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第11章 18歳の誕生日

第196話 青い朝(1)

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いきなり、携帯がバカでかい音を立てた。メールの着信音だ。

――せっかく気持ちよく寝てんのに。うるせえなあ……。

将は瞼を閉じたまま、無意識にいつも近くに置いているはずの携帯をさぐった。

次の瞬間、いつもと勝手が違うことに気付いて、目を見開く。

ガバ、と上半身を起こした。

違う。将のベッドではない……ここは聡の部屋だ。

「うわ!」

自分の姿に気付いた将は、たった一人で声をあげる。

何も身につけてなかった。真裸だった。

あわてて見回すと、フローリングの床の上に、将の衣類がきちんと畳んで置いてあった。

だが、なぜ、真裸で聡の部屋のベッドで寝ているのか。

そして聡はどこに?

将は思い出そうとして、激しい頭痛にそれを阻まれた。

「……っいてー」

将は、畳んだ服の一番上に置いてあった携帯をなんとか取り上げると、頭を押さえてもう一度ベッドに転がった。

仰向けになって眺めた青いカーテンのあたりは、もう陽が高いことを示している。

将は、鈍く痛む頭を動かさないように、昨日を思い出そうと試みた。

しかし、大悟のスピリタスを拝借して、酔っ払ったまでは覚えているが、その後の記憶は遥として知れなくなっている。

横たわったまま、携帯を開く。今着信したメールは、マネージャーの武藤からだった。

着信履歴の2番目に聡の名前があった。

そうだ。聡のメールを受け取って……電話をかけたんだ。

そこまではなんとか思い出したが、その後は……。

将は目を閉じて、記憶をたぐる。

苦悩。慟哭。不安。孤独。後悔。

将の中で出口を持たずにうずまいていた、負の感情。

やりきれない思い。

そんなものに飲み込まれそうで。

それを、どうにかしてほしくて……救いを聡に求めたのだった。

だが、今の将に……それらはもはや責めて来る事はなかった。

聡はゆうべ確かに将を救ってくれたのだ。

柔らかくてあったかい聡の肌に包まれて……将は行き場を失っていた感情の代わりのものをぶちまけた。

その肉体的な感覚を伴った解放感を思い出して、将は思わず目を開けた。

そして自分のそれに触れてみる。

シャワーを浴びていないそれは、べたべたとゆうべの行為を証言した。

将は、確かに聡の中で射精したようだ。

だけど……、そこへの道のり、いやその行為そのものも思い出せない。

記憶は、すべて感覚に昇華されてしまっている。

将は目を閉じると、わずかに残ったその感覚を反芻した。

温かい液体にすっぽりと包まれた幸福感。

放出する瞬間の圧倒的な……すべてが蒸発していくような快感。

そして……聡の肌のぬくもりと、優しく背中を、髪を撫でる手。

「アキラ!」

将は、再び身を起こすと、部屋を見回した。

時計はもう10時近くを指していた。今日は月曜日、とっくに聡は学校にいったのだろう。

ローテーブルの上に、伏せたお椀、グラスそして頭痛薬と共にメモが置いてあった。

=====

おはよう。

たぶん二日酔いだよね。

今日は入学式だから、学校は休んでもいいよ。

PS

おみそ汁はあっためてね。

あきら

=====

授業中に見る黒板の字より、若干くだけた字ながら、いつも通りの落ち着いた聡の字。

そこには、最後の一線を越えたことなど、まるで感じさせない日常があった。

将は、聡に会いたくて、

会って、昨日二人が結ばれたことを確かめたくて、

頭痛を押して、急いでシャワーを浴びる。

 
 

