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第2章 急接近

第42話 寝室(3)

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小1の終わりに実母を亡くした将は、父が当選したばかりで忙しかったこともあり、父方、母方の里それぞれに預けられた。

将が小3になって家に戻ると、そこには新しい母がいた。それが今の義母である。

良家の子女で、きちんと礼儀正しい義母は、前妻の子供である将のことも、とても可愛がった。

まだお母さんが恋しい年頃で、かつ素直な性格の将は、ひねくれもせず義母になついた。

しかし義母との蜜月は孝太の誕生で終焉を迎える。将が10歳のときだった。

義母は手が掛かる初めての乳児の世話にかかりきりになり、将は寂しくなった。

だが、孝太の面倒をみれば義母が喜んでくれる、と将は時に友達と遊ぶのを断って孝太を可愛がった。

義母の愛情が欲しいばかりに、孝太に愛情を必死で注いだのである。

言葉もわからない孝太に、将は一生懸命に本を読んでやり、話し掛けた。

そのせいか、孝太は早い段階で人の言葉がわかるようになっていた。

そんな孝太が初めて話した2語の言葉が「おにいちゃ、大丈夫?」である。

『孝太はお兄ちゃん子ね』そんな義母の言葉を将はどんなに嬉しく思っただろう。

そして勉強はもとより、スポーツも武道も頑張った。

小5からは私立の有名中学に入るために努力をし、実際、塾や学校では『神童』『天才』の評判がついた。

それらは何もかも義母に「えらいわ、将」と言われたいが為だった。

あの日まで、将は愛情を得るために多少の努力をしている、と感じるだけで、おおむね幸せだったのだ……。

将が12歳のあの日まで……。



ところで将の父方の家は、代々政治家の家系である。

将の父は現官房長官、祖父は各閣僚を経験している。

将が12歳だったときに閣僚入りしていた祖父は、アメリカとの外交を重視し、

アジア諸国、ことC国に対して日本は強硬な立場をとるべきである、と明言して近隣諸国から嫌われていた。

そして、将が中学受験を控えた12月に、あの事件が起こる。

将の一家の住む家が爆破されたのだ。

犯人は、C国の過激派が有力視されているが、いまだにわからない。

それは、一家が寝静まる夜に行われた。

家はあっという間に瓦礫の山になり、将といえば、柱の下敷きになっていた。

幸い壊れた机などがつっかえ棒になり、背骨を傷つけるまではなかったが、どうしても抜け出せない。

同じ部屋に寝ていた2歳の孝太は無事だったが、将がはさまれているのを見ると、その小さな手で一生懸命引っ張り出そうとした。

『おにいちゃ、大丈夫?』

『孝太……』

将は必死で体をひっぱりだそうとしたが、足先が何かに引っ掛かっていてどうしても抜けない。

そうこうしているうちに、火の手が迫っているらしい。

まず、足先に異様な熱さを感じた。だがそのうちに、足よりも先に、頭の上が明るくなった。

火の手は上から襲って来たのだ。煙にまかれる。将はパジャマの袖を鼻と口にあてた。

火の粉がパチパチと音をたてて舞う。

『お兄ちゃん、お兄ちゃん』

孝太はそれにもひるまず、煙に咳き込みながらも将を引っ張り出そうとする。

その火の粉が孝太の頬にかかった。

とたんに泣き喚く孝太。その声に呼ばれたのか、義母が現れた。将は少し安堵した。

『孝太!』

義母は頬に火傷を負った孝太を抱き上げた。

『助けて……助けて、おかあさん』

将も助けてもらえるのだろう、と手を伸ばして義母に助けを求めた。

しばらく義母は将を見下ろしていた。無表情に見えた。

ガウン姿なのに、口紅をつけている――そういえば義母が素顔で表に出るのを見たことがない。外に出るときは必ず化粧を欠かさない女だった。

そのとき将を押さえつける柱に火が燃え移った。空気が乾燥していたせいか、パチパチと炎をあげはじめる。

その炎が義母の瞳に反射したそのとき、義母は将に背中を向けて、次の瞬間走り去った。

――自分を見捨てるのか。

『お兄ちゃあーん!お兄ちゃあーん!やだやだ!お兄ちゃんも助けてよおお……』

義母に抱かれた孝太だけがいつまでも泣いていた。

それすらも遠ざかり、将は絶望した。

せまりくる『死』に対してというより、自分は義母に対して必要のない子供だったのだ、ということが将を気絶させた……。

 

