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第3章 クリスマスの約束
第48話 失踪(1)
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「……将!」
また将の夢を見て、聡は目覚めた。目じりから涙が枕へとつたっている。
ここのところ、いつも将の夢を見ては泣いて目が覚める。
将がいなくなってもう2週間になる。
教室は何も変わらないように見える。ぽっかり空いた、教卓のまん前の席を除いては。
最初の月曜日。康三の秘書と義母がやってきて、将が2学期末で中退する旨を学校に伝えた。
義母は応接室に聡を呼ぶと、人払いをした。
そして、誰もいなくなるやいなや、聡に深々と頭を下げた。
「どうか、あの子から連絡がありましたら、お知らせください。お願いいたします」
その目は必死だった。義理や建前でやってるとは思えない真摯さがあった。
聡はぼんやりと、この人が将を炎の中に置き去りにして逃げたんだ……と見ていた。
将の捜索は、父親の鷹枝康三氏の立場もあり、極秘で行われているらしい。
皮肉なことに、その週に学校に届けられた、模擬試験の結果は――。
生徒たちは、聡が今までどおりの英語の授業を続けるのに、充分な結果を残していた。
将は、といえば現代国語と小論文、数学は東大のボーダーにもう少し、というところだった。
9月まで中学の復習をやっていたことを考えれば素晴らしい成績だった。
英語などの記憶系教科は東大、ワセダ、ケイオーには届かないものの、
いわゆるMARCH大だったら充分合格をめざせるレベルに到達していた。
いずれも短期間で驚異的な成績を残していた。
聡が考えた独自の英語授業はそのまま続行されることになった。
映画やカラオケを使った、にぎやかな授業風景。
最初の頃と違って、生徒たちは聡を信頼し、慕ってくれる。教師冥利につきる毎日があった。
……ただ、将だけがいない。
笑って授業をしながら聡の胸には風穴があいたような虚無感があった。
今年最後の社会見学は『ダンサー』だった。
クリスマスイベントを参加・見学、かつその楽屋で話を聞くという、いままでにない派手な企画だった。
私服での参加を許可した初めての社会見学だったが、井口らは最高にエキサイトし、ノッていた。
イベントは聡とて一緒に盛り上がってもよかったのだが、そんな気になれなかった。
あくまでも引率の教師という立場を貫いたのは、いうまでもなく心が沈みきっていたからだ。
理由は簡単。将がいないからだ。
将のいない世界は、なんだか醒めたスクリーンの向こうの世界を見ているようなそらぞらしさだった。
どんなに鮮やかなライトも色あせて見え、どんな音楽も単なる空気振動にすぎなかった。
世界は無味乾燥になり、時はいたづらに規則正しく過ぎていくだけだった。
22時まえに社会見学を終えて、生徒たちと別れた聡は、近づくクリスマスに浮き立つ街を独り、歩いていた。
自分から離れたくせに、この2週間、将のことばかり考えている。
あれから、将を探そうとしたことがある。
携帯の番号にかけても、ずっと『この携帯は電源が入っていないか電波の届かないところにあるか……』のメッセージが流れるだけだ。
メールも送ったが届いているのかわからない。
だけど、他にどこに電話をかけたらいいのか、どこを歩けばいいのか、わからない。
聡は、将のことを何もしらない自分に初めて気付いた。
――どこへいってしまったの。
聡は都会の明るさに星も見えない夜空を見上げた。雪さえも降る様子がない。
と、交差点の向こうの人ごみに背の高いぼさぼさ頭が見えた。
「将!」
聡は思わず車道に走り出た。
急ブレーキをかける車。バランスをくずして倒れる聡。抗議のクラクションが鳴り響く。
「気をつけろ、ブス!」
罵声と共に走り去る車。
――違った。将じゃなかった……。
聡はその場に座り込んでしまった。
年配の男性や女性が見かねて「大丈夫ですか?」と肩を貸すまで放心していた。
聡はあてどもなく、将と歩いたところをさまよった。
そのときの将が、幻影となって浮かんでは消える。
