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36、リチャード様がおかしい
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「それとシャーロット様。男たちが狙っていたキーステア公の遺産というのに心当たりはありますか?」
ヒッグス様の背中を見送った瞬間、急に話を振られて戸惑っているようだ。シャーロット様がしばらくじっくり考えてから答えてくれる。
「い、いえ。そんなお話はお聞きしていません。当時はマーシア様の手前そんなことはできなかったでしょうし」
「あっ! でもシャーロット様! お母様からいただいたペンダントトップはどうされましたか! もしかしたら本当はお父様がお母様に託されたものなのかもしれません」
シャーロット様はドレスの下に手を伸ばして身につけていたペンダントトップを外してご主人様に見せた。
「エマが言っているのは、これですけれど、確かに金でできてはいますが、それほど価値のあるものではないと聞いております」
「あぁ、そうですね。確かにこれ自体は何の価値もないでしょう。ただ……この模様。おそらく東の国の漢字と呼ばれる文字ですね。キーステア公は東の国の美術品収集が趣味でしたから。調べてみないと何が描かれてあるのかわかりませんが調べてみる価値はあるでしょう」
ご主人様がそうおっしゃるとシャーロット様は顔を横に振ってそれを否定された。
「いいえ、結構です。皆さんのおかげで特にお金に困ってはいませんから。キーステア公の遺産などあっても必要ないものです」
さっきの男らしいシャーロット様は見間違いだったに違いない。か細い声で一生懸命自分の意見を伝える彼女を見ると、私までが守ってあげないととさえ思わされる。
リアムさんなどは慈しむような笑みを浮かべて彼女を眺めている。そんな二人を見つめているご主人様を見て、彼が怪我をしていることを思いだした。
「そういえばリチャード様、お怪我を見せてください」
右のこめかみ辺りに傷口があり、そこから出血しているようだ。思ったよりも傷は浅そうだが、血がかなり出ていて痛そう。
私は何とかハンカチを傷口に当てようとするのだが、身長が違いすぎるので届かない。するとご主人様が膝をかがめたので、急に顔が近くなる。
そうしてご主人様はその整ったお顔で私に微笑んだ。一瞬でぼっと顔が熱くなる。
「これで届くかな? エマ」
吐く息まで届きそうな距離に、私は一気に心臓が苦しくなる。あまりに緊張したためか、うまくハンカチを傷口にあてることができなくて、ご主人様は何度も痛みに顔をしかめた。
暖炉の中を調べていたリアムさんが驚きの声を出す。
「まさかこんな場所に外に続く道があったなんて全然気が付きませんでした。エマさんはいつからご存じだったのですか?」
「いいえ、リアムさん。私も驚きました。私はリチャード様にここから入ってこいと指示されただけなので」
私がそういうと、ご主人様は笑顔を更に深くして私に微笑んだ。背筋に悪寒が走る。私の小動物的勘が警戒信号を出し始めた。
(あ、これは怒っている時の顔です……私。何か変なことを言ってしまったでしょうか)
「いいえ、僕は君にここから離れて人を呼んできてくださいといったのです。この抜け道は知りませんでした。でもということは犯人はやはりキティで、あの時はここに隠れていたのかもしれませんね」
「ということは! 幽霊の呪いではないのですね! 良かった!」
ご主人様の言葉に心底ほっとする。
それにしてもご主人様の態度はおかしい。私が廊下に置いてけぼりにされた時、すでにこの抜け道を見つけていたのではないかという疑問が頭をよぎった。
でもいまさら幽霊の呪いではなかったといっても、ハーブリット伯爵との縁談はもうないだろう。
(それをいままで黙っていたのは、シャーロット様とリアムさんの恋を応援するため? なのでしょうか)
考えてもわからないので私は考えることをやめた。それよりも大変なことが自分の身に降りかかっているのだから。
