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第4章 すれちがい
第72話 それぞれの年末(1)
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電話を切ったとたん、将は我に返った。
なんか腹立ちまぎれにひどいことを聡に言った気がする。
――すぐに掛けなおして謝らないと。
そう思ったが、なぜか指が動かない。
将は携帯を握り締めた手をあげたり、おろしたりして何分か迷った末、やっと聡に掛けなおした。
しかしその時にはすでに飛行機に搭乗してしまったのか、電波がつながらなかった……。
将は自分が取り返しのつかないことをしたのでは、と気が気でなかった。
高速バスのアナウンスがまもなく萩に到着することを告げた。
1年ぶりに帰る萩は曇り空だった。日本海側にある萩は、冬の間は曇っていることが多い。
聡はバスの窓の外に映る曇り空に吹きかけるようにため息をついた。
ほどなく、バスは東萩駅前に着いた。
父か母が車で迎えに来るはずだが、まだ着てないらしい。
聡は携帯を手にする。習慣的に発信履歴をあけてしまう。一番上には鷹枝将の名前。
それを見て、またため息をついた聡に、寄ってくる若い女がいた。
「聡、聡じゃない?」
聞き覚えのある声に聡が振り返ると、そこには高校時代の同級生だった初美がいた。
「……初美?」
「久しぶり~!」
初美は人懐こい笑顔を浮かべて寄ってきた。
「ちょっと、ちょっと、聡、すっごく女っぽくなっちょらん?」
「えー、そんなことないよー。ところで初美、なんでここにいんの?東京で就職したんじゃなかったっけ?やっぱり里帰り?」
初美はにっこりと笑った。
「ま、いろいろ。ね、お茶しない?」
お茶といっても、萩にはスタバなどのカフェはない。
二人は萩で一番賑やかなあたりにある昔ながらの『喫茶店』に入った。
聡が高校生ぐらいまで、ゲーム機械がテーブルがわりだったように記憶しているが、さすがに今はない。
しかし、ひさしぶりに来てみると、わりとコーヒーは美味しいように思った。
さっそく同級生の近況に花が咲く。
「美佐はあいかわらずでねー。もう3人の子持ちだよ」
美佐というのは、例の、卒業してすぐに国語教師と結婚した元同級生だ。
この初美と聡は高校の間ずっと同じクラスで仲がよかったにも関わらず、こんなふうにおしゃべりするのは本当にひさしぶりだ。
初美のほうはセミロングだった髪をショートにしたぐらいで、茶色っぽい地毛に小麦色の肌、切れ長の目、と顔立ちもほとんど変わっていない。
たしか、地元国立のY大に進学して、成人式の年に一度会ったが、それきりだ。
「でもさー、本当に聡、別人みたいに女っぽくなったねー。さては結婚相手でもできた?」
結婚相手、という言葉にすこし心がきしむ。
「そんなことないよ。ところで初美は駅で何してたのよ」
「ああ、東京から来たお客さんを見送りにいっちょった。私、実は半年前からここに戻って修行してるんよー」
「修行って、何の?」
「萩焼、というか萩ガラスというか」
と嬉しそうに笑顔を浮かべながら、自分がしていたペンダントをはずして見せてくれた。
そのペンダントトップは小さなクッキーのような陶器に、細かいひびが入った白っぽい水色のガラス釉がかかっている。
昔カナダで見た氷河のような、冷ややかな水色に入ったひびが、光を反射させてオパールのように輝き、なんとも美しい。
「きれい……」
手に取った聡は目をみはった。ガラスでも陶器でもない、こんなのを見るのは初めてだった。
「萩焼に萩ガラスの技法をあわせたものなんだけど、私が弟子入りしている先生が考えたものなんよー」
初美は会社を辞めてそのアクセサリー作家のもとに弟子入りし、学んでいるのだという。
「で、このペンダントトップは私がはじめて成功させたものなん」
「すごいね、初美、すごい」
聡はそのペンダントトップにしばらく見とれた。
「萩に戻ったと言えば……、秋月くんも戻ってるよ」
「え」
聡はひさしぶりに聞く懐かしい名前に思わず手にしていたペンダントトップを取り落としそうになった。
脳裏に、優しい目と、柔らかい声、懐かしいガクラン姿が浮かぶ。
「秋月くん、1年前に結婚して帰ってきて旅館を継いだんよ」
――結婚、したんだ。
聡は飲み干したコーヒーのかわりに水を飲んだ。心をなだめるように。
「彼も、2日の同窓会来るって。きっと彼びっくりするよ、聡を見て。もちろん聡もくるっちゃろー?」
「うん。行く」
心に一瞬たったさざなみ。秋月くんが、萩にいる。また会える。
高校生のときに好きだった、というより憧れていたひと。
