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第19章 涙の懇願

第338話 涙の懇願(2)

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『15、超えなかったし』

将は残念な口調で報告する。15というのは視聴率のことである。

将がほとんど主役状態の2番手に大抜擢された元倉亮のドラマの視聴率は、15%を超えることができなかった。

初回としては、お世辞にもパッとしたものとはいえない。

『ううん。きっとそのうちあがるわ』

聡は確固たる自信を持って予言した。

将が出演しているというのを差し引いても……というより、やはり主演の熟年俳優が圧倒的によかった。

そして脇役まですべてがしっくりとしていた。

出演している人が皆、悲しみを背負っているのに、なぜかほのぼのと笑いを誘う。

その背景を彩る、北海道の大自然。

派手なところのないドラマだったけれど、それはしみじみと温かくなるような余韻を残した。

『そうかな』

聡にそういわれると、将はなぜかそんな気がして救われた。

それまで将は……ふるわなかった視聴率に対して少し責任を感じていたのだ。

ゲスト出演を入れてようやく3作目のドラマでの大抜擢は荷が重すぎたのではないだろうか……。

朝、ネットで自ら調べた視聴率を見て以来、少しがっかりしていたのだ。

聡のことも心配だったが、ドラマの不振も、センター試験前日の将から気力を奪っていた。

『うん。……だから、将。今度は、明日のセンター試験頑張って』

そんなとき聡の励ましは、まさに、てきめんだった。

自分でもコミカルだと思うほどに、将はやる気がむくむくと湧いてくるのを感じた。

まるでほうれん草を食べたポパイのような……単純な自分。

かくして、将は、土日のセンター試験に対して、全力で挑むことができたのだ。

 
 

「本当に、本当に、アキラのおかげだよ。ありがとう」

将は再び繰り返した。

「将の実力よ」

聡の言葉に将は、嬉しくて「いやー」と電話のこちらで頭をかいた。

「まだ、2次試験があるし。こっちのほうが大変だし」

「そうね。ところで……将、北海道ロケはいつ終わるの?」

聡の問い返しに、有頂天の将は、聡が自分に一刻も早く逢いたいのだろうとしか考えられない。

「えっとぉ、24日まで北海道で、そのあとは29日までスタジオで撮りだめ……」

予定を話す将の声を訊きながら、聡が考えていたのは別のことである。

聡が決めてしまったこと。

……それを将に話すタイミングを聡は計っていたのだ。

仮に……もし。それを今、告げてしまったら。

将は、一時的にせよ、大きなショックを受けるだろう。

ドラマの仕事に支障が出てしまうかもしれない。

だけど、将はまだ若いから、きっと立ち直れる……。

だからせめて、仕事へのダメージが最小におさまるタイミングを……聡はさぐっていた。

「2月に入ったら、2次試験用の勉強に専念しろって元倉さんも監督も言ってくれた。だから2月からは、毎日学校で会えるよ」

嬉しそうに話す将に、聡はそれでも、まだ確かめたくなる。

将の中の自分の重みを……。自分の占めるパーセンテージを。

そんな自分の感情を未練がましいと、一方で理性は冷たく見下ろしているのがわかる。

「しばらく、顔を見れないんだね……」

それは、聡の寂しさの吐露ではない。将の寂しさを……聡は電話越しに感じたかった。

感じたからといって……決意を翻すわけではないけれど。

でも今は、まだ……将の唇で、将の声で、自分のいない寂しさを呟いてほしい。

「うん。2週間くらい逢えない。……でも合格したらずーっと一緒だからな」

将の中に寂しさなど、なかった。

聡と一緒にいる未来しか見えていないように、将の口調は希望に満ちていた。

将は、聡を信じ切っているのだ。

……聡の目からこぼれた涙は音もたてずに、頬を伝って布団にしみをつくった。

 
 

「じゃ、行ってきますね」

西嶋節子は、若い社員に留守中の仕事を任せると、事務所の外に出た。

確定申告が近い今の時期、税理士のところに行く用事があったのだ。

さまざまな書類が入った重いカバンを持った節子は、空がやたらに暗いことにすぐに気付いた。

「やだわ、降ってきそう」

この季節にしては厚い雨雲がいつのまにか空を覆ってきた。そのうち、氷雨でも降ってきそうな空……。

税理士の事務所はすぐ近くだ。

ちょっとの雨くらいならまったく平気な節子だが、さすがの暗さに、いったん3階の自宅に傘を取りにあがる。

傘を取って外階段に出た節子は、階段の下の……郵便受けのところに誰かがいることに気付いた。

郵便受けの前に突っ立っているように見えたその人影は……この5分ほどの間にいっそう暗くなった夕闇のおかげで真っ黒に見えた。

節子はその黒い影が誰かわからず、階段を降りながら

「誰っ?」

と叫んだ。

黒い影は、びくっと一瞬身体を震わせると、こちらを見た。夕闇の中で白目だけが、キラリと光った。

そして、手にもった何かを郵便受けに投函すると、一目散に逃げ出した。

その、一瞬こちらを見た顔は――。

「大悟くんっ!」

節子は、あわてて階段を駆け下りると、大悟を追った。

それを阻むように……突然雨が降り出した。

「大悟くんっ!大悟くん」

傘も差さずに節子は追おうとしたが、大悟はあっという間にみぞれ交じりの雨の中に消えてしまった。

郵便受けには……西嶋夫妻に宛てた封筒が入っていた。

中には、便箋。大悟の字で

『お世話になりました。いろいろとすいませんでした』

と書かれていた。

そして、10万円が同封されていた――。

節子は顔をあげて、もう一度どしゃぶりの中に目を凝らしたが……大悟の姿はもうどこにも見えなかった。
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