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見知らぬ世界

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――――――真っ暗な闇の中、土を切り裂くような不快な音がひっきりなしに聞こえる。それが自分の悲鳴なのだと気が付いたとき、愛は叫び声をあげるのをやめた。

暗闇の中だと思っていたのは瞼を思い切り閉じていたかららしい。冷静になるため一度大きく息を吸って目を開く。喉が痛む。

ようやく周囲が見えるようになった愛は自分のいかれた状況に気が付いて驚いた。

「どこ……ここは……一体何が……?」

住宅街にいたはずなのに、どうやら愛は森の中にいるようだ。しかもかなり深い森。周囲には空を覆いつくすように高い木々が並んでいて、愛の踏みしめる地面は柔らかくて腐葉土のようだ。

こんな一瞬で移動するなんてありえない。砂利に廃工場はどこに行ったのだろうか。

「こちら愛です! 聞こえますか?!」

インカムで仲間の刑事に連絡を取ろうとするが、時々ザーザーと雑音が聞こえてくるだけで電波は届いていないようだ。さっきまで会話できていたというのにどういうことだろう。

次第に不安が増してきた。全身の血管に氷がまわったように一気に冷たくなる。

「……落ち着け、落ち着け。私は新宮 塔子を追っていたはず。あの時の爆弾は爆発したのかな。人のいる場所からは離れてたからほかに被害がないといいのだけど」

どの可能性を考えても、愛が森の中にいる説明がつかない。思い当たることとすればあの時の爆発で愛が死んで、ここは天国だということくらいだ。

でもそんな荒唐無稽なことが起こったと信じるにはあまりにも馬鹿げている。

とにかく愛は手に持っている拳銃を下ろしてそれを確認する。五発入りのリボルバーは一発発射されていて、薬室はまだ温かい。

(あれからそんなに時間は経っていないということ。でも薬莢はここには落ちていないみたい。一体どういうことなのかな? 被疑者は一体どこに消えてしまったの? ここは一体どこ?)

ハッと気が付くと大勢の人が近づいてくる足音がする。愛は反射的に木の陰に身を隠して銃を構える。

「団長! 妙な叫び声は確かにこっちの方から聞こえました!」

どうやら愛の叫び声を聞いて辿ってきたらしい。木の陰からのぞく男たちの姿を見て、愛は全身を固めた。

皆、軍服のようなコスチュームを身に着けている屈強な男たちだ。イギリスの近衛騎兵隊のような縦襟の服に黒のブーツ。しかも肩の上にはマントを翻していて、まるでお祭りのコスプレのようだ。

大柄の体格に水色の瞳、金髪や栗色の髪から考えるに、どうやら日本人では無さそう。もしかして外人のミリタリーコスプレ集団なのだろうか。

(いいえ、違うわ。だって彼らは銃なんか持っていない。なのにあんなに大きな剣を手に持っている人がいるわ。でもあれってどう見ても本物の剣。ということは他の人が腰に下げているものもきっと同じ真剣だということね)

もしここが私有地だとしても所有許可がなければ銃刀法違反だ。しかも彼らがそんなものを持っている可能性は低そうに思える。

それよりもっとおかしいのは彼らがどの国かわからない言語を話しているということ。それはわかるのに、なぜか耳に入ってくるとその意味を理解できてしまう。すごく不思議な感覚だ。

(よくわからないけれど、とにかく彼らを捕まえることが先だわ。真剣を持っている連中なんて危すぎる。市民に危害を加えるかもしれない)

そう意気込んだ愛だが、ふと考えなおす。

(でもいくら私が銃を持っているとしても相手は屈強な男たちなのよ。相手をするには分が悪すぎるわ)

しかも自分が置かれた状況すら把握できていない現状を考えると、あまりにも不利だ。愛はこのまま隠れていることに決めた。彼らのことは後で通報すればいい。男たちの顔はしっかりと覚えている。

