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第4章 すれちがい

第66話 かき消された言葉

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ダメもとの電話がつながって、将は立ち止まった。踏み切り近くの路上だった。

「……将」

携帯の向こうから聞こえる、聡の声。クリスマスイブに二言、三言交わしたぎりの懐かしいアルトの声。

もう、長いこと聡の声を聞いていない気がした。

まだ通勤帰りの人の往来も多く、将は、邪魔にならないよう警報機の近くの道端に寄った。

聡のほうは防音にも関わらず、カラオケボックスの廊下では各部屋から重低音と歌声が漏れてくる。

聡はじりじりと、部屋を離れて店の出口付近へと移動した。

「……アキラ」

お互い、ときめく心臓に言葉を奪われてしまったかのように、言葉がでない。

あんなに待ち焦がれていた電話なのに、名前を呼び合うしかできない。

「学校に残れるんだってね……」

セリフを探して、聡は、ようやくさりげない言葉を探すことができた。

「……うん」

将のほうは何をいうべきか、まだ探せない。

「アキラ、昨日……。いやいい」

昨日の朝のことを言いかけてやめる。

「将、心配してたんだよ。……今までどうしてたの?」

「ヒージー、いやひいじいさんの家に置いてもらってたんだ。アキラ、アキラは……昨日、博史のオヤと会ってたんだろ」

とうとう言ってしまった。本当はこんなことを確かめたいわけじゃない。

「どうして……?」

「俺、あそこにいたんだ」

「……全然、気付かなかった」

聡は昨日を思い出そうとしたが、緊張していたせいか何も思い出せない。

言ってしまえば、博史の両親の顔ですら、おぼろげにしか覚えていない。

「やっぱ、あいつとケッコンすんだ」

せっかく聡と話しているのに、つむぎだされるのは言いたくないことばかりだ。

「しない」

聡は反射的にはっきりと口に出してしまった。

じゃあ、どうやって断るのか。あの優しい人たちをどうやって傷つけずに納得させるのか。

聡にはその方法は見当もつかない。だけど。

聡が肝心のことを口にしたところで、踏み切りの警報音が鳴り出した。

間近なので、将は頭が割れるように感じた。

携帯に耳を押し付けるようにする。今、『しない』と聞こえた気がする。

「今、しないって言った?」

将は、警報音に負けないように大声で確認した。

聡の携帯にも、将の近くで鳴り響く踏み切りの警報音が届いた。それは自分への警鐘にも聞こえる。

だけど、一度抑圧された思いは、もはや抗えないほどになっていた。

聡はあまりに暴れすぎて苦しい心臓に対抗する様に言った。

「しない。だって私は……」

聡の言葉の途中で、電車が轟音を立てて踏み切りを通過し始めた。通過列車なのか、猛スピードだ。

「アキラ?聞こえないよ」

どんなに耳を押し付けても聡の声は聞こえない。

その電車は、今までに出会ったどんな電車より大編成に思えた。

「アキラ、ちょっと待って……」

それが通り過ぎるやいなや、次は対向方向からもやってきた。

踏み切りを過ぎたところの駅に止まるのか、いやにゆっくりと踏み切りを通過する。

ようやく、聡の声が聞こえるようになるのに1分以上は経っただろうか。

「……ごめんね。変なことを言って」

そのとき、カラオケの出口付近で電話をする聡を、他の教師が聡を見つけたらしい。

「古城先生」と大声で呼びながら寄ってきた。

聡はあわてて、電話にケリをつけようとした。

「アキラ?ごめん、さっきの、聞こえなかったんだけど」

「ん。もういい。ごめんね。また掛けるから」

そういうと、電話は切られた。

将は切れた電話を握り締めて、舌打ちした。

それでも、聡はたしかに結婚『しない』と明言した。

そのことに将は勇気づけられる。

 





