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37、十年前の約束

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「父上、ではこの通りに婚約式を進めたいと思いますが構わないでしょうか?」

「あぁ、私が口を出す隙も無い完璧なプランだ。さすがはエマーソン伯爵家を継ぐに相応しい自慢の息子だな」

ここは父上の書斎。

落ち着いた雰囲気の部屋には大きな仕事机と書類の入った棚が並んでいる。そうして壁には歴代のエマーソン伯爵の肖像画が隙間なく飾られていた。いづれは僕の絵がその隣に並ぶのだろうが、それはまた先の話。

机に座る父の隣には、執事のテムズが神妙な顔をして立っている。彼はエマとの結婚が決まってから、僕をみると複雑そうな面持ちをするようになった。

恐らく一人娘を取られるという寂しさと、名門エマーソン家の伯爵夫人になるだろうエマのことを心配しているだろう。

「あの、エマは大丈夫でしょうか。あの子は人よりも鈍いところがありますのでリチャード様の奥様として立派に務めることができるか不安でならないのです」

僕はにっこりと笑った。

「エマには僕が付いているのでご安心ください。それにエマはああ見えてかなりしっかりしたところがあるのです。伯爵夫人としても立派にやっていけることでしょう」

これは彼らを安心させるための真っ赤な嘘だ。エマは自分で何かを決めるのは苦手。伯爵夫人は彼女には二が重すぎることだろう。

いづれは伯爵家のすべてを取り仕切る立場になるが、そんなことは僕が彼女の隣で決めてあげればいいこと。

エマと結婚すると決めた時からこれくらいのことはすでに考えていた。テムズは安心して顔を緩ませた。すると父が満足そうに両手を組んで机に肘をついた。

「まさか十年前。お前が十七の時に交わした約束をやり遂げるとは思わなかった。あの時は、ただの一時的な感情だと思っていたのだがな。エマは本当に可愛らしい女の子だったから」

微笑んで誤魔化すと、父は僕が当時を思い出して懐かしんでいると思ったらしい。思い出話をし始める。

「お前はエマがこの屋敷に来たその夜、私の部屋に来て将来エマと結婚したいと言い出した。そうして彼女の父であるテムズまで巻き込んで約束を取り付けたからな。その上、契約書を作ってテムズの借金まで代わりに返済したんだから大したものだ。お前はエマーソン家の誇りだよ」

誇り? そんなものには特に興味はない。借金を踏み倒した元貴族の父を持つより、エマとの結婚が社会的にも認められやすいと判断したからだ。

(決してテムズの為ではなかったけれど、ここは黙って賛辞を受け入れておきましょう。僕は温厚で慈しみ深い男ですからね)

「契約内容はエマが二十歳になって、彼女が僕のプロポーズに答えてくれたらということでしたね。それまでは主人とメイドという関係を守ること」

「そうだ、それと伯爵家の跡継ぎとしてふさわしい立場と行動を形で示すこと。それと貴族院のただ一人も結婚を反対する者がないようにだ。これはお前にエマを諦めさせるために決めたことなのだが、まさかこんな実現不可能なことをやってのけるとは思わなかった」

社交界で僕自身の評価を上げるためにも、できる力をすべて注いで周囲に恩を売っておいた。その時に必ずエマを連れて歩くことで、彼女自身への抵抗感もなくすことができる。

顔の広い大学教授の職についたのもそれが理由。おかげで様々な人から助けを求められ頼られるようになった。アカデミックなイメージもついて僕の評判は更によくなった。

僕は一礼するとにこやかに笑って父とテムズを順番に見る。

「お褒めいただいてありがとうございます。あぁ、それとエマと婚約をしても当分はここで住みますね。エマも父親が傍にいたほうが安心できるでしょうから」

「本当に彼女が好きなんだね、リチャード。だがエマに一途なのは結構だけれど、若い時には少しはめを外す方がいいんだがね。年を取ってから女遊びを覚えてしまうといろいろ面倒なことになってしまう」

結婚前に他の女性とも遊んでおけと暗に勧めているのだろう。だが大きなお世話だ。僕は適当に相槌をうつと、父の部屋から退出した。

(他の女性……全く興味がありませんね。あんなに表情がくるくる自然に変わる女性はエマ以外にいません)

思い出し笑いをしながら部屋に戻ると、エマが机に突っ伏している。招待客へ手紙を書かせているのだが、手紙の内容はすでに僕が考えてあるものなのに疲れたのだろうか。

「どうした? エマ。お腹でも壊したのか。まだまだやることはいっぱいあるぞ。婚約式はもう二週間後なんだからな。俺に恥をかかせたら『申し訳ありませんでした』と氷に書かせるぞ。もちろん道具を使うのは禁止だ。指で溶かせ」

するとエマはすごい表情をして顔を上げた。

顔は真っ赤で眉は寄せられ、ピンクの唇はわなわなと震えている。せっかくの美人が台無しだが、またそんなエマがすこぶる可愛らしくて胸がくすぐられる。

「……あの、リチャード様。どうして……」

「なんだ? エマ」

するとエマはすでに涙目になっている目を細めて頬を更に赤らめた。その姿が可愛らしくてたまらなくなり、僕は彼女にキスを落とす。エマにキスをするときはいつも同じ。

初めはぴくっと唇を震わせて体を固くするのだが、少し深く押しつけると全身の力を抜く。その頃が舌を挿入する合図だ。

柔らかい唇を押し割って舌を差し込むと、エマは一瞬ハッと息を吸い込む。僕は初めは唇の入口の方を舐めて、ゆっくりと中に侵入していくのだ。彼女は上あごを舐めるのが気に入っているらしい。

そうすると「んんっ!」と抵抗の声が聞こえて、エマが僕の背中を手でぎゅっと握りしめる。彼女の震える手が僕のシャツを握るこの感触がこの上なく好きだ。

(あぁ、可愛い。いつまでたっても鼻で息をするのができないんだ。本当に可愛いな)

唇を一気に覆いつくすと、僕はエマの口内を堪能した。最後には息苦しくなったのか、エマの手が何度も僕の背中をたたいている。

僕は深く息を吸うと、口から空気を送り込んであげる。彼女が僕の息を十分に吸い終わったのを見届けてから唇を離す。

「はっ、はぁっ……はっ!」

涙と唾液でぐちょぐちょになったエマの顔を見るのは最高に愉しい。二週間後にはエマは正式に僕のものになるのだ。心の底から満足した僕はにっこりと笑った。

「さぁ、エマ。手紙を書き終わったら花と料理を決めないとな。楽団の曲に席次。決めないといけないことはいっぱいある」

するとエマが更に泣きそうな顔になる。僕は大声で笑いそうになるのを我慢しなければいけなかった。

「俺に助けてほしかったら、ここでいつものように『リチャード様、助けてくださいお願いします』と頼みこむんだな。頼みを聞いてやるかどうかは別問題だが」

そうして僕は自分に与えられた幸福について神に感謝するのだ。

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