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第12章 自分の道

第200話 血の、いとしき源

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「大悟ー、……いないの?」

将は、真っ暗なリビングダイニングにあかりを灯しながら呼びかけた。

昨日に引き続き、大悟は出掛けているようだ。

キッチンに入って冷蔵庫から水を取り出すと、グラスに注いで一気に飲む。

体にいきおいよく取り込まれていくミネラルウォーターのかわりのように、大量のため息が出る。……疲れた。

火曜日ももう11時になる。

急遽決まった、ドラマのゲスト出演に備えて、今日、将は学校から直接事務所に来るように言われていた。

演技指導を受けるためである。

事務所に顔を出すと、そこには武藤と一緒に演技の講師がいた。

将は知らない顔だが、若手の演出家だという。30代後半ぐらいに見えた。

「台本は読んだ?」

武藤に訊かれて

「……いいえ」

と将は素直に答えた。すると武藤は、

「やっぱりね。ハイ。こっちをあげるから」

と別の台本を将によこした。

そっくり同じもののようだが、中身を見ると、ほとんどの漢字に振り仮名が振ってある。

そして将の部分に蛍光ペンでラインが引いてある。……すべて武藤の手書きである。

「これだったら読めるでしょう」

と武藤は優しいような目をした。少しだけバカにしているのがわかる。

「漢字は読めますよ。時間がなかったんです」

大人気ないな、と思いつつ将は反論した。

「ハハハ!」

突然演出家は笑うと

「やる気あるじゃん……、上等、上等」

将に向き直った。

「じゃあ、さっそく、この話の説明しよっか。……でも本来は、自分で台本を読んで理解しないといけないところだからね」

と丸い目をきらっと光らせた。年齢に似合わない、子供のような瞳だ、と将は思った。

「この話は、少女が殺害されて、犯人は誰だ、という話ね。で、将くんの役である、尾崎優は、冤罪を着せられる不良少年。

でも、本当は殺人現場の唯一の目撃者なのね。だけど、親に対しての復讐心というか反抗心があって、

犯人のままでいて、親の社会的地位をめちゃくちゃにしてやりたいと思って黙ってる……という設定」

「あ、役の名前は、『将』に変えてもらいました」

と武藤が口をはさむ。

将は台本を素早く目で追う。

しかし、シーンごとに細かく区切られているせいか、読んでいるだけでは、いまいち話がわからない。

演出家は将の役の抱えている内面などを細かく説明した上で、

「でも最後には、主役の女弁護士である大岡政子が将くんが犯人じゃないという証拠を見つけてきて、無罪放免になるわけ。

……まあ、こうやって聞くと複雑だと思うけど、セリフは少ないから」

演出家のいうとおり、将の登場シーンはほとんど、

(優、黙り込んでうつむく)

(優、政子をにらみつける)

(優、目を見開いて立ちすくむ)

とそんなト書きがほとんどだ。

「ま、論より実践。やってみよっか。じゃ武藤さん、政子やってみて……シーン1-5からやってみようか」

武藤は「ハイ」とうなづいて、さっそく、主役の大岡政子のセリフを読み始める。

「『あなたの弁護を担当する大岡政子です。よろしくね』」

プッ。

将は吹きだしてしまった。

「こら!」

そんな将に演出家が目をむく。

「だって、だって、なりきってるんだもん」

将は堪えられずに笑ってしまった。武藤はちょっと頬を赤くしながらもムッとする

「これが仕事なの!将もなりきらないと。明日の台本(ほん)読みはこんなんじゃないよ!」

「そうだよ、笑うのはサイテーだよ……まあ初めてじゃ、仕方ないけど。じゃ次、将のセリフ『弁護なんて必要ないしぃ』」

演出家にもたしなめられ、将は自分の部分を読もうとした。

「べっ……弁護士なんて、必要ないし」

武藤と演出家が同じように額に手をやった。

「ックううう。みごっとな棒読みっ!相当しごかないとな」

武藤がため息をつくそばで、こんどは演出家が額にあてた手の下でくっくっと笑った。

 
 

……と、こんな感じで軽食をはさみながらの演技指導が3時間。そのあとジムが1時間。

ジムの後、夕食をおごってもらったが、将はくたくたになっていた。

将は、台本をもう一度取り出すと、ソファに体を投げ出した。

「『だから、俺が殺したんだよ』、か……」

そのセリフを口にして、ふと大悟を思い出す。

今日、説明を受けていても思ったのだが、将が演じるこの不良少年『尾崎優(武藤のごり押しで、名前は将になったというが)』という役は、なんとなく大悟を思い出させる。

自分がやってもない犯罪を、被ったという点でだろうか。

それでいて、親に対しての反抗心、という部分は自分そのものだ、と思う。

いずれにしても、昔の傷に微妙に触れる面倒な役だと将はため息をついた。

将は胸の古傷に埋め込まれたトゲがチクチクと動くのに、必死で気付かないように、心を鈍感に保っていた。

……それゆえ、必要以上に棒読みになってしまった、というのもあるかもしれない。

 
 

それにしても、大悟はいったいどこに行ったんだろう、と将は携帯を取り出して掛けてみる。

……あいにく、電波が届かないらしい。地下のクラブにでもいるんだろうか。

昨日も……聡の部屋に泊めてもらえなかった将は、12時ごろ帰宅したのだが、そのときもまだ大悟はいなかった。

朝、登校前に部屋をのぞくと、着替えもせずに布団の上に倒れこむように大悟は寝ていた。

その服装から、おそらく夜遊びに行っていたのだろう、ということがわかる。

井口が言っていた……ヤバイ薬を売っていた、というのは本当だろうか。

売っているのは、昔のように偽の薬なのか。

それとも……本物?

