月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
100 / 207
修道女、犬と別れ悪人面と再会する

2

しおりを挟む
 それから丸一日は平和だった。
 部屋から出なかったので、余計なものはメイラの目に触れなかったからだ。
 航海もあと二日を切り、相も変わらず過保護な面々に体調も回復してきたので外の空気を吸いたいと言ってみたところ、返ってきたのが険しい表情。
 まだ何か問題があるのであれば、どうしても出たいわけではないと即座に前言を撤回したのだが、ユリたちはあからさまな目配せをしあっている。
 メイラは再び大人しく籠っていますと言ったのだが、数時間後に甲板に上がっても良いと告げられた。
 やっぱり行きたくないとは言えなかった。
 彼女たちが認めたのだから、問題はないのだろうと思うが、すでにもうこの艦の上ではいろいろなことが起こり過ぎていたので、これ以上は勘弁して欲しい。
 言い出せないままに着替え、ベールをかぶり、「お外は良いお天気ですよ」と普段通りのユリの声に安心できないままに扉の前に立つ。
 貴族の女性の外出着は、それなりに華やかなものではあるが、夜会などで着る正式なものより丈が短い。成人していなければ脹脛丈、成人後は地面にすらない程度の踝丈が基本で、その年齢に応じたスカートのタイプがある。
 ちなみにメイラの場合、成人しているがまだ十代、しかし既婚。丈は踝で、襞の数が少なめだが可憐さも残したエレガントなデザインのドレスである。
 色はやはり紫色を基調にしている。
 今日のドレスは普段のように淡い色合いではなく、強く青みを帯びた濃い紫で、派手さはないが既婚者らしい……つまりは地味目なもの。
 普段は年齢に見合ったパステルカラーが多い中、外出着に選ぶには意外な色味だ。
 あきらかに何か思惑がありそうだが、メイラ的にはむしろこの地味さがいいので特に何も言わなかった。
 まだ船室にいるというのに念入りにベールの位置を確認され、しっかりと扇子を握らされる。
 そこでまず「?」と小首を傾げた。
 明らかに普段使っているものより重い扇子だったからだ。
 ルシエラと視線があって、彼女の薄い唇がくっきりと等分に弧を描くのを見て、寒いはずなのに背中に汗がにじんだ。
 もしかして武器ですか? これ、武器なんですか?
「不埒ものは遠慮なく打擲してください」
 やっぱり武器だった!!
 ぶんぶんと首を左右に振ると、マデリーンがにやりと非常に引っかかる表情で笑った。
「駄犬どもは蹴飛ばしても構いませんよ」
 出ました犬発言。
 もしかしたら彼女の例のあのお仲間たちがいるのかもしれない。いや、彼らは非常に礼儀正しく、メイラに近づいてこようとはしなかった。
 そんな彼女たちの意図するところはすぐにわかった。
 何故なら、分厚い木の扉を押し開けた時、真っ先に這いつくばる男性の姿が目に入ったからだ。
「……」
 扉を閉めてください。今すぐに。
 メイラは思いっきり引いた。
 狭い通路を占領しているのは、やけに真顔で背筋を伸ばして立っている二人の歩哨と、彼らより階級が高い将校の軍服をきた男性たちの丸まった背中だった。
 丸まったというのは語弊がある。
 騎士の礼よりもなお一層深く、両膝をつき両手をつき、額を床に押し当てている。
 メイラは逃げ出したくなった。
 もちろん、彼女の背後にはやけににこやかな女官やメイド、後宮近衛の女騎士たちがいるので退路はない。
 ど、どうしろというのだ。
 最近身近に多いS系の方々とは違い、メイラは至極まっとうな感性の持ち主だ。
 他人を、しかも己よりはるかに年齢が上の男性を這いつくばらせる趣味はない。
 これだけの人数が同じ場所にいるというのに、誰も何も言わない全くの沈黙がその場を支配した。
 もしかしなくとも己が何か言わねばならないのだろうかと、メイラの冷や汗の量が増す。
「……ごきげんよう、皆さま」
 間違えた。普通に挨拶してどうするのだ。