あのカフェの前を通った。
ガラスごしにソファが見える。
温かい色の照明に照らし出されたそこに座っているのは仲がよさそうな若いカップルだ。
『もう一度ショウって呼べよ。呼ぶまで離さない』
じゃれあった思い出が蘇る。
「将……」
聡の頬を涙がつたっていた。涙にネオンが反射してきらきらと光る。
通り過ぎる人が不審と好奇の入り混じった目で聡を見るが、今の聡にはまるで関係なかった。
――将に会いたい。会いたい、将。
聡は手で顔を覆った。
聡は、今までの人生で自分の選択をこれほど後悔したことはない。
土曜日も同じだった。
夢の中で将に再会し、嬉し涙を流したところで、目が覚めた。
聡は涙を流したまま、天井を見つめた。
――夢でもし逢えたら素敵なことね、なんて歌があったっけ。
現実に目を覚まさなくてはならない、いまの聡には、つらいばかりだ。
しかし夢にも現れなくなったときが来ることを考えるのはいやだ。
将がいなくなって、聡の眠りは浅くなった。気力がないから早く床につくが、ずっと眠れない。
寝返りばかり打つ夜の長さは、聡の選択を失敗だ、失敗だと責める。
休みだというのに早く起きてしまった聡はパソコンを開いた。
博史からメールが届いていた。
=========
アキ
なかなか連絡できなくてごめん。
今年は、25日の朝に成田に到着しそうです。
そのあとは年内は休暇になるので、二人でゆっくりと過ごそう。
それから、前にも伝えたと思うけど、重要な話があるんだ。
君はきっと喜んで協力してくれると思う。
それがお互い最大のクリスマスプレゼントになればいいなぁ……。
もうすぐ逢えるのを楽しみにしています。
博史
========
博史にあと1週間もしないうちに逢えるというのに、聡は何も感じなかった。
4ヶ月前、お盆に帰国したときは、指折りながら帰国の日を待ちわびたのに。
今の聡は、むしろ不安を感じた。
『聡がきっと喜んで協力する重要なこと』って……。
中東赴任が終わるとか、結婚を早めるとか、そういうことなのか。
しかし協力とあるのは、何なのか。
聡はいつのまにか博史に逢うことに恐怖を感じていた。
また将の夢を見て、聡は目覚めた。目じりから涙が枕へとつたっている。
ここのところ、いつも将の夢を見ては泣いて目が覚める。
将がいなくなってもう2週間になる。
教室は何も変わらないように見える。ぽっかり空いた、教卓のまん前の席を除いては。
最初の月曜日。康三の秘書と義母がやってきて、将が2学期末で中退する旨を学校に伝えた。
義母は応接室に聡を呼ぶと、人払いをした。
そして、誰もいなくなるやいなや、聡に深々と頭を下げた。
「どうか、あの子から連絡がありましたら、お知らせください。お願いいたします」
その目は必死だった。義理や建前でやってるとは思えない真摯さがあった。
聡はぼんやりと、この人が将を炎の中に置き去りにして逃げたんだ……と見ていた。
将の捜索は、父親の鷹枝康三氏の立場もあり、極秘で行われているらしい。
皮肉なことに、その週に学校に届けられた、模擬試験の結果は――。
生徒たちは、聡が今までどおりの英語の授業を続けるのに、充分な結果を残していた。
将は、といえば現代国語と小論文、数学は東大のボーダーにもう少し、というところだった。
9月まで中学の復習をやっていたことを考えれば素晴らしい成績だった。
英語などの記憶系教科は東大、ワセダ、ケイオーには届かないものの、
いわゆるMARCH大だったら充分合格をめざせるレベルに到達していた。
いずれも短期間で驚異的な成績を残していた。
聡が考えた独自の英語授業はそのまま続行されることになった。
映画やカラオケを使った、にぎやかな授業風景。
最初の頃と違って、生徒たちは聡を信頼し、慕ってくれる。教師冥利につきる毎日があった。
……ただ、将だけがいない。
笑って授業をしながら聡の胸には風穴があいたような虚無感があった。
今年最後の社会見学は『ダンサー』だった。
クリスマスイベントを参加・見学、かつその楽屋で話を聞くという、いままでにない派手な企画だった。
私服での参加を許可した初めての社会見学だったが、井口らは最高にエキサイトし、ノッていた。
