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第14章 最後の夏空

第266話 夏の別れ(7)

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人々のすすり泣きの中、葬儀は進み、出棺となった。

喪主である康三を先頭に、純代、将、孝太、そして巌の子供――すなわち将の祖父の弟・妹、その子供らが棺と共に邸宅を退出する。

遺族と共に棺が出ようとしたとき、記者たちが将をめがけて一斉に押し寄せてきた。

「SHOさん、鷹枝官房長官の息子さんだったんですね」

「どうして隠されていたんですか」

記者たちは次々に質問をしてくる。

康三のSPたちがしりぞけようとするが、かなりしつこい。

将は、もう泣いていなかったが、シャッター音の激しさに思わず顔をそむける。

「ひいおじいさまを亡くされた心境は」

そう聞かれても、どう答えていいかわからない。

まごつく将を、純代や親族がうながして、どうにか先に進む。

記者たちは康三にも

「SHOさんは、長官の息子さんですよね」

と訊いた。康三は、憮然と

「そうです」

とだけ答えた。

「官房長官、息子さんのこと、どうして隠されていたんですか」

康三はそっちの質問には答えずに、黙って車に乗り込んだ。

それに倣って親族は皆、沈黙を守ったまま車に乗り込み、火葬場に向かった。

残った武藤が、しんがりを務めるように記者団に

「本当に悲しんでいますから、そっとしてあげてください」

と頭を下げた。

聡は離れたところから、首1つ出た将の俯いた横顔が見えなくなるまで眺めていた。

 
 

将たち巌の親族は近くの火葬場へ移動し、巌の棺に最後の別れを告げた。

『窯』の中に入っていく棺を見て、孝太は

「大おじいさまが」

と思わず声をあげて純代を振り返った。あとは言葉にならずに純代に抱きついて泣いてしまった。そんな姿が親族の涙を誘った。

火葬場の係員が、今から火が入ることを告げる。将は思わず俯いていた顔をあげた。

だが、すでに扉は閉じられ、なすすべはない。

そこでも読経がのべられ、親族からは、あらたにすすり泣きが漏れた。

それが終わると、親族一同はあきらめたように待合室へ移った。

親族という集まりが苦手な将は、その間、外に出てみた。

表に出た途端……蝉の合唱と共にもわっとした暑さに包まれる。

外はまだ夏の盛りだった。すべて、葬儀からここまでの間忘れていたものだった。

将は、青空へと伸びる煙突を見上げた。

煙突からは、すでに白い煙がうっすらと出ていた。それは巌のまっ白な髪や眉毛をどことなく思わせた。

だが、暑いせいか、煙は煙突から出るとすぐに空になじんで消えてしまうかのようだった。

煙になって天に帰っていく巌。

将は、敬礼するように手をかざして煙を見送りながら、目の前の出来事をわざと化学的に考えてみる。

人間の体は、たんぱく質や脂肪、水分で出来ている。

60~70キロの体重のうち、形のある骨として残るのはほんの少しで、大半は気体となる。

今、あそこから見えている白い煙は、巌の体の脂肪や炭水化物が酸素と結びついたH2OそしてCO2、すなわち水蒸気と二酸化炭素が大半だろう。

水蒸気は雲になり……雲は雨になり、陸地に降れば土に染み込み、そして植物を育て、残りは川になる。

二酸化炭素は光合成の材料として木々に吸われて、酸素として生まれ変わる。

巌は、彼を愛した人の心にその生の証を残しながらも、体の大半は、分子となって地球や植物にリサイクルされていく。

考えてみれば。地球に存在する原子や分子の総量は……ときおり隕石が落ちて来る以外は、太古からたいして変わっていないのだ、ということに将は気づいた。

46億年前から地球にある原子が、化合や還元を繰り返しながら、今は大量の人間という生命体になっているのだ。

だが人間も、命が尽きれば、物質として地球に還って別の生命体を育む。

将は煙から自分の掌に視線を落とした。赤く眩んだような視界に、左右5本の凹凸が浮かんでくる。

この手を形作っている、皮膚のたんぱく質も、骨のカルシウムも……酸素も水素も炭素も窒素も、46億年前からこの地球上にあった原子なのだ。

地球上にあった原子が、結びついて将も、聡も、巌も、孝太も、大悟も……みんなの肉体をつくっている。

それは平均85年だかの限りある、原子の結びつきだ。

今、それが終わって還元されていくところを将はまのあたりにして……将は、小さな単位が結びついて

『自分』というものを作っていることに奇跡のような神秘を感じた。

 
 

しばらくの時間ののち、巌は骨になっていた。

大きな部分は流木を思わせる形、色は白くなった貝殻のようだった。

皆でそれを拾い、骨壷に収めていく。骨は乾ききって軽かった。

178センチと昔の人にしては長身だった巌が、こんなに壺に収まってしまうのが不思議だった。

将は、純代に懐紙をもらうと、巌の骨を少しだけもらって丁寧に包んだ。

骨壷に収まった骨は、地球へ還らずに頑なに、それが人の一部だった証明のように保存される。

それは、故人のためというより、生き残って彼を覚えている人のためのように将は思えた。

墓自体が、生きている人のために在るモニュメントなのだ――将は今、それがわかった。

そして将は、巌が自らの骨を『森村先生の墓が見えるところに撒いてほしい』といった意味をも理解した気がした。

おそらく巌は、叶わなかった初恋のひとが眠る傍で、土に還ろうと思ったのだ。

土に還った巌のカルシウムは(どことなく不謹慎な言い方だけど)きっと、まわりの草花の養分となり、森村先生の墓をなぐさめるだろう。

巌の気持ちはわかるけれど、やはり哀しすぎると思った。

原子に戻ってから、傍にいても……寂しい。

46億年の歴史を持つ原子がくっつき離れ……そうやって出来た奇跡の体。それに宿る命。

命あるうちに……生きているうちに、絶対に聡と結ばれる。

将はあらためて骨を包んだ懐紙をそっと握り締めた。

懐紙は少しだけ温かい気がした。

 
 

将が、官房長官である鷹枝康三の息子だったことは、さっそくスクープされた。

翌日のテレビ欄には『SHO号泣!元大臣の曽祖父(100歳)の死』などという字面が詰め込まれた。

土曜なので午後のワイドショーはないが、朝のニュース番組で葬儀の模様は放送された。

「いまや若手イケメン俳優として人気者のSHOさんが、鷹枝官房長官の長男として、曽祖父である鷹枝巌さんの葬儀に参列しました」

巌は芸能人ではない上に、まさか人気上昇中の俳優であるSHOが参列するとは誰も予想しなかったらしい。

アナウンサーが急遽芸能リポーターを兼ねている。

「……今、出棺です。SHOさん、悲痛な面持ちです。ドラマで見られる溌剌とした笑顔はありません。

SHOさんからはひいおじいさまにあたる、元外務大臣・鷹枝巌さんの死を、SHOさんはどんな風に感じているのでしょうか」

スタジオのコメンテーターも

「言われてみれば、お父さんの鷹枝官房長官によく似てますよね。目の辺りとか、背が高いところとか」

と感想をもらす。

かくして、SHOは鷹枝官房長官の長男として世間に知れ渡ったのである。

ちなみに、なしくずしに身元がバレてしまった件については、父の康三からは何もお咎めなしだった。

康三は腹を決めたようだった。

「世間に知られてしまったからには仕方がない。お前も鷹枝家の跡取として、そのつもりで行動に気をつけなさい」

と将は釘を刺された。
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