 びくりと引きつった背中が、なお一層低くなるのを見下ろして、メイラの方が焦る。
「床は冷たいでしょう? どうかお立ちになって」
 いや、本当に立ってください。
 本気で懇願しそうになったが、ギリギリのところで堪えた。
 躊躇いがちに顔を上げたのは、あのものすごく背が高く顔に傷のある将校と、見た覚えはあるが紹介されたことのないアッシュ色の髪の男性だった。
 ふたりとも促されても立ち上がろうとはせず、仰ぎ見るようにメイラを見上げる。
「今更名乗る非礼をどうかお許しください。リヒター提督の副長を務めております、アダル・ディオンと申します」
「お初に御意を得ます。旗艦リアリードの艦長リチャード・グロームと申します」
 どうやら指揮系統的にはディオンのほうが上位だが、グローム艦長のほうが弁が立ちそうだ。
 そう思ったのは、ディオンは見るからに武官だが、グロームのほうはやけにほっそりとスレンダーな体形で、片眼鏡をかけていたからだ。
 視線が合って、それが片眼鏡ではなく隻眼を隠すための眼帯だと気づいた。
「……ご丁寧に」
「御方さまの行く先を塞ぐとは何事か!」
 反射的に礼を返そうとしたメイラを制したのはルシエラだ。
「下がれ」
 危うく二人の手を踏みそうな位置まで踏み出したのは、騎士服のマデリーン。
「申し訳ございません! どうか謝罪の機会を頂きたく!!」
「必要ない。御方さまに時間を取らせるな」
「お待ちくださっ!」
 あ、踏んだ。
 マデリーンが意図的にディオンの大きな手を踏んだのが見えた。
 息を飲み悲鳴を堪える大男。
 ものすごく冷ややかにそれを見下ろす大柄な女騎士。
 すっとメイラの横から前に出たルシエラが、強張った表情のグローム艦長の前に立った。
 あの、ルシエラさん。その手の扇子は何でしょうか。どこから出したのでしょうか。
 シンプルな、メイラが持つものより実用的な色と形の扇子は、おそらく女官用だ。
「ルシエラ」
 ものすごく嫌な予感しかしなかったので、メイラは深く考える前に口を開いて止めた。
「早く外の空気を吸いたいわ」
 今、その扇子で艦長の横っ面を叩こうとしていませんでしたか?!
 駄目駄目駄目! いくら相手が許容しているように見えても、暴力沙汰はいけない。
 ……マデリーンに手を踏まれたディオンの伏せた顔は何故か赤い。片眼を大きく見開いて、ルシエラの扇子を凝視している艦長の表情もちょっとおかしい。
 いやきっと気のせいだ。うん、気のせい。
「謝罪はお受けしました。どうかお立ちになって」
 取り急ぎ場を収めなければとんでもないことになりそうで、メイラは内心必死になっていた。
 二度目の催促にも立ち上がろうとしない二人に、まさか「そこにいたら通れないから退いてくれ」とは言えずに眉を下げる。
「提督はどうされていますか? お加減はいかがでしょう」
「……はい、お気遣い感謝いたします」
 今、ものすごく未練たっぷりにルシエラの扇子を見ませんでしたか、艦長。
 グローム艦長は一度顔を伏せ、それからもう一度メイラを仰ぎ見た。
「お沙汰の通り、通常業務に戻っております。決して御方さまには近づけませんので、ご安心ください」
 ふと、どこか遠いところを必死の形相で眺めていた歩哨たちの顔が、同時に右側に動いたのに気づいた。
 メイラもつられてそちらに視線を向けてしまったのだが、彼らと同じように、即座に何も見なかった振りをした。
 いや本当に何も見なかった。
 艦内は薄暗い。等間隔にランプが並び、ある程度は照らしているが、どうしても暗がりというものが存在する。
 だからきっと、見間違えたのだ。
 真っ白な提督服を着た男が、曲がり角から顔半分を出しこちらを見ているなど。
 しかもその顔の位置がおかしく、土下座しているかのように床すれすれだということも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)妹に情けをかけたら追い出されました(全5話)