男たちは傍の茂みを探っているが、愛がいる場所は気づかれてはいないよう。

そんなとき、愛の背後から透き通るテノールのような声がぶるりと愛の鼓膜を震わせる。

「見つけたぞ、ここだ」

こんな近くに誰かがいただなんて気配すら気づかなかった。振り向いたときにはもう遅く、大きな手が愛の頭上から振り下ろされる。

「くっ!」

彼女はとっさに右足を軸にして回転してそれを避けた。その回転した力を利用して左足を男の顎めがけて蹴り上げる。

けれども絶対に当たるはずの渾身の一撃は、あっさりと避けられてしまった。いつもはこれで何人もの被疑者を捕まえてきたというのに。愛は信じられないといったように男を見る。

「おおっと、危なかった。見たこともない妙な体技を使う鼠だな。どこの国の兵だ」

男が余裕ある態度で構える。彼は剣も使わずに愛を捉えるつもりらしい。これまで刑事として犯人と対峙することは何度かあった。

けれどもこの男の出す威圧感のようなものはかつてないほどに重く、愛の背筋にぞくりと悪寒が走る。

(この男! 強いわ! まともに相手して勝てる相手じゃない! それに何とか隙をついたとしても、これだけ仲間がいたら逃げ切れるはずがない! どうしたらいいの!)

でも迷っている暇はない。瞬時に判断して向かってくる男の方に突進する。愛が逃げるだろうと思っていたところを居を突かれた形になった男は、一瞬だけ隙を見せた。

その小さな隙を見逃さず急所を狙って拳を打ち込み、彼の体を地面に押し倒す。そうして愛は拳銃の先を男の胸に突きつけ、大きな声で叫んだ。

「動かないでっ! 私は警視庁捜査一課の日和佐刑事です! 抵抗はやめてください!」

愛は日本語を話しているはずなのに、口から出てくるのは男たちが話している言語。すごく奇妙な気分になるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

でも彼らはそんな状況なのに、何をしているのだろうと愛を見てキョトンとしている。銃を突きつけられている当の本人すら薄ら笑いを浮かべているのだ。

普通は両手をあげるか何かリアクションがあるはずだ。もしかしておもちゃだと疑っているのだろうかと思い、その証拠を見せることにする。

「これは本物の拳銃よ! 私は刑事で警察手帳もあるわ!」

愛は自分が警官だと証明するため、胸元から片手で桜の門がついた黒い手帳を取り出す。男は目の前に突きつけられた愛の写真を見て、ようやく驚いた顔をみせた。

(良かったわ。きっと理解してくれたんだわ!)

ホッとしたのもつかの間。男は愛の手から警察手帳を奪い取ってしげしげと眺めはじめた。

「これはうまくできている絵だな。だが普通は実物より良く描くものだが……下手な絵師しか雇えなかったのか……」

「ちょ、ちょっと私の警察手帳、返してっ! 公務執行妨害で逮捕するわよ! 三年以下の懲役もしくは禁固、または五十万円以下の罰金!」

大慌てで取り返そうとするが、愛よりも腕の長い男はそれを渡そうとしない。そればかりか男は自分の胸に突きつけられている拳銃を掴んで、興味深そうに観察し始めた。

「なんだこれは。小さなものだが、どうやってこんなので敵を倒すんだ? みたところ魔力は帯びていないようだが。お前自身からも全く魔力を感じない」

「危ないっ! だめっ! やめてっ!」

安全装置は外れているのだ。もしこんな至近距離で胸に弾が当たったら、こんなに大柄の男性でも命を落としてしまうかもしれない。

愛が拳銃を男から引き離そうとしたその時、大きな銃声が森の中に響き渡った。誤って銃弾が発射されたのだ。耳にキーンとした音が残る。

「……っ!」

ハッと気が付くと、目の前の男の肩から赤い血が流れだす――と同時に彼は痛みに顔を歪ませた。

「くっ!」

「な、なんてことっ! 早く救急車を呼んでっ!」

愛はポケットからハンカチを取り出すと、男の傷口に当てる。弾は肩の肉の部分を貫通したようで、思ったほど血は出ていないようだ。

ほっと安心した愛は、次に重大な事実に気が付いて取り乱す。

(ど、どうしよう。善良では全くなさそうだけれども、コスプレ趣味の市民を撃っちゃったわ、私! 減俸だけじゃすまないかもしれない。もしかして謹慎処分か悪ければ懲戒免職?!)

