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第2章 急接近

第26話 教師と生徒の恋(1)

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 校庭を囲む桜の木は、葉の色を赤く変え、そして今、その葉をすっかり落としてしまっている。

11月のある金曜日の6時間目。聡は女子生徒数人と街に出ていた。

ネイルアーティストの見学と、話を聞くためである。

聡と同じ年ぐらいの、若い女性アーティストによって、一人の女子生徒の爪がみるみる可愛らしい色と柄で満たされていくのに、皆はため息をついた。

   

  ◇



聡が金曜日の6時間目の自由学習の時間に企画したのがこの、社会見学である。

英語の授業を画期的に変えた週の金曜日の6時間目、聡はクラスの生徒にアンケートを行ったのだ。それには

『将来なりたい仕事はあるか』

『今、何をしているときが一番楽しいか』

『これから始めたい趣味はあるか』

などの質問があった。

「これから、金曜日の6時間目は社会見学にあてます。このアンケートは見学先を決めるためのもので……」

『なりたい仕事』があれば、もちろんだが、『一番楽しいこと』についてもそれに関連した仕事を調べて、その現場とその仕事にたずさわる人を訪ねるという企画だ。

聡は、アンケートを配り終えると、手を叩いて話を聞くよう求めた。

「じゃあね、今から質問するから、あてられた人は答えてね。じゃあ井口くん」

この前日、井口が万引きで捕まった件を、聡は結局、他の教師に話さなかった。

井口はそんな恩なんか感じていなさそうに、机の上に脚を投げ出している。

が、聡のほうをむいているだけマシだともいえる。

「ライオンは、何を食べますか」

井口は思いがけない質問にアァ?とピアスだらけの眉根を寄せたが、

「肉」

とそっけなく、しかし素直に答えた。

「野生のライオンは、肉をどうやって手に入れる?」と聡は続ける。

「捕まえる?」

井口は自信なさそうに語尾を上げた。

「そう。他の動物を捕まえるよね。……じゃ次、豊川さん」指されたカリナは、神妙に問いを待った。

「鹿は何を食べる?」

「えー鹿ぁ?」とまどったカリナは前の席のチャミと相談している。

横の席の葉山瑞樹は今日は出てきていたが、一心に爪をみていて、この妙な授業を態度で拒否している。

「草?葉っぱ?とか?」

「そう、そうOK。じゃ野生の鹿はどうやってそれを手に入れる?」

「生えてるところまでぇ、探す」今度は単独で答えられた。

「そう。探して歩くわけです」

聡はそこで、一息置くと話を続けた。

「動物は、みんな生きるために餌を食べるよね。みんなだってゴハンを食べるでしょ。

動物だったら、餌をとるために、自分でいろいろな行動をします。これが労働です……」

ライオンは、餌をとる―――すなわち狩りをするとき以外はズッと寝ている。

動物は本来、何もしたくない、寝ていたいという本能があるけれど、

飼われているのではない動物だったら、自由な立場のかわりに自分で餌をとらなくてはならない。

「人間も動物のうちの1種類なんだけど、人間の場合は、餌じゃなくて、餌を買うお金をもらうわけね。

でもどうせだったら、できるだけラクにもらいたい。そうだよね。そこで」

自分がもともと好きなことに関連する仕事を選べば、多少のつらさは我慢できるだろう。聡は寿司屋の主人の話を思い出していた。

「ただ、みんなが好きだな、と思うこととか、楽だなって思うことって重なりやすいんです。

だから、就職は、スタートが自由な椅子とりゲームのようなものだと思ってください」

椅子へ近寄る瞬発力の差はあるかもしれないが、その椅子へ向かって早く行動したものが座れる可能性が高まる。

聡は、学力で劣る生徒たちに、一足でも早く社会への道を踏み出してもらおうと考えてこの社会見学を考えたのである。

もちろんクラス全員が訪ねたら大変なことになるので、希望が強い数人を聡が引率することにし、

残った者は、自分が好きなものや興味があることに関連する仕事があるかどうか、

またどうやったらなれるのか、またその年収や待遇について、情報処理室や図書室を利用して調べる。

ふだん授業に関しては昼寝ばかりしている生徒も、これに関しては、好きなことをネットで調べられるということで、多少は生き生きとしはじめた。

   ◇

 

 今回のネイルアーティストの見学に参加したのは、チャミら「お洒落が好き」という女子生徒たちだ。

10月からスタートしたこの企画ですでに「カフェ店主」「声優」を訪ねている。

このために聡はツテを頼ったり、何もないところから連絡先を探したり、とますます忙しくなった。

何せ、謝礼もろくに用意できないのだ。快く引き受けてくれる人は限られている。

訪ねるにしても、できるだけ、今の生徒たちと同じ出発点からスタートした人を探したいと聡はねばった。

やりたい仕事が出来ていても、「親の跡をついだ」とか「コネがあった」とか「金を出してもらった」というのでは意味がない。

だけど、聡はそうやって訪問先を調べているうちに、その3種類に恵まれた人が思ったより多いことを知った。

自分がやっていることは生徒たちにむしろ残酷なことなのかもしれないとも迷った。

だが、今日のネイルアーティストの女性は違った。

高校を出て普通に社会人デビューし、独自にネイルを研究していたという。

そのうち趣味が嵩じて学校にも通ったというが、成功の一番のポイントはファッションビルの改装のニュースを聞いて、

自分で「ネイルのコーナーを持ちたい」と掛け合いにいったことである。

たまたま話を聞いてくれた人が、女性で興味を持ってくれたことを、

彼女は「とてもラッキーでした」とさらりと言ったが、自分で売り込みに行ったその勇気は素晴らしいと聡も生徒たちも感動した。

 

「すごいよねー」

「いいハナシ聞かせてもらったわー」

「あたしも絶対がんばろーっと」

女生徒たちは皆興奮していた。帰りに寄ったカフェ。聡は生徒たちにカフェ・マキアートなどをおごった。

ほぼ毎回おごっているから、少々痛い出費だが、生徒たちの若い素直な感動に立ち会うのは聡としても嬉しいことだ。

今日はガラス窓近くのソファを運よく陣取ることができた。18時近い今、ガラスごしの通りはすでに暗くなっている。

「先生。あれ……」

『本日のコーヒー』をすする聡を女生徒の一人がつついた。

カフェの自動扉を通って今店内に入ってきたのは将だった。

聡たちには、そしらぬ顔で私服の皮のジャケットに薄いサングラスをかけているが、一目でそれとわかった。

「きっと先生目当てだよね」チャミがくすっと笑う。

「でもこうやって私服だとまたすっごいイケメンだよね」

「邪魔しちゃアレだから、いこ」生徒たちは次々に立ち上がった。

「ちょっと、みんな……」

「じゃあね先生、さようなら」皆ミニスカートの制服をひるがえして店を出て行った。

すると、将はさもわざとらしく、今気付いたような顔をしてソファに残された聡のほうへ寄ってきた。

カフェモカを片手にソファの聡の横に座る。
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