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② 「15年前の7月20日」

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② 「15年前の7月20日」
 平成×△年、7月20日、京橋コムズガーデン1階の京橋公園のベンチできれいなロングの黒髪の女の子がひとりで泣いていた。かれこれ30分以上になるだろう。白いブラウスにデニム姿で小さなリュックサックを背負った女の子はA4サイズの紙封筒を両手で胸に抱え、小刻みに震えている。白いタイルの地面にぽつん、ぽつんと涙が落ちる。
 封筒の下段には「なにわ国際がんセンター」の表記が見える。周辺を散歩する人や、地下にある京橋駅から上がってきた人も泣いている女の子から目をそらし、足早に通り過ぎていく。

 (な、なんで、私が…。今まで、何も悪いことせんと一生懸命に生きてきたのに…。よりによって、20歳の誕生日にこんな宣告を受けることになるなんて…。あと1年の内に私は…。)1時間半前のことを思い出すと体の震えと涙が止まらなくなる。
 震える手でカバンからビーズでデコったガラケーを取り出し、発信履歴を開き発信ボタンを押すが、10回のコールの後、「おかけになった番号は現在電源を切っているか電波が届かないところにいます。お時間をあけておかけ直しください。」のコールが響くだけだった。
 もう一度、発信履歴画面を開き、再度コールボタンを押すが、今度も結果は同じだった。
 履歴画面には、「お母さん」と「お父さん」が交互に5回ずつ並んでいた。

 (お母さんもお父さんも仕事中やからしゃあないか。いったいこんなこと誰に相談したらええんよ…。友達に話してもしゃあないし、ましてや学校の先生に言っても…。)と泣きながら、父か母と電話がつながるまでかけ続けるしかないと思っていたところ、目の前に大きな人影が立ち止まっていることに気がついた。
 ゆっくりと顔を上げると、お腹がぽこんと前に飛び出た、太ったおじさんが前かがみで立っていた。見るからに「短足」で「出っ張ったお腹」でズボンのベルトが見えない。背はあまり高そうにないが、顔は大きい。太陽を背にしているため、逆光でシルエットしかわからないが、足元が裸足でサンダル履きであることから、警察官でないことは確実だ。
「お姉ちゃん、さっきからずっと、何、泣いとるんや?」
少し、高めの男の声がした。

 「えっ、気にしないでください。もう、行くところですから。」
と返し、立ち上がろうとしたところ、
「お姉ちゃん、かわいい顔してるのに、そんな鼻水垂らした顔のまま歩いてたら、みんなに笑われてしまうで。まずは、鼻を「チン」しいや。」
とテレクラの広告の入ったポケットティッシュを取り出した。(もしかして、私がずっと泣いてるから、優しい言葉をかけて「なんか」しようとする「ナンパ」なんかな?できるだけ、かかわらないようにせなあかんよな。でも、確かに、最低限、鼻はかんで行かなあかんわな。自前のティッシュはもう使い切ってしもてるから、ティッシュもらうくらいは大丈夫やんなぁ…。「ティッシュ使った分、体で返せや!」なんて言われへんよな…)といろいろ考えつつ、黙って右手を出した。

 おじさんは、何も言わず、新品のポケットティッシュを開け、2枚のティッシュを取り出し渡してくれた。(おっ、えらい気が利くやん…。でも、ここで油断したらあかん。泣いてる女は優しくしたったら「やれる」て思ってるおっさんかもしれへんからな。あえて、ここはおっさんが「引く」ように、思いっきり鼻かんだろか。)
 女の子は思いっきり「びいぃぃぃむ!」と鼻をかんだ。ティッシュから溢れるほどの鼻水が出て手を汚した。
 おじさんは、もう二枚ティッシュを引き抜くと、女の子の手にはみ出た鼻水を優しく拭き取ってくれた。(えっ、なんのためらいも無しに拭いてくれはったで、このおじさん…。)
「あぁ、汚いですから自分でやります。すみません…。」
と顔を上げると、丸々と太った顔に、大きな福耳、細い目に団子っ鼻に二重あごが目に入った。
 半袖の赤と黒のツートンカラーの作業用ブルゾンに大きなサイドポケットのついた作業ズボン姿のおじさんは悪い人には見えなかった。

 自分でもう一度、ゆっくりと鼻をかみ、手にはみ出た鼻水も拭き取り、4枚のティッシュは丸めてデニムのポケットに入れようとしたとき、A4の紙封筒が、白いタイルの床に落ちた。
 おじさんがさっと封筒を拾い上げ、しげしげと見つめた。
「これ、お姉ちゃんの持ちもんか?」
と尋ね、封筒を女の子に渡した。
「は、はい。すみません…。いや、ありがとうございます。」
ぺコンとお辞儀をして、お礼を伝えると、太ったおじさんは優しく聞いてきた。
「お姉ちゃんが泣いてる理由はこれなんか?」
と紙封筒の病院名を指さした。

 女の子は、黙って頷いた。なんとなく、おじさんから感じる優しい雰囲気に気を許し聞かれてもいない自己紹介をした。
「私、本田希ほんだ・のぞみと言います。大学生です。今日で20歳になりました。優しく声をかけてくれてありがとうございます。」
 おじさんは、細いやさしい目で黙って頷いた。



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