 

 



「たぶん、気を失ってすぐに消防が来たと思うんだ。背中からお尻の火傷は部分的に3度っていうのかな?になってて、

何度も自分の皮膚を植えて、3ヶ月も入院したんだ」

将はパジャマのズボンを下ろすと、片膝を上げて、腿の裏を指差した。

「ここから皮膚を持ってきてね」

と説明したそこは火傷ほどではないが、少しえぐれたような傷跡がかすかにあった。

「……もちろん中学受験はパー。その後、グレたってわけ。単純だろ」

将は聡の顔を見て微笑んだが、聡は絶句するしかなかった。

「あ、アキラさあ、また勝手にパンツ脱がすなよ。恥かしいじゃんか」

将は明るくふるまおうとする。

聡は、上半身裸のままの将を思わず抱きしめた。

「アキラ?」

聡は何もいわずに将の肩をぎゅっと抱きしめると、顔をその胸に埋めた。

胸に温かいものが流れ落ちるのを、将は感じた。聡が泣いているのだ。

「アキラ、泣くなよ」

といいつつ、聡は自分のかわりに泣いてくれているのだ、とわかった。

将は、あのヤケドの治療中、どんなに痛くても泣かなかった。

泣けなかったのである。

泣いたところで、自分を本気で心配するヤツなんて一人もいない。

だから無駄な涙は流さない。

と、あの事件をきっかけに、将は自分の心の柔らかいところから湧き起こる感情のすべてを封印することにしたのだ。

将は、聡に会うまで、人のぬくもりをわざと避けて暮らしていたようなところがある。

――否、たった一人の親友がいた。しかし、親友は将の罪を被って、檻の中にいる。

もう二度と会えないだろう。

親友が捕われの身となり、将の心は再び冷たい闇の中に沈んでいた。

闇に沈みながらも、将の本心は太陽を求めていた。だから毎日夕陽を見にドライブを続けていたのだろう。

そして将の心を温かく明るく照らしたのが、聡だった。

素直さや優しさ、自分の才能を信じること、一途に努力をすることなど、本当は将が持っていた善きものの全ては、

聡との出逢いによって再び育くまれだしたのだ。

そういう意味で、聡は将のすべてで、将は聡のものだった。

聡を愛し始めてから、将は生まれなおしたようなものなのだ。

イブは、アダムの肋骨から生まれた、というが逆に、将は聡の何かから生まれたことになっても納得できる。



将がくしゃみをして、聡は我に返った。

「ごめん」と将から離れる。

「いいよ。俺のかわりに泣いてくれたんだろ」

将は聡の髪をくしゃと混ぜた。まだベソをかいている。そういう顔は、年上なのに幼女のように見える。

将は聡から差し出されたTシャツを着て、薬を飲むと再びベッドに横たわった。

「今日は帰るね」もう大丈夫と判断した聡は将に告げた。

「ええっ、何でー。今日も泊まっていけよ」将は抗議の声をあげた。

「明日学校だし。実は超眠いんだ……」

聡は本当に眠かった。金曜は将の枕辺、土曜はソファーで仮眠とほとんど寝てないのだ。

それで、さっきまで居眠りしていたというのもある。

「明日、勤労感謝の日の振換休日だぜー?」

「え、ウソ」

聡はカレンダーを見る。

「ホントだ……」

いろいろあってすっかり3連休というのが頭から抜けてしまっていた。

「だから、ここで寝ろよ、ほら」

将はベッドの上で布団をあけた。広いセミダブルだから成人二人でも狭くはない。

「ええー」

「ほらあ。なんにもしないからぁ」

将はベッドの片側に寄ると甘えた声を出した。

その言葉を信じたわけじゃないが、聡はまあいいか、とベッドに腰掛けた。

さっきのことで人肌が恋しくなっているのかもしれない。

「ジーンズのまま布団に入る気?」

「んもう」

聡は、立ち上がるとスタンドを消してあたりを闇にすると、ジーンズとセーターを脱いだ。

Tシャツと下着だけになると、暗がりで将が布団をあけて待っているところにもぐりこんだ。 
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