「さぁ、エマ。僕たちは屋敷に帰りましょう。もうここで僕たちにできることはありませんから」
そういって外面全開で微笑むご主人様。私はひきつった顔ではいと答えるしか選択肢はなかった。
馭者は大した怪我ではなく、意識を失っていただけのよう。彼のことはリアムさんと後から来るであろうヒッグス様に任せ、ご主人様は馬車から一頭馬を外すと私を横抱きにして颯爽と馬にまたがった。
「ま、まさかご主人様。この格好でエマーソン伯爵家にお戻りになるのですか?!」
「ではシャーロット様、リアム。また改めてお話しましょう」
私の悲痛な質問にも答えずに、ご主人様はそう彼らに言い残して馬を走らせる。私は悲鳴を上げた。
「ひゃぁぁ!」
横抱きにされて馬に乗った経験があるならわかると思うが、すごく怖い。自分を支えてくれる腕がなければすぐにでも馬から振り落とされてしまう。そうなれば二メートルほど下の地面に激突してしまうのだ。
「も、もっとゆっくり走らせてくださいぃぃぃ! ひゃいん!」
ご主人様の左腕をぎゅっと握って必死でしがみつくと、ご主人様は更に馬のスピードを速くさせた。相変わらずの意地悪だ。とにかく謝っておくしか手はない。
「リ、リチャード様ぁ! また何か怒っておいでですかぁ! なんだかわかりませんが申し訳ありません! ですからスピードをぉぉぉ」
「なんのことだい? エマ。僕が君に怒るわけないじゃないか」
なんともないようにおっしゃる。二人きりになったのにまだ外面のまま。どう考えてもすごく怒っていらっしゃるのは確実だ。
「僕はね、今すごく衝動を我慢しているんだ。だからエマも僕が暴走しないようにしっかりと掴まっていてくださいね」
そんなことを言われても、いま馬を暴走させているのは当の本人。でもそんなことを言っても状況は悪くなるだけだろう。私はひっしとご主人様に抱き着いて、ひたすら耐えて時が過ぎるのを待つ。
地獄のような馬の旅は半刻ほど続いた。ようやく解放されてお屋敷に着くと、ご主人様はヘロヘロの私を抱えてそのまま自室へと向かう。
途中で執事である父が声をかけるが、エマは怪我もありませんし無事ですから心配しないでくださいと優しく言って下がらせた。父は私ではなくご主人様の怪我を気にしているのだろうに。
けれども私は指一本動かせそうにない。全身の筋肉が疲労しているうえに、気持ちが悪くて吐きそうだ。
ご主人様は部屋に入ると私を抱いたまま、カウチに座られた。そうして思い切り胸の中に抱きしめる。
「エマっ! 馬車から出るなとあれほど言っただろう! 寿命が縮まるかと思ったぞ!」
ぐえっと肺から声が出る。きっとこれは嫌がらせなのだ。気持ちが悪い上に締め付けられて更に気分が悪くなる。全身をくたりとさせご主人様に身を預けると私は小さくつぶやいた。
「うぐぅ、リチャード様ぁ。そんなことより早くお怪我の手当てをしてください……でないとたった一つだけの取り柄のお顔が大変なことにぃ」
するとご主人様は私の両肩を掴み体を離して、真剣な顔で私を睨みつけた。
「俺の顔なんかどうでもいい。あの時、もしお前があの火掻き棒で殴られていたらと思うとぞっとする。あの時は生きた心地がしなかった」
「らいじょうぶです。私の顔は平均以下ですので、誰も気にしませんから……ふふ」
そういって私は何とか笑い顔を作った。するとご主人様が思い切り顔をゆがめる。切ないような悲しいような怒っているような……いろんな感情の混ざった表情。何を考えていらっしゃるのだろうか。
「どうかなさいましたか? 傷が痛むのでしょうか……?」
心配になってたずねるが、ご主人様は黙ったまま。そうして何分かするとようやく口を開いた。
「――お前は美人だ。王国一綺麗だと言ってもおかしくないほど美人なんだ。俺が嘘をついていただけで」
あまりの突拍子のない話に、私は小さく微笑んだ。
「またまたぁ、リチャード様ったら私をからかおうとしていますね。でも無駄ですよ。すみませんが今はこのまま横にならせてください。今日はたくさんのことが重なりすぎてもうキャパオーバーですぅ。あ、お顔の手当てを早くなさってくださいね」
