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30、リチャード様と結婚?

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こんな風に抱き合ったのはそういえば初めてだ。ご主人様の心臓の音が聞こえて自分の鼓動と重なって……ただそれだけなのにすごく嬉しい。

するとご主人様がいままで聞いたこともないような長いため息をついた。呆れかえったような声を出す。

「はぁーーー、どうしてこんな人気のないところに一人でいる。ヒッグスの屋敷はもっと先だろう。あまり心配をかけるな。心臓が止まりそうになった」

「も、申し訳ありません」

ヒッグス様にキスをされて逃げてきたのだとは到底言えない。私ははっきり答えない代わりに頬を胸に擦り付ける。

「やっと見つけたと思ったら変な男に絡まれてるし俺の知らないドレスまで着てるし。俺の気持ちも少しは考えたらどうなんだ。俺はこう見えて神経が細いんだ。こんなのが続くのは耐えられそうにない」

せっかくの再会なのに冷たいことばかりを言うご主人様に、さすがに悲しくなってきた。半泣きだったのが本格的に涙が出てくる。

「リチャード様ぁ、私も耐えられないんです。このままお傍にいればいづれリチャード様の奥様になられる人にお仕えしなければいけなくなります。それがどうしても嫌で嫌で……そんなことを考えていたら胸が苦しくなって……いっそのこと逃げようって思ったんですぅ」

「……っ! この馬鹿っ! 馬鹿エマっ! それはお前が俺のことを好きだからだ!」

ギリギリの感情を絞り出すようなご主人様の声。

体はご主人様にぎゅうぎゅうに抱きしめられて胸が苦しい。ぽろぽろ涙をこぼして泣いていると、ご主人様が私の両頬を持って体を離した。きっと今の私の顔は涙と鼻水で酷いことになっているに違いない。

「すいましぇん……うぐっ……お手を汚させてしまいましたぁ」

なのにご主人様は手が涙で汚れることも気にせず、まるで愛しい女性を見るように切ない瞳で私の顔を覗き込んだ。

「エマ、俺の奥様はお前以外にない。だからもうどこにも行くな。頼む……」

私の睫毛の上に乗っている涙の雫を親指で拭いながら、今にも泣きそうな表情で絞り出すような声を出す。こんなご主人様は初めて見た。胸がドキドキしてとまらない。

「わた……私がご主人様の……お、奥様……?――んっ!」

その先の言葉は続けられなかった。というのもご主人様は私の唇にキスを落としたから。初めは確かめるようにゆっくりと触れては離れ……次に唇を吸われるような熱いキスが落とされた。

(ふわっ、あぁ……なんかふわふわしてきましたぁ)

ご主人様の熱い舌が私の口内でねっとりと絡められる。桃色の吐息すらすべて、ご主人様に全身を食べられているよう。

くちゅりくちゅりと音がして何度も何度も唇を合わせた。蜜のような唾液をすすられては絡めとられる。繰り返すうちに今までにあった不安がすべて吹き飛んでしまった。

「ふわぁっ……ぁ」

再び体が離れた時には足がガクガク震えてまともに立てない状態。ご主人様が私の体を支えて横抱きに抱き上げる。

(まだ信じられませんが、ご主人様は私が好きなのでしょうか。ということはいままでの意地悪は、愛情の裏返し? そんなことって本当にあるのでしょうか。信じられません)

「あ、そうだ。エマ、お前に一つ言っておきたいことがある」

「はぁっ……ふ、ふわいっ!」

きっと冗談だといわれると身構えていると、ご主人様が一言言い放った。

「ご主人様でなくてリチャードだ。いい加減に覚えろ。今月は給金二十パーセント引きだな」

「ひぇっ! ご主……リチャード様ぁ! じゃあもう今月はほとんど残っていません!」

そういうとご主人様は私を抱いたまま、公園の出口へと歩いていく。わざと私の顔を見ないようにしているらしいが、顔が真っ赤になっているのが分かった。

人通りの多い場所に来ても、ご主人様はそのまま。人の視線など気にしていないよう。公園の端に留められていたご主人様が乗ってきたのであろう馬車に乗せられ、ようやくご主人様は口を開いた。

「とにかくエマーソン家に帰るぞ」

「あの、でもヒッグス様にご挨拶は……買っていただいた服もまだお屋敷に置いたままですし」

「…………今すぐお前のドレスを破ってしまいたい気持ちを我慢してるんだ。あまり俺を煽るな、エマ」

あまりに恐ろしいセリフに、私は口をつぐんだ。よほどピンクのドレスが似合っていないらしい。

ご主人様はそれから何も話さずに私を馬車まで連れて行き、エマーソン家へと走らせた。使用人に手紙をことづけていたからヒッグス様にはそれで連絡をしたのだろう。

「エマ、俺は今から寝るから少しも動くなよ」

いつかと同じセリフに同じ状況。私の膝に頭をのせ、ご主人様は横になられたかと思うとすぐに目を閉じた。まるで時間が巻き戻ったかのよう。

膝の上のご主人様の顔をじっと見ると、最後に会ったときにはなかった隈のようなものができている。もしかしてご主人様も私と一緒でこの数日間あまり眠れなかったのだろうか。

「リチャード様。助けに来てくださってありがとうございました」

小さな声でそういうと、ご主人様が私の手を握った。大きな手が私の手を包んでくれて、なんだか安心する。優しいしぐさの後に厳しい声が飛んでくる。

「うるさい、エマ。ちょうど寝落ちたところなのに邪魔をするな!」

「は、はいっ!」

ご主人様に言われたとおりに黙っていると、だんだん眠くなってきた。瞼がゆっくりと閉じられる。

「ふわぁぁぁ……ん」

大きなあくびが出たかと思うと、いつの間にか眠ってしまっていたようであとのことは何も覚えていない。目を開けた時には、ご主人様の珍しく緊張した顔があった。

「早く起きろ。これからが本番だからな。とにかく黙って笑っておけ」

おっしゃる意味が全く分からない。もうエマーソン家についたのかと寝ぼけ眼で馬車から降りると、見慣れた玄関にはずらりと使用人が並んでいた。

その真ん中にはエマーソン伯爵夫妻に父のテムズが立っている。エマーソン夫人はハンカチを持って涙ぐみ、父は感動を噛みしめているようだ。伯爵は神妙な顔をしてその間に立っていた。

(なっ、何かあったのでしょうか?!)

ご主人様の銀の髪が揺れて青く光る流し目が私の心を揺さぶる。いつもの外面を全開にして、ご主人様は今まで以上に爽やかにおっしゃった。

「ただいまエマを連れて帰りました。父上母上。エマの了解を得ましたので、十年前にした約束通り僕はエマと結婚させていただきますよ」
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