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第13章 死闘

第232話 梅雨前線(3)

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「久しぶりね。テレビ見たわよ」

「ありがとうございます」

どんな返答が適切かわからなかった将だがとっさにそう答えた。

将や大悟が中学生のときに可愛がってくれた12歳年上の投資家『カオリさん』。

彼女は、18歳まで、関東を取り仕切っていた暴走族の伝説のリーダーだったという。

もっとも、将たちと知り合ったときにはもうとっくに引退していて、きっぷの良さ以外、その面影はなかったけれど。

彼女は、将と大悟の二人を気に入り、たびたび白金にある自宅億ションに泊めてくれたり、ブランドの服をプレゼントしてくれたり、またそれを着せてフレンチなどに連れて行ったりしてくれた。

将には特に目をかけてくれて、いっときは男女の関係だった。

株式投資のノウハウから、セックスのテクニックまでいろいろと教え込んでくれたのだ。

若い男の子にあれこれ教えこむことが楽しかった彼女は、将がすべてを首尾よくこなすようになると、自分から離れていった。

それはちょうど将が他の女性に目が移っていったのと同じタイミングだったので、二人の間には恨みとかそういう類の、別れた男女にありがちなマイナスの感情はほとんど何もないに等しい。

ただ、将はまだ幼かった自分を知っている女性ということで、なんとなく照れくさかった。

「すっごく背が高くなったみたいね。今何センチあるの?」

「185センチになりました」

「すっごいねー」

もう30歳になるはずなのに、そんな風な口調もあまり変わらない。

しばらく、近況報告をしあう。カオリさんはあいかわらずで、今は六本木ヒルズに住んでいるということだった。

「じゃあ、近くに住んでるんだー」

「そうですね」

そのあと、微妙に沈黙が流れた。

将は、カオリが単に懐かしさだけで電話をかけてきたのではない、と直感した。

「あのさ」「あの」

二人は同時に声を出した。

「あ……どうぞ」

将はカオリに譲りながら、何の話か身構えた。

「あのね。最近、大悟くんと会ってる?」

将は……やっぱり、と唾を飲み込んだ。

「5月まで、俺んちで一緒に暮らしてました」

「あ、そう。そうなんだ。今は?」

「今は、俺がこっち(M区)に移ったから……俺のマンションで一人で住んでるはずです」

「ふーん……家賃とかは?」

「俺のオヤジが買ったとこだから……。カオリさん、大悟と会ったんですか?」

将は我慢できずに、カオリに訊いた。

「あたしは、会ってない」

もしかして、カオリに金を無心に行ったのか、という将の予測ははずれて、少し将はホッとした。

「……けど、アタシの知り合いが、大悟くんにお金をあげてるらしい」

「え」

ホッとしたのも束の間、カオリの声で伝えられた新しい事実に、将は電話を握り直す。

「もちろん、ただで、あげてるだけじゃないよ……報酬として」

『何の』と言いかけて、将の脳裏に、いつかの大悟の、淡々とした声が蘇る。

『実は俺も援交してたんだ。もちろん買うほうじゃない。……売るほうな』

「もう、何度もあげてるらしいんだけど……大悟くん、シャブやってるの、将知ってる?」

ついに……カオリから放たれた決定打に、将は思わず歯を食いしばった。

――やっぱり。

ガンガンするような頭に将は手をあてる。そのまま、がっくりとうなだれた。

腕の紫の痣。激ヤセ。金の無心。クラブで一緒にいた前原の友達。

……すべてのピースがつながってしまった。

「将、聞いてる?」

沈黙に、カオリが電話の向こうから問い掛けてきた。

「……ハイ。うすうす、感づいてましたけど……」

かろうじて声を絞り出す。

カオリによれば、大悟は、売春で荒稼ぎした金で、シャブを買いあさっているらしい。

「……まったく、いつ、覚えたんだろ。将、いつからだか、わかる?」

姉御肌のカオリは怒り交じりながら心配そうな声を出した。

大病院の末娘であるカオリは、レディース引退後、1年浪人して医学部に入ったこともあり(結局、途中で株式投資に夢中になったので医師免許は取得しなかったが)、

後輩の覚醒剤汚染には厳しい態度でのぞんだ。

場合によっては、フクロ(袋叩き)にしてでも止めさせていたらしい。

「……俺と一緒にいたころは、たぶんやってなかった、と……思います」

カオリの質問に、将はショックで痺れたような脳を必死で稼動させて記憶をたぐる。

しかし、大悟がいつ、どんなきっかけでそれを覚えたのか、将には思い当たらなかった……おそらく、将が3週間、家をあけてモロッコに行っている間しか考えられない。

「早くやめさせないとヤバイよ」

カオリは低めの声で冷静に言い放った。

「ハイ」

「将、あんたのためにも。もう、芸能人なんだからさ。自宅でシャブが見つかったなんていったらシャレになんないでしょ」

そんな弊害もあるのか、と今、将は気付いた。

だけど……そんなことより、大悟が心配だった。

「とにかく。監禁してでも、止めさせな。それが本人のためだよ」

将の知っているカオリは、高価なブランド服に、巻き髪、美しいネイルと、暴走族とは掛け離れた、典型的な『小マダム』だ。

しかし、それに似合わない、ぶっそうな言葉をカオリは将に投げかけた。

 
 

