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第二章 王子は魔女に恋い焦がれる

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 小屋に到着したときには、夕空は夜に侵食され、あたりは随分暗くなっていた。夜の空気はひやりと肌を刺していき、背後の温もりにわずかな離れ難さを感じさせる。
 するりと馬から降りたエレナに続いて、クロードも土の上に降り立った。

「送って下さって、ありがとうございます。あの、少し待ってください」

 周囲は暗く、このまま夜道を帰らせるのは危険だと判断したエレナは、急いで小屋のなかに入ると明かりを点けて空き瓶を手にする。

 棚から小箱を二つ取り出し、瓶のなかに薬草を一枚ちぎって入れ、そこに火蝶の鱗粉を一匙足す。きつく木栓を閉めた。
 密閉された瓶を大きく五度ほど振ってやれば、鱗粉は瓶のなかできらきらと発光した。エレナはそれを手に急ぎ外に戻り、クロードに差し出した。

「どうぞ、お持ちになって下さい」
「光っているが、これは?」
「火蝶の鱗粉です。光が弱まったら、瓶を振って下さい。今夜中は光はもちますから、夜でも辺りは見えるかと」
「君はすごいな。ありがとう、エレナ」

 クロードは、瓶ごとエレナの手を包み込んだ。鱗粉が放つ光のせいで、エレナの顔がかあっと赤みを帯びていくさまは、クロードにも見えていただろう。だが、彼は何も言わず、エレナの指先を指で辿った。

 黒珠草の汁で黒く染まった指先を撫でられて、エレナは手を引っ込めようとする。恥ずかしさと、クロードの手を汚してしまうかもしれないという恐れがあった。

「殿下、わたしの手は、汚れていますから……!」
「君のこの手が、彼らを救った。この手は、汚れてなどいない」

 クロードの手は、きつくエレナを包み込み放そうとしない。顔を直視できず、エレナは俯いて赤い顔を隠した。
 今日、エレナは確かに人を助けた。だが、それはクロードのおかげだ。
 クロードが気前よく金貨二十枚という大金を出してくれたから、彼らは助かったのだ。

「わたしでは、ありません。殿下が、資金を出して下さったから、薬は作れたんです」
「私は金を出しただけだ。君が救った。誇るべきは君の知識と、その清らかな心だ」

 とくん、と、胸が高鳴った。
 いったい、何に自分の心が打たれたのかもわからない。だが、確かに、エレナの心臓はこれまでと違う速度で、時を刻みはじめていた。

 エレナの左手を、クロードの右手がそっと握りこみ、瓶から引き離す。流れるような所作で、クロードは黒く染まったエレナの指先に唇を押し当てた。
 柔らかな唇を指先に感じて、エレナは鋭く息を吸い込み手を引っ込める。

 嫌悪感はなく、ただ、羞恥心が身を焦がす。
 簡単に流されてしまってはいけない、と、エレナは取り返した手を胸の前で握りしめながら、なんとか自分を落ち着かせた。

 あっさりとエレナの両手を解放したクロードは、そのまま馬の背に乗り上がる。

「次は、いつ会えるだろう」
「……明後日には、依頼の媚薬をお持ちしようかと、思っていました」
「わかった。兄上と義姉上にも、伝えておく」
「はい、お願いします」

 鞍上で、光る瓶に照らされたクロードの表情は、どこか楽しげに見えた。
 エレナをからかって遊んでいるような悪戯なものではなく、もっと純粋に、二日後の再会を待ち遠しく思っているような──クロードの表情をそんなふうに捉えてしまうこと自体がよくない傾向だと、エレナは厳しく唇を引き結んで眉を寄せた。

 馬首を巡らせて一本道を遠ざかっていくクロードの背中を見送ってから、エレナは静寂に包まれた小屋に入った。

(長い一日だった……)

 疲れ果てた体を、今すぐベッドに投げ出したかった。
 しかし、ようやく厄介なクロードを見送ったというのに、ベッドの上には、昼間に彼から受け取ってしまった小包が鎮座していて、エレナは逃げ場を失くした思いで顔を覆った。
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