本物ならば、どこで調達しているのか。

昼間働いていないのなら、夜遊びの金など……まして薬を仕入れる金もないはずだ。

将は、ソファから起き上がると、大悟が寝室に使っている部屋のドアをあけた。

部屋を見渡す。

万年床になっている布団。壁に掛けられた着替え、かごの中に畳まずに突っ込まれた服。

なんら異常はない中で、将の目をひいたものがあった。

スタンドの下に、きちんと畳まれた女物の衣服の上に、小さな白い犬のぬいぐるみ、骨が入った小さな瓶、瑞樹が写ったプリクラが並べられていた。

おそらく、瑞樹の遺品だろう。

雑然とした部屋の中でその一角だけが、きちんと整っていた。

それを目にして……最近の大悟の行動に、何か一言忠告しなくては、といきまいていた将だったが、そんな気分はしぼんでしまった。

1ヶ月以上が経った今も……大悟はおそらく瑞樹のことで受けた傷が癒えていないのだろう。

だったら、なおさら。将は大悟が立ち直るために、早く伝えたいことがあった……保護者の件だ。

そして、大悟の保護者の件に関連して、将は忘れていた昼間の電話を思い出してしまう。

将は眉間に拳をあてると、走り来る巌の……自分を愛してくれた数少ない血族の最期を思い、うち震えた。

 
 

今日の昼休み。

早々に昼食を食べ終えた将は、ハルさんに、巌の容態を聞くべく電話をかけた。

意識が戻った、とのことだったので、巌本人とも話せれば……できれば話して謝りたいと思っていた将だったが、ハルさんは巌の状況について、言葉を濁した。

「何、意識が戻ったんじゃないの?」

将は携帯に食いつくように尖った声を出した。

「いえ、ええ。意識は戻られたんですが……」

「危ないの……?」

将はおそるおそる、それを口にした。

賑やかな学食の一角から、自然に足が外に向かい、建物の陰に移動する。

「いえ、危ない、というわけでは……。ただ」

「ただ?どうしたの」

ハルさんは沈黙ののち、

「将ぼっちゃま、西嶋が参りましたので、代わります」

うろたえたように、電話を代わった。

「お坊ちゃま、西嶋でございます。……御大から承った、お坊ちゃまのお友達の保護者の件ですが、私の弟が承りました」

運転手の西嶋に電話が代わったことによって、将が知りたい巌の容態から話も自然に切り替わった。

「西嶋さんの弟?」

「ええ。私の弟は、都内で小さな工場をやっているのですが、将ぼっちゃまのお友達の保護者を引き受けさせていただくことになりました」

「ヒージーが西嶋さんに頼んだの?」

「はい。昨日、御大は意識が戻られて、すぐに私に仰せ付けられました」

と西嶋は続けた。西嶋の弟夫婦には子供がいないので、大悟が希望するなら同居も養子縁組も可能だという。

「……弟夫婦は大変世話好きでして、巌様からのご紹介で海外からの留学生を毎年、ホームステイさせたりしているほどなんです」

「そうか……」

運転手の西嶋は実直な人柄だし、その弟も巌と面識があるのなら、信頼できるだろう。

将は身近なところで大悟の保護者が見つかったことに安心した。

「で……、ヒージーは、大丈夫なの?」

巌自ら西嶋に話をするぐらいだから、大丈夫なのだろうと将は少し安心して再度問い掛けた。

「ハイ……。ただ、全身に麻痺が残っているようです……」

遠慮がちにおずおずと話す西嶋の声は、さっきの保護者の件を話すときと違って明らかに低くなっている。それが事の重大さを物語っている。

「動け……ないの?」

「残念ながら、今のところ……」

将は息を飲み込む。

「ただ、ご本人の気力はしっかりしておられます。リハビリに取り組みたい、とさっきも力強くおっしゃっておられました。もう少し回復したら都内の病院に転院されるかもしれません」

西嶋は将が相手だから、極めて希望的に伝えたのだろう。

容態の希望のなさ、は最初のハルさんの態度からもわかる。

100歳の老人が全身麻痺になれば……回復の見込みはほとんどないだろう。

それで、ハルさんは言葉を濁していたのだ。

将は目の前が真っ暗になる気がしてしゃがみこんだ。

西嶋を不安がらせないために

「わかった。保護者の件は……本当にありがとう、近いうちに絶対に大磯に行くから」

とだけ返事をした。

粘りつくような回線を切ると、膝に頭を埋めた。

昼休みの喧騒も何も聞こえなくなった。

心臓の波打つ音、ヒージーから続く血を駆け巡らせる音だけが地響きのように聞こえる。

その血の、いとしき源が……近いうちに逝ってしまう。将は恐怖に震えた。
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