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29、リチャード様との再会

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「どうしたの? 綺麗な娘さんがこんな場所に一人でいて泣いているなんて」

「そうそう、俺たちに相談してみなって。なに? もしかしてお金持ちの彼氏に見捨てられたの? いいドレスだね、それ」

「俺たちがいいところに連れて行ってやるからさ。お嬢ちゃんも、気持ちいいことは好きだよね」

振り向くと五人の男性が私を取り囲むようにして立っていた。服装から見るに、普段からよからぬことをしているような刹那的若者。

私の小動物的勘が、彼らは良くないといっている。私はすぐにベンチから立ち上がって叫んだ。

「結構です! 今からお父様が迎えに来られますのでご心配なく!」

男性を押しのけていこうとするのだが、彼らが行く先を塞いでいるので先に進めない。何度か体を押し返された後、一人の男性が私の手を握った。ぞくりと頭の先まで嫌悪感が走る。

「うわっ、すごい柔らかい肌だぜ。こんな上物、初めて見た。こりゃ俺たちで味見するより売った方がいいかもな」

「あ、味見とか売るって! 私は食べ物でも売り物でもありません!」

「へぇ、そうなんだぁ……分かった分かった。はははっ。面白いね、君」

何を言おうと彼らは私の言うことを聞いてくれない。それどころか私の行く先を阻んだ上に、腕を掴んでどこかに連れて行こうとしている。

「あっちに行けば馬車がひろえるから、一緒に楽しいところに行こう」

「や……嫌ですっ! やめてください! 離してっ!」

暴れると更に腕が締め付けられて痛い。あまりの痛さに私が声を上げると、彼らは楽しそうに一斉に笑った。その様子を見てぞくっと悪寒がする。

(ご主人様にもいじめられていましたが、この人たちとは全然違います! こんな風に私が痛がるのを面白がって笑ったりはしませんでした……!)

「そうだ、これを吸ったらどうかな? 気持ちよくなって嫌なこと全部忘れてしまうから」

一人の男がそういうと、ほかの男たちも賛同した。そうして数人で私の体を押さえつけると、変な香りのする煙草を口に押しつけようとする。

「や……嫌です! いや」

「遠慮しないでいいから……ほら。お前らもっときちんと押さえろよ!」

「い……いやっ! 助けて、ご主人様ぁっ――‼‼‼」

力の限り叫んだら、急に握られていた手が離されて大きな音とともに男たちがいなくなった。ゆっくりと目を開けると目の前にはご主人様の姿がある。

「ご主人……様……」

時間が止まって幻を見たのかと呆然とする。けれどもいつものご主人様の言葉に、すぐに現実に引き戻された。

「リチャードと呼べと言ってるだろう! この馬鹿っ!」

全身が脱力して足の力が抜ける。私はその場でしゃがみこんだが、ご主人様にすぐに立たされる。

「なんだ? この男! 一人で俺たちに敵うとでも思ってるのか!」

「すみませんが、僕は格闘技もかなりいけましてね。君たちくらいの暴漢なら一人で十分です」

あれっ? と不思議に思うがご主人様はいつもの外面に戻っている。男たちはそのセリフに牽制されたようだ。殴り掛かろうとしていたのをやめて、注意深くご主人様の動向を探っている。

ご主人様は私を自分の背側に押し込んでから、私だけに聞こえる声でつぶやいた。

「エマ、俺を置いてここから逃げろ」

(えええええええっーー!)

「そ、そんな。ご主人様をおいてはいけません」

「しらじらしい嘘をつくな。お前はついこの間、俺を置いてヒッグスの手を取って逃げたばかりだろう。いいからいけっ」

「でもあれはご主人様が酷い意地悪を私にしたからで!」

(……あぁ、でも私。こんな状況なのにどうして心がウキウキしているのでしょうか)

「いいか、さっさと行かないと向こう二年は給料なしだ」

そのセリフに体が反射的に軽くなる。長年言われ慣れた台詞の効果は恐ろしいもので、条件反射で従ってしまう。

「絶対に誰か呼んできますから、それまで待っててくださいぃ」

ほとんど泣く一歩手前でそういうと、踵を返して走り始めた。

「おいっ! こいつっ、逃げるつもりだぞ! 簡単に逃がすわけないだろう!」

走り出した男の足をご主人様が蹴った。それはうまく膝の裏側に当たったらしく男は勢いよく地面にすっころぶ。ご主人様は相変わらずの微笑みで彼らを威嚇した。上品で綺麗なお顔なのですごみが増している。

「彼女を追うのは僕を倒してからにしてください」

「このっ! やっちまえっ!」

それがご主人様を見た最後。

私は夢中で走り続けた。さっきご主人様に感じた違和感。実はご主人様はそれほど格闘技は得意ではない。もちろん普通の人よりはお強いのだが、五人の男性を相手に勝てるほどではないはずだ。

(早くっ! 早く誰か呼んでこないといけません!)

