月誓歌

有須

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修道女、女は怖いと思う

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 気がかりなことは多々あるが、時間は刻一刻と過ぎていく。
 海風に乱れ、目元を赤くしたメイラの姿に、ユリたちは声にはしないが非難の色を目に浮かべた。本来であれば時間がかかる身支度を、揺れる薄暗い馬車の中で手際よく済ませてくれたことには感謝しかない。
 幼いミッシェルの安否が気になって仕方がなかったが、とにかく今は、陛下の妃としてするべき仕事がある。
 できるだけ目立たないように教皇猊下の行軍と合流し、時間を合わせてタロス城に入場した。
 見るからに神々しい真っ白な鎧の騎士たちと、若々しく見目麗しい教皇猊下を一目見るべく、城内外の者たちは口々に歓声を上げ、道中の信者たち以上の熱烈さで歓迎した。
 物語の中では読んだ事があるが、偉い人の頭上に生花を撒く様子など初めて見た。
 真っ白な騎士たちと、真っ白な法衣の教皇猊下に相応しく、頭上から散らされる花びらも皆白い。
 メイラは馬車のカーテンの隙間から垣間見えるその夢のような光景に、純粋に見とれたらいいのか、父がデモンストレーションの花代にいくら掛けたのか思案するかで迷った。
 すぐにそれをやめたのは、馬車の中にまで積まれた陛下からの花束の存在があったからだ。
 深く考えたらきっと藪蛇になるに違いない。
 城につき、慌ただしく夜会の準備に追われ、その間もずっと陛下の花束が視界の中に入る位置にあって。
 ミッシェルの行方が心配だし、ハリソンの様子も気になる。命を狙われている件もあわせると、とても落ち着いていられる状況ではなかったが、そこに完全に気分を持っていかれることはなかった。
 いつの間にかまた増えている花束が、何も恐れることはないと、心を支えてくれている。
 香りが鼻腔を刺激するたびに、美しいその姿を目でとらえるたびに、無意識のうちに陛下から贈られた玉髪飾りに触れ、その存在を確認していた。
 生まれて初めて出席する夜会を前にしても、緊張することはなかった。
 以前までのメイラなら、父の奥方さまたちのことで気が重くなっていただろう。
 今現在も、時折嫌がらせではないかと感じる出来事が頻発しているが、ユリたちメイドやマローたち騎士が如才なく対応し、メイラのところまでは届いてこない。
 茶菓子の箱に紛れ込んでいたネズミの尻尾を掴み、メイド服にはそぐわない豪快さで窓から放り投げるフランの後姿を横目で見ながら、「素手で捕まえるなんてすごいわね」と暢気に声を掛ける余裕すらあった。
 時間をかけて念入りに磨き上げられ、まるで自身がメイラという人間ではなく、彼女たちの作品であるかのような錯覚すら覚えながら、支度が整ったのは、時刻も差し迫った宵のうちだった。
 深い紫色の多弁なバラで装飾された扇子を渡されて、その生花独特の艶やかさにうっすらと唇をほころばせる。
「……いってらっしゃいませ、御方さま」
 まるで、「御武運を」とでも言いたげなユリに、にこり、と笑みを向けた。
「お父さまにも、長居は不要だと言われているの。出来るだけ早く戻るわ」
 もともと、きらびやかな夜会に参加しないなど一度も思ったことはないので、機会があればさっさと逃走する予定である。
 もちろん女の子らしくおしゃれには多少の興味がある。しかしそれはあくまでも、可愛らしいレ-スであったり、ささやかな刺繍であったり、つまりは市井の少女がほんの少し装う程度のもの。誰よりも目立つドレスを着たいとか、肩がこるほど重い装飾品を身にまといたいなどとは、現在進行形で思っていない。
 美しいドレスにはあこがれるものの、実際に着るよりはトルソーに飾られているのを眺めている方がいい。着てしまえば、その見事な縫製や刺繍に見惚れる事ができないからだ。
 何しろ、見た目華やかなドレスなのに、着てみるとものすごく重い。
 立っているだけで次第にその重さが耐えがたくなるなど、世の夢見る少女が聞いたらどう思うだろう。
 貴族の女性は皆身体を鍛えてこの重みに耐えているのだろうか。
 部屋を出て、亀のようにノロノロと廊下を歩いていると、次第にその重さが耐えがたくなってきた。まだ、会場に到着もしていないのに。
 なんとかメイン会場に続く大扉が見える位置までたどり着くと、そこにはすでに白衣の神官が立っていた。
 待たせてしまったのかと焦るが、足は一向に前にすすまない。
 何が原因かというと、重みだけではなく、非常に足さばきがしにくいドレスなのだ。
 本来マーメードラインは、小柄で凹凸が少ない体形のメイラには似合わない。しかし、その貧相な体格をカバーするように、精工な縫製技術が駆使されていて、あろうことか長く裾を引くデザインなのだ。
 舞踏会なのに。……ダンスなど踊れないので、あまり関係ないのかもしれないが。
 しかも、どう考えてもこれは一人で歩くようにはできていない。何しろ、ドレスを最大限に美しく見せるには、裾を捌く第三者が必要不可欠なのだ。
 その他もろもろの事情に四苦八苦しながら、扉の前にたどり着くまでにかなりの体力を消耗してしまった。
 振り返ったその人は、メイラが思わず素で安堵の表情を向けてしまったことからもわかるように、リンゼイ師だ。
 同時に入場する予定なのは猊下だが、まだ姿は見えない。
 遅刻した訳ではないと安堵していると、「なんとまあ、紫牡丹の花のようだ」と、気恥ずかしくも率直な賞賛の声を貰えた。
「……やっぱり派手でしょうか?」
「とんでもない。良く似合っているよ」
 それでは、周囲からあきらかに浮きまくった現状を、どう説明するというのだ。
 ここは会場の外とはいえ、人払いがされているわけではない。
 すでに会場は開かれているので、メインの大扉以外のところから、かなりの人数の着飾った人々が出入りしている。
 その誰もが、メイラのドレスように裾が長かったり、重そうなそぶりをしていたりはしない。
 若干距離がある参加者たちはもとより、すれ違う使用人までもがぎょっとしたようにこちらを二度見するものだから、すっかり場違いなのではないかと思ってしまった。
「失礼いたします。猊下がいらっしゃいました」
 至近距離で膝をついたマロー(裾さばき要員①)が、手早くドレスの裾を整えながら余所行きの声で言った。
 示された方向に視線を巡らせると、大勢の騎士に囲まれた純白のきらびやかな法衣の猊下がこちらに向かって歩いているのが見えた。ものすごくキラキラと、まるでそこにだけ太陽の光が降り注いでいるかのようだ。
 まだかなり距離があるが、遠目にもその存在感はひしひしと伝わってくる。
 唐突に理解した。
 あの隣に立つのであれば、それはもう気合をいれて着飾らなければなるまい。
 平凡なメイラの存在など、誰の目にも入らず飛んで行ってしまうに違いなかった。

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