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第7章 教師と生徒の同棲

第103話 入院中(2)

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病室に入ってきた瑞樹を将は黙ってにらみつけた。

瑞樹は最初、将の顔をその大きな目で見たが、将の形相を見て下を向いた。

ウィッグの長い髪が顔の両側を覆い、瑞樹の表情を隠した。

しかし、出て行くわけではなく、閉じたドアの内側に佇んだままだ。

沈黙が続いた。

「……何の用だよ」

先に声を出したのは将のほうだった。

下を向いていた瑞樹は、将の声に反射的に顔を上げた。

しかし、いつもの、人をバカにするような冷たい表情でも、将だけに見せる媚びた笑顔でもない。

顔の筋肉に力が入っていないような……ニュートラルな顔だった。

呆けたようなその唇から漏れた言葉は

「お金を……貸して」

だった。

将は、にらみつけるのをやめて、下を向いて一瞬、ハッ、と笑った。

そしてもう一度瑞樹のほうに顔を向けた、

左目だけ目を細めるように眉根を寄せた、人をいぶかしがりながら、さげずむ表情。将がよくする顔だ。

「お前さ、そんなこと頼めるギリかよ」

将の言葉にも、瑞樹は呆けた顔をやめない。

「アキラにとんでもないウソついてよォ! どういうつもりなんだよ」

聡の名前を聞いて、瑞樹はようやく、再びうつむいた。しかし返答もしないで黙ったままだ。

瑞樹がだまったままなので、将は瑞樹を、にらみつけながら観察した。

うつむいているが、震えるわけでもなく、どことなくふてぶてしい感じだ。

将はベッドにいる自分がもどかしく感じた。

動けるなら、肩をゆすって威嚇するなり、手をひっぱって病室の外に追い出すなりしたい。

しかし、昨日手術したばかりの左足を固定している将は、彼女をにらむしかできない。

たぶん、貸してほしい金の使い道というのは中絶費用だろう。

イライラした将は、むしょうに煙草が吸いたくなった。

「誰の……だよ。腹の」

と、この状態にいらつく将は多少譲歩して、問い掛けた。

なのに瑞樹は答えないままだ。……時間を稼ごうとしているのだろうか。

将のイライラは頂点に達した。

「あのさ。出て行ってくれない。俺、ムカついて気分悪いし。てかお前が男だったらブン殴ってる。

……金は貸せないし。自分で援交でもすれば」

言ってしまって、将は自分の言葉の冷酷さに、ややビクついた。

しかし……瑞樹はふてぶてしい女だということを将はよく知っている。

これぐらい言わないと、わからない。と将は自分の良心に言い訳した。

瑞樹は、やっと顔をあげた。

その目に涙が溜まっている。すがるような顔だ。

「将、お願い。センセーにウソついたのは謝るよ」

声を出したとたん、涙がぼろぼろとこぼれる。大量に流れたそれを両手でぬぐう。

そんな、か弱い女のようなポーズを、瑞樹がするのを初めて将は見た。

「……だって、だって。センセーが……。将を取ったセンセーがにくたらしかったんだもん……。困らせたかったんだもん」

しゃくりあげ、嗚咽をまぜながらの泣き声は震えて、いつもの落ち着いた瑞樹の声とかけ離れている。

表面はそんな瑞樹を睥睨しながら、将は内心動揺していた。

「私、……将のこと、本当に好きだったから……」

震える声でそこまで言うと、瑞樹はしゃがみこんでしまった。

顔を覆っているので表情は見えないが、肩を激しくふるわせている。ときどき嗚咽と、しゃくりあげる声が聞こえる。

将の中で罪悪感、というものが顔を出す。

それは、いつも瑞樹に対して抱えていたものだ。

愛情もない瑞樹を、性の発散の対象としていたことに対して……。

毎日のように瑞樹を抱いていた頃は、それはまったくといっていいほど感じなかった。

避妊しているし。俺は義務はきちんとしている――と、うそぶいていた将。

だけど、聡を愛したことによって……そんなふうに女を排泄道具のように抱いたことが、いまさら罪の意識となって発作のように襲い、将は苦しんだ。

そして今。『どっちもどっちだったから』と無理やり覆い隠していたそれが、将の心を動かしていく。

しかし将は、嗚咽する瑞樹をもてあましていた。

聡を複数の男に襲わせようとしたり、聡に嘘をついたりしたことは、やはり許しがたい。

だから、将は瑞樹の体をいわばオモチャのように使ったことについて、謝れないでいた。

将は、瑞樹の姿を見るのがつらくなって、そっぽを向いた。

「金って……、中絶費用?」

瑞樹をみないまま、宙に問い掛けるように訊く。

「……ウン」

瑞樹はあいかわらず嗚咽しながら答えた。

「いくら、かかんの……?」

「15万ぐらい」

将はそっぽを向いたまま、ため息をついた。

高校生には高額な金だ。しかし将には最近、儲かった株がある。それを現金化すればたいしたことのない額だ。

将は、瑞樹をもう一度見据えた。

「もう、アキラに変なことしようとか考えるなよ」

瑞樹は立ち上がった。泣きはらして、ぐちゃぐちゃになった顔だ。マスカラがとれて下瞼にくっついている。

将は、瑞樹がそれを丹念に塗る動作を思い出した。

瑞樹はマスカラがとれたままの顔で、深くうなづいた。

「絶対、だぞ」

将は念を押した。

「わかった……」

瑞樹はうなづきながら、将のベッドに近寄ってきた。

将は思わずあとじさりしたくなったが、あいにくベッドから動けない。

「それで……将、もうひとつお願いがあるんだ……」

「な、何だよ」

瑞樹はベッドの脇に立った。目線は将と同じぐらいの高さにある。

「中絶の書類にサインしてほしいの」

将は、眉根を寄せて、瑞樹を見つめた。瑞樹は泣きはらした顔のまま将をじっと見ている。必死な表情だ。

――何をいうんだ、この女。

「何で……俺がそんなことする必要があるんだよ。サインぐらい相手にしてもらえよ」

将は瑞樹から目を逸らすと、冷静に言った。

「……してもらえないんだもん」

将はおそるおそる……しかし表面上はそんな様子を見せず、瑞樹を見やった。

瑞樹は、またうつむいている。その目から、雨だれのように涙がポタ、ポタ、と下に落ちていく。

「サインしてもらえないって……、お前、相手誰なんだよ」

瑞樹は歯を食いしばったような顔で、顔をあげた。涙が頬をつたう。

すこし間をおいて、覚悟したように相手の名前を告げた。

「前原……」

その名前を訊いて、将は納得した。

カンベツに入所している前原に、たしかにサインは出来ないだろう。しかし瑞樹は、思いつめた声でさらに続ける。

「……か、オヤジ」 
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