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第22章 想いを断ち切る
第376話 命日(5)
しおりを挟む今夜だけ。
せめて今夜だけ。
指輪と一緒に、将の思い出にひたろう――。
聡は自分の感情にそう折り合いをつけると……そのままの指で引き出しをあけた。
引き出しの中にも、将の思い出がつまっていた。
指輪と一緒にくれた、『ひなた』への靴下とベビーリング。
クリーム色のボンボンがついたほわほわの靴下。
ちっちゃな2つの足の形に聡は、2ヶ月後に世に出てくる「ひなた」の姿を夢想した。
その中に入っていたダイヤのベビーリング。
思わずその内側を……聡は確認してしまう。
『生まれてくる君へ、愛を込めて。父』
というフランス語でのメッセージを目にしたとたん……無理やり引っ込めた感情が、再び怒涛のように襲ってくる。
聡は歯を食いしばってかろうじてこらえると……それをケースに戻して傍らに置き、次のものを取り出した。
去年の手帳。
将との日々が詰まっているそれを、聡はなつかしくなぞった。
最後の裏表紙には将の字で書かれたメッセージ。
I love you, forever
sho
聡がプレゼントした万年筆の……セピア色のインクで書かれたそれは、もう何百年も前のラブレターのような色合いになっている。
思いはまだ、いまも鮮やかなのに……。
これらすべて。
聡は持って行くことができない。
これらの懐かしい思い出ごと。
聡は将を捨てていかなくてはならない。
聡は心を鬼にして、引き出しをのぞきこんだ。
――!
それを見つけたとたん、聡の手がとまった。
いったんひっこめていた涙が、再び大粒になって頬を転がり落ちた。
聡は……指輪をはめたままの、震えるその手で、引き出しの底からヨレヨレになったカードを取り出した。
将がマグカップと一緒にくれた、バースデイ・カード。
26才おめでとう、聡。
宇宙一愛する聡が、世に生まれ出たこの日に感謝!
月並みだけど、聡は僕の太陽だ(照れるぜ)
聡と昨日みたいに何度でもKISSしたい。
聡がいてこその将
雨でにじんだ青いインクに……聡はいつしか、あの日に引き戻されている。
命をかけて助けてくれたあの川沿い。
あざだらけで……冷たく濡れそぼっていた将。
血の味がした口づけ。
そして、はじめて抱き合った寝室の、星空のようだったコンポのランプ。
『アキラ、本当は俺のこと、好きなんだろ』
いたずらっぽい声。
今、耳元でささやかれたような、産毛の感触。
『そうなんだろ』
思い出の中の声は、何度もリフレインして……切ない思いを増幅させていく。
どこまでも。
果てしなく。
膨らんでいく、将への思い。
――好き。好きよ。
将が好き。だれよりも愛してる。この世で一番大事。
なのに。
どうして――。
思い出の中の将に答えながら……もう涙は止めようがなかった。
聡は将につながる品を手に取ると……声をたてて泣いた。
そんな聡を蔭りゆく部屋が薄いブルーグレーに染めていく……。
将は、マンションを見上げると、エントランスに足を踏み入れた。
かつてここから学校に通っていたマンションだ。
――やっぱり付いてきてるな。
何食わぬ顔でエレベーターに乗り込んだ将は、ため息をついた。
ひそかに自分を追うカメラマンの存在に気づいていた。
ドラマももうすぐ最終回で、○○谷詩織とのスキャンダルももうすっかり下火になっている。
なのにカメラマンは依然としてつきまとっている。
芸能関係をよそおいながら、実は父の不祥事を探しているのだろう、と将はわかっていた。
父の康三は今年9月に行われる総裁選の最有力候補だ。
それゆえに、ライバル議員による不祥事探しが躍起になって行われているのだ。
カメラマンの存在になど気付いていないそぶりのまま、エレベーターを降りると自分の部屋へ向かう。
どうせ下で見張っているだけなのだ、とわかっていてもどこかで緊張していた将は……ドアの中に入ると今度こそ深くため息をついた。
井口との待ち合わせにはまだ時間がある。
その間に将は片づけておきたいことがあった。
大悟が使っていた部屋をあける。
瑞樹の遺品のぬいぐるみ、そして遺影などが……正月に見たままで置いてあった。
ほこりもかぶっていないのは、留守中にも家政婦が定期的におとずれているからだろう。
将はクロゼットから段ボールを持って来て組み立てると、瑞樹の遺品をそっと手にした。
――瑞樹。大悟を見守ってやってくれ。
将はその白い小さな犬のぬいぐるみが瑞樹の化身であるかのように、心で語りかけた。
そしてそっと段ボールの中にそれを置いた。
瑞樹の遺品は小さな段ボールにすべておさまった。
将は……ずっと大悟のことと共に、この遺品のことが気がかりだった。
将の部屋に置いてあるよりは。
大悟のところに送ってやったほうがいい。
それはわかっていたけれど。
大悟は依然行方不明のままだ。
だから。
将はせめて大悟の保護者である、西嶋夫妻の家に送っておくことにしたのだ。
大悟の死んでしまった元彼女の遺品を預かってほしい。
大悟がもし見つからずに、処分するようなことがあったら、そのときは将のところに返してほしい。
そんな頼みを西嶋夫妻は快く引き受けてくれた。
大悟が見つかったら、立ち直らせるとも。
それを、今日思いついたのは。
実は――将は、明日の試験が終わったら、聡と共に姿を隠すつもりだった。
何か月……いや、もしかして何年か隠れなくてはならないかもしれない。
世間から身を隠しても、絶対に聡と結婚し、その子供が無事に生まれるところを見届けるつもりだったのだ……。
――よし。
あとはこの段ボールをコンビニから宅急便で送ればいい。
時間もちょうどいい。
今出れば、井口との待ち合わせにぴったりだ。
再びマンションを出ようと立ち上がったそのとき。
携帯電話が鳴った。
『兵藤ケンちゃん』と表示されている。
先週までクラスメートだった兵藤だ。
まじめに寿司屋で修行する兵藤とは……将が一方的にふざけてからんでいたような関係で、兵藤から電話がかかってくることなどは……クラス関連のイベントなどがない限りありえないはずだった。
「ケンちゃん?どしたの?」
将はなかばおどけて電話にでた。
「鷹枝くん。急にごめん。ちょっと気になることがあってさ」
対する兵藤は、少し思いつめたような真剣な声だった。
「昨日、アキラ先生が店に来たんだけど……」
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