月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
137 / 207
皇帝、諸々を薙ぎ払う

2

しおりを挟む
 やはり妻の寝室に余人を招き入れるべきではないと、隣室に面会用の部屋を設けたのだが、それもまた失敗だった。
 何故なら、ひっきりなしに招かれざる客が押しかけてきたのだ。
 主には他領から祭事に参加するためにきている高位貴族だが、公的な訪問ではないという事で、主要なところ以外は拒否している。
 あくまでもハロルドの目的はメルシェイラの保護であり、愛する妻を迎えに来たに過ぎないのだから。
 止むにやまれぬ理由で部屋を出ると、ほぼ確実に誰かに声を掛けられる。
 大半が挨拶目的だが、中には無聊を慰めますと色のある眼差しを向けてくる女性もいて、実に面倒くさい。
 一通り必要な指示も出し終え、部屋から出る必要性も無くなったので、引きこもっておくことにした。
 とはいえ、明日は大慰霊祭の当日、ここに来ていることは知られているので無視はできない。
 メルシェイラをエスコートして参列するつもりでいるが……どうだろう。昼過ぎになってもまだ深く眠っているので、彼女の参列については無理をさせることもないと思う。
 眠る彼女を懐に抱き込むと、あるべきところにあるべきものがあるのだと安心する。
 目を閉じて、危うく失いかけた温もりを確かめるように触れ、落ち着く体勢を探して丸くなる。
 日差しも高い昼間なので眠るような時刻ではないが、ただじっと何もせず彼女の呼吸を聞いているだけでも心底リラックスできた。
「……失礼いたします、陛下」
 どれぐらいそうしていただろう。もちろん退屈などするわけもなく、永遠にこのまま微睡んでいるのもいいかもしれないと思っていた時、遠慮がちに声を掛けられた。
「お休みのところ申し訳ございません。夕食はどうされますか?」
「……何時だ?」
 いつの間にか、すでに斜陽が窓から差し込む時刻になっていた。
 夕食の時間には早いが、メルシェイラは昼も食べていないので、そろそろ起こした方がいいのだろう。
「メルシェイラ」
 そっと、華奢な肩を揺する。
「……んぅ」
 可愛らしい応えに、無意識のうちに唇が綻ぶ。
「何か口にした方が良い。腹に優しいものを用意させよう」
 何が食べたい? と優しく尋ねると、ぼんやりとした黒い目がハロルドの方を向いた。
「ハロルドさま」
 少し舌足らずな声で名前を呼ばれて、ぞくり、と腹の底の熱が蠢いた。
 誤魔化すようにそっと頬に口づけすると、まだ寝ぼけているらしい顔でふにゃりと微笑まれる。
 はっきり意識がある時には遠慮する彼女の、こういう無意識の表情を愛しいと思う。
 そっと掌で頬を包むと、すり、とすり寄られた。
 たまらない気持ちなって、チュッと唇をついばみ、そぞろまた深く舌を絡めそうになって……ぐう、と可愛らしく彼女の腹が鳴った。
「……ふっ、腹の虫が鳴いているな。穀物がゆでも用意させよう」
 また、ひな鳥のような彼女にひと匙ひと匙食べさせるのも楽しいかもしれない。
 視線を上げると、護衛の騎士がさっと顔を背けるのがわかった。
 メルシェイラの可愛らしさを見られたことにいくらか不快を感じつつ、腹心の赤毛に視線だけで指示を出す。
 わざとらしい真顔で騎士としての礼を取った彼が、責任をもって毒見まで徹底管理した穀物がゆを用意してくれるだろう。
 ハーデス公爵家はメルシェイラの実家だが、どうやら彼女にとっては安らげる場所ではないらしい。彼女に向けられる敵意はいかに隠そうとも明らかで、信頼がおけない。
 メルシェイラにと用意させた果実水のデキャンタには、毒とまではいかないが何か混ぜ物がされていた。ハロルドが到着してからも室内履きの底に針が仕込まれていたり、贈り物と称した茶葉の中に虫の死骸が混ぜられていたりと、メルシェイラのメイドがひっきりなしに対処するそれらの嫌がらせは、かなりの件数にのぼっているようだ。
 そろそろ腹に据えかねるものがあるので、ハーデス公に釘を刺しておこうと思う。
 実害がなくとも、メルシェイラへの攻撃はハロルドへの攻撃と同等だ。
 万が一にもその刃が彼女に触れる前に、片を付けておくべきだろう。
「どうした? まだ寝足りないか?」
 瞬きも緩慢な妻の頬に再び唇を落とす。
「……これは夢ですか」
「どう思う? 妃よ」
「きっと夢です」
 ハロルドはふっと笑い、くすぐったがりなメルシェイラの脇腹を指で辿った。
 ひゃあ! と可愛らしい悲鳴を上げる様を愛で、ようやく目覚めたのか驚愕の表情をしている彼女の短い髪を撫でる。
「……も、申し訳ございません。寝ぼけてしまって」
「何か食べられそうか?」
 ぐう、と再び腹が鳴り、メルシェイラの色白の頬が真っ赤に染まった。
「食事にしよう」
「いえ、その前に身支度を……」
「まあそう言うな。折角寛いでいるというのに」
 行儀が悪いと思っているのだろうが、無防備な彼女をもうしばらく愛でていたい。
 やがてカートに乗せられた盆の上に、二人分の食事が盛りつけられて運ばれてきた。
 メルシェイラには穀物がゆ、ハロルドには普通の夕食だ。
 やはり出先で出されるものは普段より油分や脂質が過多で、量も多い。年なのか胃もたれするなと思いながら、向かい合う席で真剣な顔をして穀物がゆをすくっているメルシェイラをじっと眺めた。
 あの匙を横から奪って食べたらどんな顔をするのだろう。
 そんなことを考えていると彼女がぱっと顔を上げ、ハロルドの目をみて恥ずかしそうに俯いた。
 あの小さな唇に、指を突っ込んでみたい。
 慌てて口の中のものを飲み込んで、小さく咳払いする彼女の薄く色づいた唇を見つめる。
 盛り合わせてあるカットフルーツを摘まみ押し付けると、困惑したように下がった眦でちろりと見上げられ、しばらくしておずおずと口を開かれたので無言のままぐいと突っ込んだ。
 もちろん指ごと。
「……っう」
 果物は一口サイズだが、ハロルドの指は太い。
 いたずらに指の腹で熱い舌を撫でると、たちまちまた彼女の耳たぶが真っ赤になる。
「美味いか?」
 喋れないと分かっていてそっと尋ねる。
 もちろん、彼女が好む低い声で。
 目で抗議されたが、じんわりと涙が滲み赤らんだ頬をしていては逆効果だ。
 妻の愛らしいそんな姿を愛でながら、ハロルドは喉の奥で低く含み笑った
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)妹に情けをかけたら追い出されました(全5話)