ガンガンする頭を抱えて将は、新しいマンションのベッドに横たわった。

音楽もテレビもかけていない部屋に、激しい雨音だけがしのびこんできた。

それにここは、大悟と暮らしていたマンションより、やや天井が低いらしい。

雨音もそうだが、それがいやに今日は気になる。

あの頃も、こんな季節だった。

将は、カオリさんと知り合ったばかりの頃の3人を思い出す。

あの頃は楽しかった。

暴走族の元リーダーで、医学部出身、そして投資家のカオリは、さまざまな知識や処世術に長けていた。

それを将と大悟に惜しげもなく与えた。

今も思い出す。カオリの住んでいた億ション。

ある雨の夜、カオリは自宅の億ションに二人を招いてくれたのだ。

オフホワイトで統一された部屋は、外界の梅雨のうっとおしさを忘れるほどの明るさだった。

床もフローリングなどではなく、大理石だった。

「これは20万のワインよ」

とあけてくれたロマネ・コンティは、そのまっ白な皮のソファーに恐ろしく映えた。

バカラのグラスでロマネ・コンティをを傾けながら、

「女でもね。総長ができたのは、人間の急所を知ってたからよ」

と微笑んだ。

「へえ。どこどこ?」

二人の14才の少年は、20万のワインの味より、そっちに興味を持ち、身を乗り出した。

カオリさんは、いたずらっぽく笑うと、まだ幼さが残る将の腕を取った。

「ここと、ここと……」

と将の体でそこを示した。服の上からだったけれど、将はただ、くすぐったかった。

「ここを殴れば、そんなに大した力じゃなくてもダメージを与えることができるの。そして」

カオリは将の腰のあたりを示した。

「ナイフ一本で人を殺すなら、ここを刺すことね。動脈が通ってるから、出血多量でまず助からないわ」

「へえ。刺したことあるの?カオリさん」

と大悟が訊いたはずだ。

「あるわけないじゃない。単なる豆知識よ」

とカオリは艶然と笑うと、巻き髪をかき上げたから、彼女が本当にその豆知識を使ったことがあるのかはいまだにわからない。

しかし後年、ヤクザを刺したとき、将は無意識にその場所を狙っていた……。

 
 

「武藤さん!大変です」

まだ勤務時間が始まったばかりの、ダイヤモンド・ダストのオフィス。

パソコンをいじっていた若手のスタッフが手をあげて武藤を呼んだ。

「どうしたの」

武藤はそのあわただしい声に、つかつかと彼のデスクに歩いていった。

「ウルウルの掲示板に……」

『ウルウル滞在日記』の番組掲示板にこんな書き込みがあった。

======

SHOの本名は鷹枝将。

父親は官房長官の鷹枝康三だ。

実は元チーマーで殺人、強姦などやりたい放題なのを全部父親が揉み消してきた。

詳しくはこっち。

=====

こっち、と示されたリンクは、画像もアップできる掲示板だった。

おそらく中学時代と思われる金髪に染めた将が、いわゆる『ヤンキー座り』で煙草を吸う姿が掲載されていた。

仲間も一緒だったが、そっちは目を黒く塗りつぶしてある。

「誰がこんなこと……」

武藤は絶句した。

事務所の公式HPにあるコメント欄には会員じゃないと書き込めないようになっているが、『ウルウル』の番組公式掲示板は誰にでも門戸が開かれている。

それが裏目に出たらしい。

「いちおう、ウルウルも、このリンク先にも、削除申請をしていますが」

「あたりまえよ!……早く消さないと名誉毀損で訴えるといって、早急に削除させなさい」

将が昔、問題児だったのは、事務所も把握している事実だ。

しかし、これがこんな風に、早々とネットに出るなんて……武藤は唇をきゅっと結んで自らも検索を始めた。

――それだけ、注目を浴びている、ということか。

武藤は必死でよい方に発想を転換させようとしながらも、冷静に考える。

画像があるということは、将を身近に知っていた誰かだろう……。

「手があいてる人は、至急ネットを検索して。変な書き込みを見つけたらすぐに私に報告して頂戴」

武藤は声をはりあげた。
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