今年の新入生は、100人あまり、上級生たちより1クラス多く、3クラスになった。

卒業式同様、入学式も上級生同席で、無事行われた。

1年生は入学式後もいろいろとレクチャーがあったり、健康診断があったりするが、2、3年生は1時間のHRのあと、午前中で下校となる。

今日のHRは、6月にあるクラスマッチについての種目決めだ。

生徒数が少ない荒江高校に体育祭というものはなく、代わりにさまざまな種目をクラス別に競うクラスマッチがある。

体育祭をしないのは、応援合戦で喧嘩になったり、体育祭後に飲酒をしたりするのを抑える低偏差値校ならではの配慮でもある。

ちなみに、サボるとポイントがいつも以上に引かれ、かつ、各種目の優勝クラス全員にポイントが加算されるというところはこの学校ならではの仕掛けだろう。

聡は教壇に立って、議事をクラス委員に任せるべく、前ふりをしていた。

「じゃあ、あとは星野さんと兵藤くん、お願いしますね」

と言ったところで、教室の前の入り口がいきおいよく開いた。

将だった。

聡の部屋から直接学校に来たのだろう、私服のままで、急いで階段をあがってきたのか息を切らして、聡を見つめていた。

そんな姿は、二人が初めて教室で顔をあわせた日を聡に思い出させた。

思わず引き寄せられてしまう瞳を、引き剥がすようにして、

「早く席について」

と事務的に聡は言い放った。

「……ハイ」

将は息を切らしながら、素直に席についた。4月から廊下側の、やはり前から2番目の席になっている。

「じゃ、星野さん、兵藤くん、お願い」

聡はあらためて、議事を彼らに渡してしまうと、彼らの会議を見守るべく、教室の後ろの空席に座る。

そうすることによって、将の姿は、他の生徒の陰に隠れてしまい、好都合なはずだった。

だが。気を抜くと……いつしか、聡の思考は将のそばに寄り添ってしまっている。

たとえ、陰に隠れていても、体中に残った将の感触が、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように将のいる方角へ引き寄せられていくのがわかる。

体内に残る、将が熱く駆けぬけた跡に、聡はこっそりと意識を集中させると、窓の外に目をやった。

今日もよく晴れて、窓の外には若葉が揺れている。

 
 

今朝。

ベッドの上で聡は、カーテンが紺から群青へ、そして青へと変化していくのをぼんやりと見つめていた。

横たわった乳房のあたりに、向かい合って横たわる将の頭があった。

将は、眉根を寄せて少し苦悩しているような、いつもの寝顔で、ときおり鼾をかきながら眠っている。

ときおり、無意識に聡にまわした腕に力を込める。

そのたびに、聡に刻印された快感の余韻が、ぴくりと目を覚ます。

まだ、将が何度となく往復した、聡の中の粘膜は、どことなく熱い感じが残っている。

ときどき……将が放ったものがとろとろと流れ落ちる。

そのたびに、聡は将の髪を撫でた。

体には、まだ熱い感覚があちこちに残っているけれど、聡の心は静かだった。

『アキラ、俺を助けて』

昨日の夕方、いきなり電話をかけてきて、そう訴えた将。

30分もしないうちに聡の部屋に現れた将は、ひどく酔って、そして憔悴しているようだった。

そして聡に抱きつきながら、もう一度

『助けてくれ』と連呼しながら泣いたのだ。

その悲痛な響きに、聡はただ将を抱きしめた。

圧倒的な将への思い……愛情は、将が人を殺した過去など軽く凌駕してしまっていた。

将がなぜ、これほど激しく悲しむのか、後悔しているのか、救いを求めているのか。

理由を知るよりも、まず救いたくて、聡は将を抱いた。

哀しいまでの将への思い。それがつのって、そんな形になった。

自分の中で激しくうずまいていたであろう、やりきれないものを、聡の中に吐き出して、こときれた将は、ひたすら眠っていた。

――もう、戻れないかな。

聡は、青いカーテンの色に自分の瞳を染めながら、ぼんやりと感じていた。

ついに体が……という形式が、ではない。

自分の中に確かにある、将への愛。

将がどんな過去を持って、どんな人間であろうと。

聡は、もう将を見捨てることも、逃げることもできないところまで愛してしまっていた。

肉体的に結ばれることは、単にそれを確認したに過ぎないのだ……。

 
 

将が再び、ぎゅうっとしがみついてきた。

「アキラ……」

寝言を呟く。乳房に顔を押し付けるようにする。

いよいよボサボサになった将の髪を梳きながら、聡は自分の中に今までにない感情が生まれているのを感じた。

何かわからないけれど、母性のようなもの……。

今まで、聡にとって、男と寝ることは、すべてを『任せる』喜びだった。

精神的にも、感覚的にも、どこか……感情の、感覚の、果てへ連れて行ってもらい……そのあとは、子猫のように男の懐で無防備に眠る。

それが『寝る』悦びだったはずだ。

だけど、今回は違った。

聡は、ひたすら将を受け止めて、包んだ。

将は、自分の中にうずまく何かをぶつけるように、聡の一番奥に激しくぶつかった。

そんな何かに憑かれたような行為は、けして技巧的に長けたものではなかったけれど……聡はそれで大きな満足感を感じていたのだ。

嵐のような将のすべてを飲み込んで、聡の心は静かな湖面のように凪いだまま青い朝を迎えていた。
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