だけど結局結ばれることもなく、何年も前に封印された思い。
聡はホコリを被った箱の中から、読みかけの本を見つけたような気がした。
「それは、そうと、東くんはどうしてるか聡知ってる?」
「うわ、その名前もめっちゃ懐かしい」
聡は、秋月のときとは対照的に、手を髪にやって笑った。
こっちは聡が高校生のときに付き合っていた相手である。
「ていうか、付き合ってた相手やろーが」
初美は笑いながら目をむいた。
「知らん。大学入って自然消滅したもん」
現役で東京の大学に進学した聡は、浪人したという東のその後をまるで知らない。
聡は16才で彼と初体験をしている。そんな相手なのに、消息を知ろうとも思わなかった。
秋月に淡い思いを抱いていた聡だったが、東が聡に告白し、なかば強引に交際が始まったのだ。
真面目なサッカー少年だった秋月も下級生に人気があったが、コピーバンドのベースをやってた東は萩じゅうの女子高校生が知っている、というほどの有名人だった。
ちょっと危ない感じの強い視線は、少し寂しい色が混じっていて、告白された聡はその瞳にやられてしまった。
まもなく、聡は同意の上で、東と寝たのだが、そういう関係になっても、秋月に対する淡い思いは忘れがたかった。
それにしても。
東の、あの瞳は……誰かと似ている。聡はなんだかデジャヴを覚えてハッとする。
東のあの瞳は、将のそれとそっくりなのだ。
だけど、相手のペースに飲まれていく、そしてそのかわりに大事な人を失うあの感じ……。
今のシチュエーションは逆だ。役者を変えて、また同じことが繰り返されるのだろうか。
――将。
聡の脳裏が将の画像でいっぱいになる。
『もういい』と電話は切られてしまった。
いっぱいになった将の記憶に押し出されたように涙がこぼれ落ちた。
「聡?どうしたん?東となんかあったん?」
初美は、話の流れ上、聡が高校時代に付き合っていた東のことを思い出して涙をこぼしたと思ったらしい。
「あ……ちがう。東のことじゃない」
聡はテーブルの上にある、吸水性の悪い紙ナフキンを手に取ると涙をぬぐって、初美を安心させるために笑顔を見せた。
「何、あたしでよかったら、聞くよ」
心から心配そうな顔だ。まるで変わっていない。
高校時代も、いろいろ悩みを打ち明けあって、一緒に泣いたりしたものだ。
こんな昔からの友人だったら、しかも東京から遠く離れている友人だったら、いっそ胸のうちを話してしまってもいいかもしれない。
「私、今年の秋から教師をしているんだけど……」
聡は言葉を選びながら悩みを打ち明けはじめた。
なんか腹立ちまぎれにひどいことを聡に言った気がする。
――すぐに掛けなおして謝らないと。
そう思ったが、なぜか指が動かない。
将は携帯を握り締めた手をあげたり、おろしたりして何分か迷った末、やっと聡に掛けなおした。
しかしその時にはすでに飛行機に搭乗してしまったのか、電波がつながらなかった……。
将は自分が取り返しのつかないことをしたのでは、と気が気でなかった。
高速バスのアナウンスがまもなく萩に到着することを告げた。
1年ぶりに帰る萩は曇り空だった。日本海側にある萩は、冬の間は曇っていることが多い。
聡はバスの窓の外に映る曇り空に吹きかけるようにため息をついた。
ほどなく、バスは東萩駅前に着いた。
父か母が車で迎えに来るはずだが、まだ着てないらしい。
聡は携帯を手にする。習慣的に発信履歴をあけてしまう。一番上には鷹枝将の名前。
それを見て、またため息をついた聡に、寄ってくる若い女がいた。
「聡、聡じゃない?」
聞き覚えのある声に聡が振り返ると、そこには高校時代の同級生だった初美がいた。
「……初美?」
「久しぶり~!」
初美は人懐こい笑顔を浮かべて寄ってきた。
「ちょっと、ちょっと、聡、すっごく女っぽくなっちょらん?」
「えー、そんなことないよー。ところで初美、なんでここにいんの?東京で就職したんじゃなかったっけ?やっぱり里帰り?」
初美はにっこりと笑った。
「ま、いろいろ。ね、お茶しない?」
お茶といっても、萩にはスタバなどのカフェはない。
二人は萩で一番賑やかなあたりにある昔ながらの『喫茶店』に入った。
聡が高校生ぐらいまで、ゲーム機械がテーブルがわりだったように記憶しているが、さすがに今はない。
しかし、ひさしぶりに来てみると、わりとコーヒーは美味しいように思った。
さっそく同級生の近況に花が咲く。
「美佐はあいかわらずでねー。もう3人の子持ちだよ」
美佐というのは、例の、卒業してすぐに国語教師と結婚した元同級生だ。
この初美と聡は高校の間ずっと同じクラスで仲がよかったにも関わらず、こんなふうにおしゃべりするのは本当にひさしぶりだ。