そういって私は目を閉じた。眠たいわけではないが、目をあけているとまだ天井が回っていて気分が悪くなる。ご主人様はそんな私をずっと抱きしめてくださっていた。
ヒッグス様の背中を見送った瞬間、急に話を振られて戸惑っているようだ。シャーロット様がしばらくじっくり考えてから答えてくれる。
「い、いえ。そんなお話はお聞きしていません。当時はマーシア様の手前そんなことはできなかったでしょうし」
「あっ! でもシャーロット様! お母様からいただいたペンダントトップはどうされましたか! もしかしたら本当はお父様がお母様に託されたものなのかもしれません」
シャーロット様はドレスの下に手を伸ばして身につけていたペンダントトップを外してご主人様に見せた。
「エマが言っているのは、これですけれど、確かに金でできてはいますが、それほど価値のあるものではないと聞いております」
「あぁ、そうですね。確かにこれ自体は何の価値もないでしょう。ただ……この模様。おそらく東の国の漢字と呼ばれる文字ですね。キーステア公は東の国の美術品収集が趣味でしたから。調べてみないと何が描かれてあるのかわかりませんが調べてみる価値はあるでしょう」
ご主人様がそうおっしゃるとシャーロット様は顔を横に振ってそれを否定された。
「いいえ、結構です。皆さんのおかげで特にお金に困ってはいませんから。キーステア公の遺産などあっても必要ないものです」
さっきの男らしいシャーロット様は見間違いだったに違いない。か細い声で一生懸命自分の意見を伝える彼女を見ると、私までが守ってあげないととさえ思わされる。
リアムさんなどは慈しむような笑みを浮かべて彼女を眺めている。そんな二人を見つめているご主人様を見て、彼が怪我をしていることを思いだした。
「そういえばリチャード様、お怪我を見せてください」
右のこめかみ辺りに傷口があり、そこから出血しているようだ。思ったよりも傷は浅そうだが、血がかなり出ていて痛そう。
私は何とかハンカチを傷口に当てようとするのだが、身長が違いすぎるので届かない。するとご主人様が膝をかがめたので、急に顔が近くなる。
そうしてご主人様はその整ったお顔で私に微笑んだ。一瞬でぼっと顔が熱くなる。
「これで届くかな? エマ」
吐く息まで届きそうな距離に、私は一気に心臓が苦しくなる。あまりに緊張したためか、うまくハンカチを傷口にあてることができなくて、ご主人様は何度も痛みに顔をしかめた。
暖炉の中を調べていたリアムさんが驚きの声を出す。
「まさかこんな場所に外に続く道があったなんて全然気が付きませんでした。エマさんはいつからご存じだったのですか?」
「いいえ、リアムさん。私も驚きました。私はリチャード様にここから入ってこいと指示されただけなので」
私がそういうと、ご主人様は笑顔を更に深くして私に微笑んだ。背筋に悪寒が走る。私の小動物的勘が警戒信号を出し始めた。
(あ、これは怒っている時の顔です……私。何か変なことを言ってしまったでしょうか)
「いいえ、僕は君にここから離れて人を呼んできてくださいといったのです。この抜け道は知りませんでした。でもということは犯人はやはりキティで、あの時はここに隠れていたのかもしれませんね」
「ということは! 幽霊の呪いではないのですね! 良かった!」
ご主人様の言葉に心底ほっとする。
それにしてもご主人様の態度はおかしい。私が廊下に置いてけぼりにされた時、すでにこの抜け道を見つけていたのではないかという疑問が頭をよぎった。
でもいまさら幽霊の呪いではなかったといっても、ハーブリット伯爵との縁談はもうないだろう。
(それをいままで黙っていたのは、シャーロット様とリアムさんの恋を応援するため? なのでしょうか)
考えてもわからないので私は考えることをやめた。それよりも大変なことが自分の身に降りかかっているのだから。
「さぁ、エマ。僕たちは屋敷に帰りましょう。もうここで僕たちにできることはありませんから」
そういって外面全開で微笑むご主人様。私はひきつった顔ではいと答えるしか選択肢はなかった。
