鳥肌が立つような触れ方をされている。
 上げそうになる悲鳴を飲み込み、なんとかその悪戯をやめさせようと身じろぐと、耳元で低音の含み笑いがした。
「疾く白状せよ」
「ハロルドさま!」
「人払いをさせたほうがよいか?」
「……あっ」
 濡れたものが首筋を這い、ちくり、と鋭い痛みがした。
 舐められ、しかも口づけの跡を残されたのだと気づくまでに数秒かかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)妹に情けをかけたら追い出されました(全5話)

青空一夏
恋愛
突然、私達夫婦の屋敷を訪ねてきた妹、サファイア。 「お姉様! お願いだから助けてちょうだい。夫から暴力をうけているのよ」 そう言われれば助けないわけにはいかない。私は夫の承諾をもらいサファイアを屋敷に住まわせた。サファイアの夫はあっさりと離婚に応じ、この問題は解決したと思ったのだけれど・・・・・・サファイアはいっこうに出て行こうとしない。そして、夫は妙にサファイアに優しくて・・・・・・ 姉も妹も貴族ではありませんが、貴族のいる世界になります。 異世界中世ヨーロッパ風。異世界ですが、日本のように四季があります。ゆるふわご都合主義。ざまぁ。姉妹対決。R15。予定を変更して5話になります。

ちびっ子ボディのチート令嬢は辺境で幸せを掴む

紫楼
ファンタジー
 酔っ払って寝て起きたらなんか手が小さい。びっくりしてベットから落ちて今の自分の情報と前の自分の記憶が一気に脳内を巡ってそのまま気絶した。  私は放置された16歳の少女リーシャに転生?してた。自分の状況を理解してすぐになぜか王様の命令で辺境にお嫁に行くことになったよ!    辺境はイケメンマッチョパラダイス!!だったので天国でした!  食べ物が美味しくない国だったので好き放題食べたい物作らせて貰える環境を与えられて幸せです。  もふもふ?に出会ったけどなんか違う!?  もふじゃない爺と契約!?とかなんだかなーな仲間もできるよ。  両親のこととかリーシャの真実が明るみに出たり、思わぬ方向に物事が進んだり?    いつかは立派な辺境伯夫人になりたいリーシャの日常のお話。    主人公が結婚するんでR指定は保険です。外見とかストーリー的に身長とか容姿について表現があるので不快になりそうでしたらそっと閉じてください。完全な性表現は書くの苦手なのでほぼ無いとは思いますが。  倫理観論理感の強い人には向かないと思われますので、そっ閉じしてください。    小さい見た目のお転婆さんとか書きたかっただけのお話。ふんわり設定なので軽ーく受け流してください。  描写とか適当シーンも多いので軽く読み流す物としてお楽しみください。  タイトルのついた分は少し台詞回しいじったり誤字脱字の訂正が済みました。  多少表現が変わった程度でストーリーに触る改稿はしてません。  カクヨム様にも載せてます。

(完)私はもう貴方の知っている妻ではありません

青空一夏
恋愛
夫に借金を背負わされ娼館に売られた公爵令嬢の復讐劇。壮絶ざまぁ。残酷のR18。

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

(完)「あたしが奥様の代わりにお世継ぎを産んで差し上げますわ!」と言うけれど、そもそも夫は当主ではありませんよ?

青空一夏
恋愛
夫のセオは文官。最近は部署も変わり部下も増えた様子で帰宅時間もどんどん遅くなっていた。 私は夫を気遣う。 「そんなに根を詰めてはお体にさわりますよ」 「まだまだやらなければならないことが山積みなんだよ。新しい部署に移ったら部下が増えたんだ。だから、大忙しなのさ」 夫はとても頑張り屋さんだ。それは私の誇りだった……はずなのだけれど?

チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~

クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。 だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。 リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。 だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。 あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。 そして身体の所有権が俺に移る。 リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。 よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。 お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。 お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう! 味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。 絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ! そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!

【完結】愛されないのは政略結婚だったから、ではありませんでした

紫崎 藍華
恋愛
夫のドワイトは妻のブリジットに政略結婚だったから仕方なく結婚したと告げた。 ブリジットは夫を愛そうと考えていたが、豹変した夫により冷めた関係を強いられた。 だが、意外なところで愛されなかった理由を知ることとなった。 ブリジットの友人がドワイトの浮気現場を見たのだ。 裏切られたことを知ったブリジットは夫を許さない。

処理中です...