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第11章 18歳の誕生日

第190話 禍々しい形見(2)

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「……将、大悟くん、今考えると、何かすごく思いつめた感じだった……。だから……お願い」

聡に念押しされなくても、将は、大悟が心配でたまらなくなった。

聡と一刻も早く逢いたいのは変わらないが、こんな心配事を抱えたままで彼女を抱くのはよくないように思えた。

「……わかった。なるべく早く見つけて、そっち行くから」

電話を切った後で、将は深いため息をついた。

 
 

聡は、ベッドに腰掛けたまま切れた携帯を見つめた。そこには将の待受画像があった。

気取っているけど、くったくのない表情。

そんな将がいとおしいのは変わりはない。もし目の前にいたなら……そのぬくもりを確かめたくなるだろう。

だけど、彼は『殺人』という、人間に存在する罪の中でもっとも重いものを犯している。

聡は、将がその罪を犯した状況は理解していた。

仮に。

もし、聡の目の前で、将がヤクザに指を切断されそうになっていたら……そこに刃物があれば聡はためらわずヤクザにそれを突き立てるのかもしれない。

理屈、いや心でも、それは理解できることだ。

なのに。

とにかく今日は、将に抱かれるわけにはいかない。

聡は心の奥深くで、すでにそんな風にジャッジを下している。

大悟を探して、と将に願ったうち本心は1/3で、残りは、時間稼ぎだった。

将に対して時間稼ぎなんて真似をする自分が信じられない。

そんな自分が哀しくて聡は携帯を握り締めたまま、ベッドに再び倒れこんだ。

単に今はショックを受けているだけだ。

きっとそうだ。あまりにも事が衝撃的だったから。

そんな風に思い込もうとした聡は、いったん起き上がると蛍光灯を消す。

テレビのほうは、さっき消してある。

昼だというのに濃いグレーに沈んだ部屋は、外の激しい雨音がいっそう響くようだ。

雨音から逃げるように掛け布団とシーツの間に頭までもぐりこむ。

――とにかく今は少し眠ろう。

眠りは、尖った記憶を丸くさせ、波立った感情を静めてくれるだろう。

目覚めたときは、元のように、将に抱かれるのが待ち遠しくなっているに違いない。きっと……。

聡は布団で胎児のように丸まった。

布団の中まで忍び寄る雨音は、最初耳障りだったが、やがて子守唄になり、聡を午睡にいざなっていった。

 
 

大悟は、小山行きの快速に乗っていた。

聡の類推どおり、大悟は昨日、瑞樹の祖母から電話をもらっていた。

どうして、自分の番号を知っているのかわからなかったが、瑞樹の祖母は、遠慮がちな口調ながらも、大悟のことを瑞樹の恋人だったと認識しているようだった。

『先日、東京で、あのこの形見わけをしたんです。それで、もしよかったら、島さんにももらっていただけたら、あのこも喜ぶと思って……』

深酒をしたおかげで、すっかり忘れてしまっていたが、思い出した大悟は、さっそく今日もらいにいっていいか、と連絡を入れた。

小山入りするのに新幹線は避けてしまっていた。

いや、避けたくなくても、大悟の手持ちの金では乗れなかったのだ。

おかげで……あの惨劇の現場を直接目にすることなく、大悟は小山に着いた。

在来線でかつ昼のせいか、あの悲劇をオーバーラップさせる要素はほとんどなかった。

それでも『新幹線のりば』という案内板が大悟の心のかさぶたを引っ掻く。

あのとき、何も見えていなかったはずなのに。

線路上にうずくまる瑞樹。

次の瞬間には、もう縞模様になって通り過ぎる新幹線の車両しか視界になかった……。

あのとき、瑞樹の腕を掴めていれば。

いや、もっと早く、瑞樹を迎えに行っていれば……禁断症状が起きることに早く気がついていれば。

大悟は、今までに何度となく繰り返した後悔を再び繰り返す。

それを振り払うようにして、大悟は瑞樹の祖母の家方面のバスのりばに足を運んだ。

ここでも強い雨に、黒く染まったアスファルトが雨雲を鈍く反射していた。

 