初美のほうはセミロングだった髪をショートにしたぐらいで、茶色っぽい地毛に小麦色の肌、切れ長の目、と顔立ちもほとんど変わっていない。
たしか、地元国立のY大に進学して、成人式の年に一度会ったが、それきりだ。
「でもさー、本当に聡、別人みたいに女っぽくなったねー。さては結婚相手でもできた?」
結婚相手、という言葉にすこし心がきしむ。
「そんなことないよ。ところで初美は駅で何してたのよ」
「ああ、東京から来たお客さんを見送りにいっちょった。私、実は半年前からここに戻って修行してるんよー」
「修行って、何の?」
「萩焼、というか萩ガラスというか」
と嬉しそうに笑顔を浮かべながら、自分がしていたペンダントをはずして見せてくれた。
そのペンダントトップは小さなクッキーのような陶器に、細かいひびが入った白っぽい水色のガラス釉がかかっている。
昔カナダで見た氷河のような、冷ややかな水色に入ったひびが、光を反射させてオパールのように輝き、なんとも美しい。
「きれい……」
手に取った聡は目をみはった。ガラスでも陶器でもない、こんなのを見るのは初めてだった。
「萩焼に萩ガラスの技法をあわせたものなんだけど、私が弟子入りしている先生が考えたものなんよー」
初美は会社を辞めてそのアクセサリー作家のもとに弟子入りし、学んでいるのだという。
「で、このペンダントトップは私がはじめて成功させたものなん」
「すごいね、初美、すごい」
聡はそのペンダントトップにしばらく見とれた。
「萩に戻ったと言えば……、秋月くんも戻ってるよ」
「え」
聡はひさしぶりに聞く懐かしい名前に思わず手にしていたペンダントトップを取り落としそうになった。
脳裏に、優しい目と、柔らかい声、懐かしいガクラン姿が浮かぶ。
「秋月くん、1年前に結婚して帰ってきて旅館を継いだんよ」
――結婚、したんだ。
聡は飲み干したコーヒーのかわりに水を飲んだ。心をなだめるように。
「彼も、2日の同窓会来るって。きっと彼びっくりするよ、聡を見て。もちろん聡もくるっちゃろー?」
「うん。行く」
心に一瞬たったさざなみ。秋月くんが、萩にいる。また会える。
高校生のときに好きだった、というより憧れていたひと。
だけど結局結ばれることもなく、何年も前に封印された思い。
聡はホコリを被った箱の中から、読みかけの本を見つけたような気がした。
「それは、そうと、東くんはどうしてるか聡知ってる?」
「うわ、その名前もめっちゃ懐かしい」
聡は、秋月のときとは対照的に、手を髪にやって笑った。
こっちは聡が高校生のときに付き合っていた相手である。
「ていうか、付き合ってた相手やろーが」
初美は笑いながら目をむいた。
「知らん。大学入って自然消滅したもん」
現役で東京の大学に進学した聡は、浪人したという東のその後をまるで知らない。
聡は16才で彼と初体験をしている。そんな相手なのに、消息を知ろうとも思わなかった。
秋月に淡い思いを抱いていた聡だったが、東が聡に告白し、なかば強引に交際が始まったのだ。
真面目なサッカー少年だった秋月も下級生に人気があったが、コピーバンドのベースをやってた東は萩じゅうの女子高校生が知っている、というほどの有名人だった。
ちょっと危ない感じの強い視線は、少し寂しい色が混じっていて、告白された聡はその瞳にやられてしまった。
まもなく、聡は同意の上で、東と寝たのだが、そういう関係になっても、秋月に対する淡い思いは忘れがたかった。
それにしても。
東の、あの瞳は……誰かと似ている。聡はなんだかデジャヴを覚えてハッとする。
東のあの瞳は、将のそれとそっくりなのだ。
だけど、相手のペースに飲まれていく、そしてそのかわりに大事な人を失うあの感じ……。
今のシチュエーションは逆だ。役者を変えて、また同じことが繰り返されるのだろうか。
――将。
聡の脳裏が将の画像でいっぱいになる。
『もういい』と電話は切られてしまった。
いっぱいになった将の記憶に押し出されたように涙がこぼれ落ちた。
「聡?どうしたん?東となんかあったん?」
初美は、話の流れ上、聡が高校時代に付き合っていた東のことを思い出して涙をこぼしたと思ったらしい。
「あ……ちがう。東のことじゃない」
聡はテーブルの上にある、吸水性の悪い紙ナフキンを手に取ると涙をぬぐって、初美を安心させるために笑顔を見せた。
「何、あたしでよかったら、聞くよ」
心から心配そうな顔だ。まるで変わっていない。
高校時代も、いろいろ悩みを打ち明けあって、一緒に泣いたりしたものだ。
こんな昔からの友人だったら、しかも東京から遠く離れている友人だったら、いっそ胸のうちを話してしまってもいいかもしれない。
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