「――あの少年、ダグラス団長に血を流させたぞ……」

「そんな、どう見てもまだこどもなのに、あの団長を……嘘だろう」

青白くなっている愛の周囲で、男たちは口々に驚きの声をあげている。そうして愛が気が付くと、目の前の男が彼女の手を掴んでまっすぐに見据えていた。

その様子は先ほどのからかっていた時とは打って変わって、とても真剣だ。はやく救急車をと言おうとした愛だが、別の男のセリフに言葉を飲み込む。一人の男が愛に向かって剣先を構えながら、恐ろしいほどの声で叫んだ。

「団長! そいつは、私が始末いたしましょうか!」

銀色の肩までの髪に緑色の瞳。彼の手には剣が握られていて、鋭いまなざしが彼が本気なのだと知らしめる。

(本当に私を殺すつもりなの? しかもあの剣で……そんなっ……! 一体何なのこのひとたち。頭がおかしいよ!)

「待て、エヴァン! 俺はこいつが気に入ったぞ。俺に向かってくる勇気もそうだが、まさかこの俺がやられるとはな。騎士なら部下にしたいところだが、見たところまだ少年だろう。だったら俺の世話係にしてやろう」

「……へ……?」

(どういうこと? 銃で撃たれたっていうのに面白がってる。それに世話係って、小学校のウサギの係じゃあるまいし……この人、私の警察手帳を見たわよね。もう突っ込みどころが多すぎて何が何だかわからない)

愛の頭の中は疑問で一杯だ。あの新宮 塔子を捉えたあたりから事態が全く飲み込めない。そうして次の瞬間、愛の許容範囲の限度量は一気に超えた。

「ミリリア、来い!」

男がそういうと、今までどこにいたのだろうか……全長三十センチほどの蝙蝠のような生き物が、キュルンと叫びながら草の陰から飛び出てきた。愛が生まれてこのかた、まだ見たこともない生き物。

それは胴は太くて首は長く、かぎづめのついた両手に両足。長い尻尾に背中からは半分に切った傘のような形をした羽まで生えていた。彼はくるんくるんと楽しそうに三周ほど空中で回転したあと男の肩に乗った。

「ここでの用は済んだから、予定通り次はカーデルの谷まで飛ぶぞ。こいつも連れて行くからよろしく頼む」

そういうとミリリアと呼ばれた生き物は、次はキュリリリーンという長い鳴き声を発した。そうして頭を下げて胴を持ち上げるしぐさをすると、次の瞬間、愛の目の前で三メートルはありそうな黒い鱗と大きな羽をもつ竜のようなものに変化したのだ。

(ちょ! 物理の法則をまるごと無視しちゃってるじゃない! 質量保存の法則はどうなってるの? と、等価交換は????? それにやっぱりこの人たち妙な言語を使っているのにどうして私に理解できるの?!)

他の男たちも同様に、自分のだろう小さい生き物を呼び出して、それを象のように大きな竜に変化させていた。森の中の十数匹もの大型生物と得体のしれない男たち。

その見知らぬ生き物が体を動かすたび、幾何学模様に並んだ鱗が少しずつずれていく。鱗があり、かつ空を飛べる生き物を二十六年生きてきて愛は知らない。当たり前だと思っていた常識が次々と崩されていく。

そのうちの一匹は愛を見ると、縦に光彩が伸びた緑色の目をぱちくりと瞬いて見せた。そうしてまるで犬の遠吠えのようにキュォーンと叫ぶ。愛は全身から血の気が引いていくのを感じた。

「そ、そんな。やっぱり私、あの時に死んじゃったんだ……お、お父さーんっ!」

愛はその場で意識を失って地面に倒れこんだ。

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