もし、大悟が瑞樹の祖母を前から知っていたら、その老け込み方に驚いたことだろう。

しかし、幸い大悟は、前の姿を知らない。

茶色に染めた髪がとび色に見えてしまうほどのくすんだ白髪に、深く刻まれた皺のこの女性に何の疑問も持たずに挨拶をした。

瑞樹の祖母・春江は駅から少し離れた小さなアパートに独りで暮らしていた。

何の変哲も無いモルタルのアパートだが、雨の中、寄り添う木立がその建物を少し優しげに見せていた。

「あなたが瑞樹の……」

春江は大悟を見ると、涙を流した。

年をとって涙もろくなっているのだろうか……相手がおくめんもなく感情を見せる分、大悟は自然に気丈になっていた。

驚くことに、瑞樹の位牌はこの老婆の部屋にあった。

大悟は、はからずも、ここで焼香することができた。

線香の香りは、雨音が響くアパートの部屋に静かに広がっていった。

位牌と共に飾られた写真は、瑞樹が小さな頃のものと、大悟も持っているクラス写真の2つだった。

他人が見たら、その2枚は、同一人物とは思えないほど印象が違った。

小さい頃の瑞樹は、笑い声が聞こえてきそうな笑顔だった。まん丸なほっぺがいかにも健康的だ。

それに対して、クラス写真はまっ白な顔に真っ黒な髪と、ファインダーに注がれる冷たい瞳。

美しいが見るものを威圧するような冷たさに満ちていた。

「あんな家に置いておくなんて、あまりにも可哀想なものですから」

と春江は大悟の背中に向かって激しい語調で言い放ち、また涙を流した。

泣き崩れるこの老婆は、瑞樹の死の真相を知っているのだろうか。

直接的なもの……覚醒剤のほうはおそらく知らないだろう。

だが間接的なほうは……すなわち、義父からの性的虐待については知っていたのだろうか。

だが、霊前でそれを口にするのを憚られた大悟は、代わりに訊いてみる。

「僕のことは、どうして……?」

「瑞樹が、教えてくれました。大事にしてくれる人と一緒に滋賀にいく、って……。あのこが逝く1週間前に……」

春江の瞳は、まるで涙の塩が水晶体にこびりついてしまったようなグレーだった。

そんな目をしばたかせながら、生前の瑞樹のことを話し出した。

「まだ17歳ですから、私は心配だったんですが、とても落ち着いてて、今までになく幸せそうな様子だったので……」

言葉と一緒にほとばしり出るように、グレーの瞳からは、また涙が溢れてくるのだった。

天が彼女に同情するように、雨音はあいかわらず続いている。

    ◇ ◇ ◇

『滋賀って……お前、高校はどうするのかい?』

『もう、ほとんど行ってないもん』

と瑞樹は春江に笑顔を見せた。

『もし必要なようだったら、大悟と一緒に夜間にでも行くよ』

『でも……滋賀は、遠いねえ。こうやってしょっちゅう遊びにこれなくなってしまうんだろ』

『おばあちゃんが、遊びにきなよ。京都とか一緒にいこうよ』

『そうねえ……。その、大悟って人は、どんな人なの?』

『すっごく、いい人だから心配しないで。ほら!……いまどきの若い人にしては、まじめそうでしょ』

瑞樹はそこで携帯で撮影した写真を見せた。

瑞樹と一緒に新幹線でこなごなになったであろう携帯には、まだ今より髪が短い頃の大悟と瑞樹が写っていたという。

    ◇ ◇ ◇

大悟の携帯番号を聞いたのも、そのときだったという。

「一度、電話ででもご挨拶、と思っていた矢先に……ふびんな子だよ」

春江は、皺だらけの顔がほとびんばかりに泣き出した。

思わず、大悟の目も熱くなり、大悟はあわてて瞬きをした。

「あの……それで、形見を」

「そう、そうだったわね」

春江は涙をぬぐうと、奥の間によろよろと入って、ボストンバックを持ってきた。

「これ……。あのこが滋賀に持っていこうとした荷物です」

大悟は、開けてもいいかと訊いて、そのジッパーを開けた。

「着替えが中心なんですけど……」と春江が言い添える。

きちんと収まった荷物の一番上に、小さなぬいぐるみが入っていた。

白、というよりはグレーの小さな掌サイズの犬。

大悟はそれをそっと取り出した。

「小さい頃あのこは、それをとっても気に入っていてねえ。お母さんに構ってもらえないからなのか、いつも独りでそのこを握りしめててねえ……」

白かったであろう犬は、瑞樹の愛着のままに、その孤独を吸い込んだような寂しげな色に染まっている。

大悟の手の中で、犬はその黒い瞳を大悟のほうに向けた。

はっきりと表情をつくっていない犬の顔は、嬉しいようにも悲しいようにも見えた。

大悟は犬をそっと握ってみた。犬は、古いぬいぐるみ特有の柔らかい感触を大悟に残した。

おそらく、幼い瑞樹の心に同情するように共鳴して、その表情を変えたのだろう。

「そのバッグはあの駅の……ホームに置いてあったんです……」

そういうと、春江はまた湧き出た涙をぬぐった。

犬は……バッグの中で、瑞樹の最期にどんな表情で沈黙していたのだろうか。

それはわからないが、大悟の手の中の犬は、とてつもなく寂しげな顔に見えた。

正視することに耐えられず、犬を握ったまま、大悟は下をむいた。

そのジーンズの腿に、パタパタという小さな音と共に、濃紺の丸い染みが複数現れた……ついに堪えられなくなった大悟の目から、涙が落ちたのだ。

「瑞樹……」

大悟は、このままだと、とめどのない哀しみに飲み込まれそうになる、とあわてて犬を絨毯の上にそっと置くと、涙を手の甲でぬぐった。

そしてボストンの他の荷物を注意深く出す。本当に着替えが中心だった。

ポケットに固い手触りがあった。

大悟は手探りでそれを探し出すと取り出した。鍵だった。おそらくコインロッカーだろう。

「何かしら……気付かなかったわ」

春江が目を見はる。
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