その上、最大の問題は私の足が遅いこと。あっという間に一人の男に追い付かれてしまう。

後ろから羽交い絞めにされて人形のように持ち上げられた。全力で暴れるが、足が宙を掻くだけでどうにもならない。

「やめてっ! やめてくださいっ!」

「やめてって言われてやめられるわけないだろう。本当に可愛らしいなぁ。誰かに売ってしまうのが惜しいくらいだ」

「だから私は売り物じゃありませんっ! 離してっ! 警官を呼びますよ!」

男に抱きしめられて全身に嫌悪感が走る。その時、何故かご主人様に抱かれた夜のことを思い出してしまった。私の体に触れる指に熱い息。私の頬を撫でるご主人様の銀色に輝く髪。

そのどれもが甘美なもので、いま全身を這っている嫌悪感など欠片もなかった。

(いやぁ! 気持ち悪いっ!)

「た、助けてください! リチャード様っ!」

大声で助けを呼んだ時、いつものご主人様の声がすぐ近くで聞こえる。

「ようやく呼んだか、エマ。間違わなくなるまで随分かかったな」

まさかと思い顔を向けると、いつもの余裕のある表情のご主人様が立っていた。少し服が乱れているだけで、けがはない様子。

「リ、リチャード様ぁ」

私は半泣きになりながら、情けない声を出した。

「お、お前、どうして! 他に四人もいただろう?!」

私を抱きしめた男が慌てふためく。ご主人様は乱れた髪を直しながら男を睨みつけた。

「格闘技やフェンシングはルールがあるので苦手ですが、急所を狙ってもいい喧嘩は得意分野なんですよ」

ご主人様の顔を見て、ぶわわわわぁっと温かいものが再び全身に満ちてくる。

(急所を狙うとお強いなんて、どれほど外面の良すぎるご主人様らしいのでしょうか。あぁ、良かったぁ……無事だったんですねぇ……うぅ)

「では我が家の専属メイドを返してもらいましょうか。僕の許可なく勝手に触られるのは困ります」

ご主人様の迫力に、男は怖気づいたらしい。私を抱いたまま、ポケットから何かを出した。すぐにそれが何かを悟る。

「リ、リチャード様っ! ナイフですっ! お逃げください!」

「ははっ、違うぜ。これはこうやって使うんだ。おい娘、動くなよ。腕が滑ったら間違って刺してしまいそうだからな」

あろうことか男はナイフの切っ先を私の胸に向けた。てらてらと光る尖ったナイフを見た瞬間、自分がとんでもない状況に置かれていることを知った。

「や、やめてください!」

「あぁ、やめてやるさ。この男がどこかに行ったらな。ほら、どうする? この娘が刺されてもいいのか?」

「リチャード様! 私のことは置いて逃げてください! 私の命よりもリチャード様の命の方が何百倍も大切ですっ! お父様には愛しているとお伝えください!」

するとご主人様は少し悲しいお顔をされた。それから切れ長の瞳で斜めに私を見下ろす。

触れたら感電しそうなほどに、ご主人様がピリピリしているのが空気から伝わってくる。男もそれを感じたようで、急に全身を細かく震わせ始めた。

「エマ……僕が君を置いていくと本気で思っているんですか――」

「く、来るなっ! 本気で刺すぞっ!」

ご主人様が私たちのいる方に歩み寄ってくる。男は私に向けていたナイフをがむしゃらに振り回し始めた。それでもご主人様は足を止めない。

「刺してみなさい。エマに傷一つでも付けたら、エマーソン伯爵家の名に置いてあなたに死んだ方がましだという痛みを与えて上げましょう。絶対に死なせずに、何年もかけて一生痛みの中でのたうち回って生きるのです」

いままで何度もご主人様の外面を見てきたが、これほどに恐怖を感じた外面は初めてだった。私が脅されているわけではないのに、怖くて怖くて卒倒しそうになったほど。

(なまじっかお顔が整っていますので本当に恐ろしいですぅ……幽霊よりも恐ろしいのはやっぱりご主人様です!)

「ひぃぃぃっ! ご、ごめんなさいぃぃ!」」

絹を裂くような声が聞こえたかと思うと、男はご主人様の体にぶつかって逃げて行った。次に見えたのはご主人様の背広。そうして何も見えなくなった。

ご主人様の胸に抱きしめられたのだ。懐かしい香りがして心の底から安心が満ちていく。ぎゅうぅぅぅっと抱きしめられたので、私も背中に当てた手に力を込めた。

ご主人様の白いワイシャツをぎゅうぅぅぅっと握りしめる。

「エマ……エマ……」

「リチャード様ぁ……」
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