「アキラ先生、何してんですか。さあ行きましょう」

近寄ってきたのは権藤先生だった。少し酔っているのか顔が赤らんでいる。

「ハイ」

何食わぬ顔をして一緒に戻る聡だが、まだ心臓がドキドキしていた。

――言ってしまった。

ちょうど、それを言ったとき、電車か何かが通過したらしい。ゴーという音は聡にも聞こえていた。

そのせいか将には聞こえてなかったらしいけど……それでよかったかもしれない。

それでもなんだか、胸のつかえが1つだけ取れて、聡はすっきりしていた。



 

 

大悟は、家にあったスナック菓子にも手をつけずに、将を待っていた。

夕食の時間にしては遅くなったが、帰宅した将は、大悟と一緒に近所の焼肉屋へ行った。

バイト先で一度夕食を食べた将だが、食べ盛りなので少しぐらいは平気である。

ビールとタン塩で乾杯したあと、ロース、カルビなどを頼む。

大悟は

「焼肉なんて久しぶりだなあ」

と嬉しそうだ。丁寧に肉をひっくり返すと「旨い、旨い」と繰り返す。

「遠慮すんなよ。どんどん食えよ」

と勧める将に

「お前、あいかわらず株やってんの?」

と大悟が訊いた。

将が、中2のときに遊んだ(というか遊ばれたといったほうが正しい)年上の女の影響で株をはじめたのを大悟は知っている。

「ちょっとだけな」

「元手があると羨ましいな」

熱い肉を飲み込んだ将は再び胸がちくっと痛んだ。

その話題からそらすように、

「ところでさ、大悟はなんでこっち来たの?」

と訊いた。

「うん。いろいろあってさ……」

大悟は、焦げかけた肉をつまみながら浮かない顔で話しはじめた。

愛知の自動車部品工場で働く大悟の身元引受人となったのは遠い親戚だった。

借金漬けで行方もしれない父の代わりになってくれた親戚だから感謝している、と前置きしながらも、肩身が狭いのだと大悟は打ち明けた。

その親戚は年金暮らしの夫妻だった。夫妻と、2児を抱える出戻りの娘、という家族の暮らし向きは豊かでなかった。

大悟は給料を全額、その家に入れて、小遣いとして2万だけもらっているという。

でも自室も与えられないのだ、と大悟はあくまでも控えめに不満をもらした。

「ひどいな」

将は聞きながらビールが苦くなっていくのを感じた。

「それだけなら、まだいいんだ。俺は居候だから。だけど……」

大悟の話にはまだ先があった。

大悟の身元引受人夫妻の夫のほうは、実は酒とパチンコ癖がひどく、パチンコに負けると酒を浴びるように飲んで、大悟をなぐるのだという。

「この前科者が、といいながらさぁ。もうボッコボコ」

大悟は弱く笑いながら飲み終わったグラスをテーブルに置いた。少し固い音が響いた。

前科者、と聞いて将は、再び激しい罪悪感にとらわれて下を向いた。

もう、焼肉の味もしない。

「大悟、ごめん。俺……」

「将?」

大悟のほうは将を責めるつもりではなかったらしい。少し不思議そうな顔をした。

「俺、俺のほうこそ、本当は」

将は搾り出すようにいうと、頭を下げた。

「すまん」

ロースターの上で肉が焦げて縮こまっている。

大悟は将のグラスにビールをついで、自分のにも注いだ。

「将、……そんな風に謝るなよ。あれは……あれは、俺がそうしたいと思っていたことをお前が代わりにやってくれただけなんだ」

将はその声に目をあげる。大悟の目が将のそれをまっすぐに見る。

「だから俺はお前のことを恨んだりしてないぜ」

「だけど。だけど……」

「気にすんなよ。だいたい、お前があんときあのバカヤクザをぶっ殺してくれなかったら、俺は今ごろ指がないだろうし」

大悟は笑顔で両手を将の前に出して広げた。

大きな大悟の手のひらはカサカサに乾燥して、その皮膚にはヒビが赤く入っていた。

指の関節は将のそれより発達し、膨らんでゴツゴツしている。……あきらかに苦労しているのがわかった。

「ごめん」

将は前を向いていられなくて再び下を向くと、歯を食いしばるようにした。

「だから、もういいんだってばぁ。ホラ、飲めよ」

いくら大悟が笑って許すといっても。将は自分自身が許せない。 
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