馭者は大した怪我ではなく、意識を失っていただけのよう。彼のことはリアムさんと後から来るであろうヒッグス様に任せ、ご主人様は馬車から一頭馬を外すと私を横抱きにして颯爽と馬にまたがった。
「ま、まさかご主人様。この格好でエマーソン伯爵家にお戻りになるのですか?!」
「ではシャーロット様、リアム。また改めてお話しましょう」
私の悲痛な質問にも答えずに、ご主人様はそう彼らに言い残して馬を走らせる。私は悲鳴を上げた。
「ひゃぁぁ!」
横抱きにされて馬に乗った経験があるならわかると思うが、すごく怖い。自分を支えてくれる腕がなければすぐにでも馬から振り落とされてしまう。そうなれば二メートルほど下の地面に激突してしまうのだ。
「も、もっとゆっくり走らせてくださいぃぃぃ! ひゃいん!」
ご主人様の左腕をぎゅっと握って必死でしがみつくと、ご主人様は更に馬のスピードを速くさせた。相変わらずの意地悪だ。とにかく謝っておくしか手はない。
「リ、リチャード様ぁ! また何か怒っておいでですかぁ! なんだかわかりませんが申し訳ありません! ですからスピードをぉぉぉ」
「なんのことだい? エマ。僕が君に怒るわけないじゃないか」
なんともないようにおっしゃる。二人きりになったのにまだ外面のまま。どう考えてもすごく怒っていらっしゃるのは確実だ。
「僕はね、今すごく衝動を我慢しているんだ。だからエマも僕が暴走しないようにしっかりと掴まっていてくださいね」
そんなことを言われても、いま馬を暴走させているのは当の本人。でもそんなことを言っても状況は悪くなるだけだろう。私はひっしとご主人様に抱き着いて、ひたすら耐えて時が過ぎるのを待つ。
地獄のような馬の旅は半刻ほど続いた。ようやく解放されてお屋敷に着くと、ご主人様はヘロヘロの私を抱えてそのまま自室へと向かう。
途中で執事である父が声をかけるが、エマは怪我もありませんし無事ですから心配しないでくださいと優しく言って下がらせた。父は私ではなくご主人様の怪我を気にしているのだろうに。
けれども私は指一本動かせそうにない。全身の筋肉が疲労しているうえに、気持ちが悪くて吐きそうだ。
ご主人様は部屋に入ると私を抱いたまま、カウチに座られた。そうして思い切り胸の中に抱きしめる。
「エマっ! 馬車から出るなとあれほど言っただろう! 寿命が縮まるかと思ったぞ!」
ぐえっと肺から声が出る。きっとこれは嫌がらせなのだ。気持ちが悪い上に締め付けられて更に気分が悪くなる。全身をくたりとさせご主人様に身を預けると私は小さくつぶやいた。
「うぐぅ、リチャード様ぁ。そんなことより早くお怪我の手当てをしてください……でないとたった一つだけの取り柄のお顔が大変なことにぃ」
するとご主人様は私の両肩を掴み体を離して、真剣な顔で私を睨みつけた。
「俺の顔なんかどうでもいい。あの時、もしお前があの火掻き棒で殴られていたらと思うとぞっとする。あの時は生きた心地がしなかった」
「らいじょうぶです。私の顔は平均以下ですので、誰も気にしませんから……ふふ」
そういって私は何とか笑い顔を作った。するとご主人様が思い切り顔をゆがめる。切ないような悲しいような怒っているような……いろんな感情の混ざった表情。何を考えていらっしゃるのだろうか。
「どうかなさいましたか? 傷が痛むのでしょうか……?」
心配になってたずねるが、ご主人様は黙ったまま。そうして何分かするとようやく口を開いた。
「――お前は美人だ。王国一綺麗だと言ってもおかしくないほど美人なんだ。俺が嘘をついていただけで」
あまりの突拍子のない話に、私は小さく微笑んだ。
「またまたぁ、リチャード様ったら私をからかおうとしていますね。でも無駄ですよ。すみませんが今はこのまま横にならせてください。今日はたくさんのことが重なりすぎてもうキャパオーバーですぅ。あ、お顔の手当てを早くなさってくださいね」
そういって私は目を閉じた。眠たいわけではないが、目をあけているとまだ天井が回っていて気分が悪くなる。ご主人様はそんな私をずっと抱きしめてくださっていた。
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