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第89話 敵わない

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 素直なパン。

 俺には作れないパンを。

 まだ幼いとは言え、親父と……あの綺麗な黒髪の女性と作ったんだ。

 たしか、美濃みのさんって言ってたか?

 あの人……いや、人間じゃないから妖怪? でも、害はあるようでないから……付喪神っていうのか?

 親父や美濃さんと楽しそうに作っているのを、俺や妻の菜々ななにも持ってきてくれるようになって数ヶ月。

 それが……どれもこれもとても美味い。

 親父だけで作ったパンも、俺がガキの頃から食ってたから美味かったが……すぐ、『美味い』と言えるパンを作れるようになるだなんて思ってもみなかった。

 きっと、添加物はほとんど入れていないだろう。

 親父や美濃さんの指導があったとしても……まだ八歳程度の子どもが作れる技量じゃない。

 俺の娘は……実は天才だったんじゃないか?

 本人の希望で、親父の代から続く『ルーブル』を継ぐっていう覚悟がどこまであるか……正直言って、半信半疑なところはあったが。

 これだけの腕前の品を、目の前に出されたら……俺は完敗だ。

 美濃さんに告げた通り……今は素知らぬふりはしているけれど、桜乃さくののパンは素直そのものだ。俺など、流れで決めた今の職業をこなしているだけの味わいと全然違う。

 とにかく、純粋に『美味い』と口に出してしまうんだ。桜乃と親父……美濃さんが作ったパンは。

 桜乃が、本当の意味で製造員への道を歩んだら……俺なんかあっという間に追い越すだろう。

 それを考えた時に、俺は親としてもだが店の店長としても『嬉しい』と思えた。安心して、あとを任せられる人材という意味で。

 桜乃ほど、今身近で適任な存在は他にいない。店のためも思うと、うちの子以上の人材も今はいないんだ。家族経営のパン屋ではあるが、この先は違っていっても。

 桜乃なら大丈夫だと……俺でもわかるくらい。

 それくらい、改めて食べるパンは美味かったからな。


「おいひー!」


 宙太そらたが生まれたことで、自分の居場所を制限されていくと思ってた桜乃だったが。

 こんなにも笑顔で、楽しい毎日を過ごしているんだ。その場を取り上げる権限は……俺には無い。傍観しかけて、親として向き合おうとしていなかった……俺には。


「桜乃。美味いよ」

「ほんと! もっとがんばるー!」

「……これ以上?」

「おとうさんに追いつくもん!」

「……勘弁してくれ」


 既に追い越されているのに、自覚がないとは。

 だが、そこはまだまだ子どもらしいので安心は出来た。
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