月誓歌

有須

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修道女、マジ泣きする

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 少し眠って、起きた時にそこに居たのは、ユリを含む見慣れたメイドたちの顔だった。
 普段の鉄壁の装いではない、いささか乱れた外出着を着たその様子に、腹の底からの深い安堵の息がこぼれる。
「遅くなって申し訳ございません」
「メルシェイラさま……ああ、なんてこと! 御髪が!!」
 できる女そのもののユリが、目を真っ赤にして唇を噛み締める。
 ほろほろと涙をこぼしているのはシェリーメイ。汗で頬に張り付いた髪をそっと外してくれるのはフランだ。
「やはりお一人にするのではありませんでした」
 ユリの少し割れた声には疲労が滲み、ああ、心配させてしまったのだ……と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「本来ならば命をもって償うべき落ち度ですが、恐れ多くも陛下の御恩情を賜りました。今度こそ、お側から離れません」
 メイドの彼女たちに落ち度などあるはずもない。
 あの日、目立つのを避けるため、最小限の人数で神殿に行くと決めたのはメイラ自身だ。
 そういえば、護衛についてくれていた後宮近衛の女性騎士たちはどうしているだろう。それこそまささか、命で贖うなどの責任の取らされ方をしているのではあるまいな。
 メイラはようやく、拉致されたその日のことを思い返していた。
 早朝だった。
 小神殿の礼拝堂で、ダハート一等神官に声を掛けられたのだ。
 やがて、彼のとなえる朗々とした祝詞が最後の記憶だと思い至る。
 それ以上の事は何も思い出せなくて、己がどうして意識を無くしたのかすら覚えていない。
 ともに居たダハート神官はご無事だろうか。護衛の女騎士たちは?
「……ぁ」
 ぱくぱくと口を開けて尋ねようとしてみるが、こぼれるのはヒュウヒュウという掠れた音だけだった。
「御典医師どのからご体調についてはうかがっています。まだお声をだされてはなりません」
 コンコン、と遠い部屋の入り口がノックされる音が聞こえた。
 ユリの目がフランに向けられ、フランがひとつ頷いてドアの方へと向かう。
「失礼いたします。桃をお持ちしました。熱がまた上がっておられるようでしたらお薬も一緒にお飲みください」
 入室してきたのはエルネスト侍従長で、その両手には銀色の盆が乗せられていた。
 彼の、いかにも仕事ができます的な一分の隙も無い佇まいを目にして、メイドたちが身だしなみを気にするそぶりを見せる。帝都から遠いこの地に駆け付けてくれたのだから、多少乱れていようが構わないのに。
「陛下より伝言で、少しばかり込み入った話を片付けなければならないので、戻るのが遅くなるとのことです。遅くなると言っても、たいしたことはないと思いますが」
 このところのメイラの情けない有様をよく知っているエルネスト侍従長が、心配そうに首を傾けた。
「お熱の方はいかがでしょう」
「まだかなりお高いように思います」
 メイラの首筋にそっと触れて、ユリが答える。
「一時期は意識が混濁して痙攣が出るほどの高熱でしたので、ずいぶん下がった方ですよ。ですが、お薬は一応飲んでおいたほうがよさそうですね」
 シェリーメイが立ち上がり、さりげなく移動した。
 エルネスト侍従長の姿が見えない位置で、どうやら視界を防いでくれているらしい。
 彼女たちが来てくれるまでは、それはもう甲斐甲斐しい世話をしてくれた片割れなので、恥ずかしいと思うなど今更なのだが、思い出してしまえば羞恥心が湧いてくる。
 ま、まさか着替えや診察のときまで居たなどということは……いや、たしかお医者様は女性の方で、着替えも白髪交じりのメイドが介助してくれた気がする。
 ふと、そんなときでもずっと陛下が手を握ってくれていたことを思い出し、メイドたちが慌てるほど一気に赤面してしまった。
 いやいや、熱が上がったわけでないので、お医者様は呼ばないでいいです。
「少し窓を開けましょうか」
「それは少し待ってください。今翼竜が離着陸していますので、少々埃が立っています」
「……まあ」
 ユリが、何やら考える素振りで首を傾げた。
 エルネスト侍従長の声が、やわらかな調子で続く。
「招かれざるお客様が多くて……」
 陛下がこの地で執務をされているから、仕事が追いかけてきているのだろう。
 迷惑をかけていると思う。もう大丈夫なのでお戻りください、と言えないのが申し訳なく、つらい。
「メルシェイラさまがお心を悩ませることなど何もございません。今はどうか、お身体をよくすることだけをお考え下さい」
 シェリーメイに視界を塞がれていても、エルネスト侍従長がにっこりと満面の笑みを浮かべたのがわかる。
「陛下のお仕事は、つまるところ陛下さえいればどこでもできるものですから」
 絶対にそうではないだろうと思うのだが、こうも断言されてしまえば反論もできない。
 しかし、文官たちは大層な迷惑をこうむっているに違いないのだ。
 その原因であるメルシェイラに憤っても仕方がないと思うし、誰かを不愉快にしているという事実を気にしないでいられるほど無頓着な質ではない。
「おいしそうな桃ですよ、メルシェイラさま」
 ユリが、半透明の美しいガラス器に盛られた果物を手に微笑む。
 ぼうっとその顔を見つめ返しているうちに身体を起こされ、あっという間に背中にクッションを差し込まれた。銀色の小さなフォークに刺された四角くカットされた桃が口元まで運ばれ、またも「あーん」と促されて困惑する。
 赤ん坊ではないのに、という意識が出てくること自体、かなり回復してきている証拠だろう。
 反射的に口を開くと、とろりとした甘味が咥内にもたらされて、とっさに思い浮かんできたのは陛下に手ずから食べさせていただいた記憶だ。
「またお顔が赤く……大丈夫ですか?」
 うわああああっ! と叫ぼうとしたが、幸いなのか声は出ない。代わりに重い手を上げて顔を覆い、ベッドの上に突っ伏した。
「メルシェイラさま!!」
 慌てたメイドたちが、悲鳴のような声を上げる。
 エルネスト侍従長が医師を呼ぶ声が聞こえたが、必要ありませんと言いたいのに言葉にならないし、ベッドにぺしゃっと伏せてしまった状態で動けない。
 気恥ずかしい記憶に悶絶することもできないのか……という、ある種の達観と、たかだかベッドに伏せ込んだだけで自力で起き上がれないという現状。
 呼吸が苦しいので身体を起こして欲しい、という意思表示は伝わらず、苦しそうにもがいているととられてしまったらしい。
「毒物が仕込まれた可能性があります!」
 おそらくは近くに控えていたのだろう、女性のお医者様が緊迫した声色でそう言うのが聞こえた。
 いえ、ただ思いっきりベッドにダイブしたので動けないだけです。
 そう言いたいのに、はくはくと唇が動くだけで声が出ない。
「ああ、メルシェイラさま!!」
 シャリ―メイの悲鳴のような声。必死でメイラの背中をさするユリ。
「すぐに吐かせましょう」
 いやいや、やめてください! 毒を盛られてなどいませんから! ただ記憶にやられただけですから!!
 もちろんメイラの弱々しい抵抗など露ほどの効果もなく、難しい顔をした女性の医師に喉まで指をつっこまれてしまった。
 ……どうしてこんなことに。
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