イベントは聡とて一緒に盛り上がってもよかったのだが、そんな気になれなかった。
あくまでも引率の教師という立場を貫いたのは、いうまでもなく心が沈みきっていたからだ。
理由は簡単。将がいないからだ。
将のいない世界は、なんだか醒めたスクリーンの向こうの世界を見ているようなそらぞらしさだった。
どんなに鮮やかなライトも色あせて見え、どんな音楽も単なる空気振動にすぎなかった。
世界は無味乾燥になり、時はいたづらに規則正しく過ぎていくだけだった。
22時まえに社会見学を終えて、生徒たちと別れた聡は、近づくクリスマスに浮き立つ街を独り、歩いていた。
自分から離れたくせに、この2週間、将のことばかり考えている。
あれから、将を探そうとしたことがある。
携帯の番号にかけても、ずっと『この携帯は電源が入っていないか電波の届かないところにあるか……』のメッセージが流れるだけだ。
メールも送ったが届いているのかわからない。
だけど、他にどこに電話をかけたらいいのか、どこを歩けばいいのか、わからない。
聡は、将のことを何もしらない自分に初めて気付いた。
――どこへいってしまったの。
聡は都会の明るさに星も見えない夜空を見上げた。雪さえも降る様子がない。
と、交差点の向こうの人ごみに背の高いぼさぼさ頭が見えた。
「将!」
聡は思わず車道に走り出た。
急ブレーキをかける車。バランスをくずして倒れる聡。抗議のクラクションが鳴り響く。
「気をつけろ、ブス!」
罵声と共に走り去る車。
――違った。将じゃなかった……。
聡はその場に座り込んでしまった。
年配の男性や女性が見かねて「大丈夫ですか?」と肩を貸すまで放心していた。
聡はあてどもなく、将と歩いたところをさまよった。
そのときの将が、幻影となって浮かんでは消える。
あのカフェの前を通った。
ガラスごしにソファが見える。
温かい色の照明に照らし出されたそこに座っているのは仲がよさそうな若いカップルだ。
『もう一度ショウって呼べよ。呼ぶまで離さない』
じゃれあった思い出が蘇る。
「将……」
聡の頬を涙がつたっていた。涙にネオンが反射してきらきらと光る。
通り過ぎる人が不審と好奇の入り混じった目で聡を見るが、今の聡にはまるで関係なかった。
――将に会いたい。会いたい、将。
聡は手で顔を覆った。
聡は、今までの人生で自分の選択をこれほど後悔したことはない。
土曜日も同じだった。
夢の中で将に再会し、嬉し涙を流したところで、目が覚めた。
聡は涙を流したまま、天井を見つめた。
――夢でもし逢えたら素敵なことね、なんて歌があったっけ。
現実に目を覚まさなくてはならない、いまの聡には、つらいばかりだ。
しかし夢にも現れなくなったときが来ることを考えるのはいやだ。
将がいなくなって、聡の眠りは浅くなった。気力がないから早く床につくが、ずっと眠れない。
寝返りばかり打つ夜の長さは、聡の選択を失敗だ、失敗だと責める。
休みだというのに早く起きてしまった聡はパソコンを開いた。
博史からメールが届いていた。
=========
アキ
なかなか連絡できなくてごめん。
今年は、25日の朝に成田に到着しそうです。
そのあとは年内は休暇になるので、二人でゆっくりと過ごそう。
それから、前にも伝えたと思うけど、重要な話があるんだ。
君はきっと喜んで協力してくれると思う。
それがお互い最大のクリスマスプレゼントになればいいなぁ……。
もうすぐ逢えるのを楽しみにしています。
博史
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博史にあと1週間もしないうちに逢えるというのに、聡は何も感じなかった。
4ヶ月前、お盆に帰国したときは、指折りながら帰国の日を待ちわびたのに。
今の聡は、むしろ不安を感じた。
『聡がきっと喜んで協力する重要なこと』って……。
中東赴任が終わるとか、結婚を早めるとか、そういうことなのか。
しかし協力とあるのは、何なのか。
聡はいつのまにか博史に逢うことに恐怖を感じていた。
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