青空一夏
恋愛
突然、私達夫婦の屋敷を訪ねてきた妹、サファイア。 「お姉様! お願いだから助けてちょうだい。夫から暴力をうけているのよ」 そう言われれば助けないわけにはいかない。私は夫の承諾をもらいサファイアを屋敷に住まわせた。サファイアの夫はあっさりと離婚に応じ、この問題は解決したと思ったのだけれど・・・・・・サファイアはいっこうに出て行こうとしない。そして、夫は妙にサファイアに優しくて・・・・・・ 姉も妹も貴族ではありませんが、貴族のいる世界になります。 異世界中世ヨーロッパ風。異世界ですが、日本のように四季があります。ゆるふわご都合主義。ざまぁ。姉妹対決。R15。予定を変更して5話になります。

ちびっ子ボディのチート令嬢は辺境で幸せを掴む

紫楼
ファンタジー
 酔っ払って寝て起きたらなんか手が小さい。びっくりしてベットから落ちて今の自分の情報と前の自分の記憶が一気に脳内を巡ってそのまま気絶した。  私は放置された16歳の少女リーシャに転生?してた。自分の状況を理解してすぐになぜか王様の命令で辺境にお嫁に行くことになったよ!    辺境はイケメンマッチョパラダイス!!だったので天国でした!  食べ物が美味しくない国だったので好き放題食べたい物作らせて貰える環境を与えられて幸せです。  もふもふ?に出会ったけどなんか違う!?  もふじゃない爺と契約!?とかなんだかなーな仲間もできるよ。  両親のこととかリーシャの真実が明るみに出たり、思わぬ方向に物事が進んだり?    いつかは立派な辺境伯夫人になりたいリーシャの日常のお話。    主人公が結婚するんでR指定は保険です。外見とかストーリー的に身長とか容姿について表現があるので不快になりそうでしたらそっと閉じてください。完全な性表現は書くの苦手なのでほぼ無いとは思いますが。  倫理観論理感の強い人には向かないと思われますので、そっ閉じしてください。    小さい見た目のお転婆さんとか書きたかっただけのお話。ふんわり設定なので軽ーく受け流してください。  描写とか適当シーンも多いので軽く読み流す物としてお楽しみください。  タイトルのついた分は少し台詞回しいじったり誤字脱字の訂正が済みました。  多少表現が変わった程度でストーリーに触る改稿はしてません。  カクヨム様にも載せてます。

(完)私はもう貴方の知っている妻ではありません

青空一夏
恋愛
夫に借金を背負わされ娼館に売られた公爵令嬢の復讐劇。壮絶ざまぁ。残酷のR18。

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

(完)「あたしが奥様の代わりにお世継ぎを産んで差し上げますわ!」と言うけれど、そもそも夫は当主ではありませんよ?

青空一夏
恋愛
夫のセオは文官。最近は部署も変わり部下も増えた様子で帰宅時間もどんどん遅くなっていた。 私は夫を気遣う。 「そんなに根を詰めてはお体にさわりますよ」 「まだまだやらなければならないことが山積みなんだよ。新しい部署に移ったら部下が増えたんだ。だから、大忙しなのさ」 夫はとても頑張り屋さんだ。それは私の誇りだった……はずなのだけれど?

チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~

クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。 だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。 リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。 だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。 あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。 そして身体の所有権が俺に移る。 リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。 よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。 お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。 お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう! 味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。 絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ! そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!

【完結】愛されないのは政略結婚だったから、ではありませんでした

紫崎 藍華
恋愛
夫のドワイトは妻のブリジットに政略結婚だったから仕方なく結婚したと告げた。 ブリジットは夫を愛そうと考えていたが、豹変した夫により冷めた関係を強いられた。 だが、意外なところで愛されなかった理由を知ることとなった。 ブリジットの友人がドワイトの浮気現場を見たのだ。 裏切られたことを知ったブリジットは夫を許さない。

処理中です...