青空一夏
恋愛
突然、私達夫婦の屋敷を訪ねてきた妹、サファイア。 「お姉様! お願いだから助けてちょうだい。夫から暴力をうけているのよ」 そう言われれば助けないわけにはいかない。私は夫の承諾をもらいサファイアを屋敷に住まわせた。サファイアの夫はあっさりと離婚に応じ、この問題は解決したと思ったのだけれど・・・・・・サファイアはいっこうに出て行こうとしない。そして、夫は妙にサファイアに優しくて・・・・・・ 姉も妹も貴族ではありませんが、貴族のいる世界になります。 異世界中世ヨーロッパ風。異世界ですが、日本のように四季があります。ゆるふわご都合主義。ざまぁ。姉妹対決。R15。予定を変更して5話になります。

ちびっ子ボディのチート令嬢は辺境で幸せを掴む

紫楼
ファンタジー
 酔っ払って寝て起きたらなんか手が小さい。びっくりしてベットから落ちて今の自分の情報と前の自分の記憶が一気に脳内を巡ってそのまま気絶した。  私は放置された16歳の少女リーシャに転生?してた。自分の状況を理解してすぐになぜか王様の命令で辺境にお嫁に行くことになったよ!    辺境はイケメンマッチョパラダイス!!だったので天国でした!  食べ物が美味しくない国だったので好き放題食べたい物作らせて貰える環境を与えられて幸せです。  もふもふ?に出会ったけどなんか違う!?  もふじゃない爺と契約!?とかなんだかなーな仲間もできるよ。  両親のこととかリーシャの真実が明るみに出たり、思わぬ方向に物事が進んだり?    いつかは立派な辺境伯夫人になりたいリーシャの日常のお話。    主人公が結婚するんでR指定は保険です。外見とかストーリー的に身長とか容姿について表現があるので不快になりそうでしたらそっと閉じてください。完全な性表現は書くの苦手なのでほぼ無いとは思いますが。  倫理観論理感の強い人には向かないと思われますので、そっ閉じしてください。    小さい見た目のお転婆さんとか書きたかっただけのお話。ふんわり設定なので軽ーく受け流してください。  描写とか適当シーンも多いので軽く読み流す物としてお楽しみください。  タイトルのついた分は少し台詞回しいじったり誤字脱字の訂正が済みました。  多少表現が変わった程度でストーリーに触る改稿はしてません。  カクヨム様にも載せてます。

(完)私はもう貴方の知っている妻ではありません

青空一夏
恋愛
夫に借金を背負わされ娼館に売られた公爵令嬢の復讐劇。壮絶ざまぁ。残酷のR18。

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

(完)「あたしが奥様の代わりにお世継ぎを産んで差し上げますわ!」と言うけれど、そもそも夫は当主ではありませんよ?

青空一夏
恋愛
夫のセオは文官。最近は部署も変わり部下も増えた様子で帰宅時間もどんどん遅くなっていた。 私は夫を気遣う。 「そんなに根を詰めてはお体にさわりますよ」 「まだまだやらなければならないことが山積みなんだよ。新しい部署に移ったら部下が増えたんだ。だから、大忙しなのさ」 夫はとても頑張り屋さんだ。それは私の誇りだった……はずなのだけれど?

チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~

クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。 だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。 リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。 だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。 あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。 そして身体の所有権が俺に移る。 リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。 よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。 お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。 お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう! 味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。 絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ! そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!

【完結】愛されないのは政略結婚だったから、ではありませんでした

紫崎 藍華
恋愛
夫のドワイトは妻のブリジットに政略結婚だったから仕方なく結婚したと告げた。 ブリジットは夫を愛そうと考えていたが、豹変した夫により冷めた関係を強いられた。 だが、意外なところで愛されなかった理由を知ることとなった。 ブリジットの友人がドワイトの浮気現場を見たのだ。 裏切られたことを知ったブリジットは夫を許さない。

処理中です...