ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第一章 少年、開花す

012.その正体と介入者

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 1分。2分。改めて放火魔のことを観察しつつ、ルーラは待った。

 等身大の水のボールが一瞬で蒸発し、ホースからの放水も物ともしないほどの高温。ただの炎ならそこまで温度は高くならないはずだ。ならば、この放火魔の魔法は「炎を出すこと」ではなく「体温を爆発的に上昇させること」なのではないだろうか。それにより周囲の空気に引火して、火だるまになっているのではないだろうか。

 そんな高温物質をもし鯉池に落とそうものなら、池の水が沸騰して、池中の鯉が鯉コクにされてしまう。ここまで逃げては来たが、池を利用して逃げるのはやめたほうがよさそうだ。

「………………」

 放火魔は無言だ。じりじりと沈黙が続く。ルーラはさらに質問を重ねてみる。

「お前は誰だ」

「…………」

「…出身校は」

「…………」

「す、好きな食べ物」

「…………」

 何を聞いても答えてくれない。それどころか一切の反応がないので、気まずさに喉が締め付けられる心地がした。まさか、そもそも声が聞こえていないのか。そう考えて、ルーラは放火魔を真っ直ぐ指差してみせた。そしてもう一度問いかける。

「お前は誰だ。何がしたい。何で俺を追いかける? …皆殺しが、目的なのか」

 自分で口にしておいて、皆殺しという単語に指先がかすかに震えた。目の前にいるのは、残虐非道な放火魔だ。こんな悠長な真似をしている場合ではない。こうやって油断させておいて、隙を見せた瞬間に火を放つつもりなのかもしれない。しかし、見れば見るほどこの放火魔からは、所謂殺気と呼ぶべきオーラを全く感じないのだった。快楽犯なら狂気かとも思うが、それもまた違う気がする。

(何を考えてる……?)

 そして、指差しが通じたのかはわからないが、初めて放火魔がリアクションを示した。ルーラがするのと同じように、ゆっくりと片腕を前へと突きだす仕草をしたのだ。聞こえていないのか、喋れないのか、それはわからない。ただ、ルーラは放火魔の意思表示を見逃すまいと、気を引き締めてその動向を見守った。

 伸ばされた腕は、何かを求めるように頼りなげに宙を掻いた。その動きは驚くほど弱々しい。ルーラは放火魔の指先を注視する。いったい、何を指している。

「…………後ろ?」

 ふと閃き、振り返った。そこには手水所がある。

「お前……水が欲しいのか…?」

 ルーラは眉をひそめた。

(水なんて、今まで散々食らってたのに)

 水なら消防士たちがこれでもかというほど浴びせていた。にも関わらず、この放火魔はそれら全て無効化していたのだ。何を今更欲しいなどと言い出すのだろう。これでは、まるで放火魔自身が消火を望んでいるようではないか。

「…こんなもので良ければ」

 しかし、今のところ出来そうなことはこれしかない。欲しがっているならあげてみようと、ルーラは杓子を手に取り水を汲んだ。


 しかし、「体温を上昇させる」だなんて、どこかで聞いたことがある魔法である。いや、聞いたことがあるからこそ仮説として思い付いたのだ。

 従兄、ラヴィンの固有魔法〈表面発熱サーフェスヒート〉。彼の服の袖は、溢れる魔力で常に焦げていた。制御が効かないほどの潤沢な魔力。なんて贅沢なんだろうと、出会ったその日からずっと冷めた目で見ていた。ちょっかいをかけてくるのがウザったくて、目も合わせないようにしていたら、やがて向こうから話しかけられることもなくなった。ひとつ屋根の下で暮らしながら、一言も交わさない日々を3年ほど過ごした。そもそも、血の繋がりがなければ一生関わることもないような相手だ。この関係があるべき姿だと、会話がないことを問題視したこともなかった。

(…目も合わせない、か)

 徹底的に無視していた間、彼はどんな顔をしていたのだろう。

 ルーラは放火魔めがけてぱしゃ、と水を撒いた。


 瞬間、撒いた水が舞い散る桜の花弁のように見えた。


 困惑したのも束の間、さらに驚くべきことに、たった杓子一杯分の水は放火魔に当たった瞬間、その体からボロボロと炎を落としたのだ。

「え、何? 神社パワー? なんで___」

 ルーラはそこで言葉を失った。


 炎が落ちて、放火魔の顔の一部が確認できた。

 健康的な褐色だった肌は、今や血の気を失ってまるで土のよう。人懐っこそうな丸い金色の瞳は濁り、彷徨い、焦点が定まっていない。病的なまでに弱り果てたその顔、長年無視し続けてきて、まともに見るのも久々なその顔。



「なんで………お前が、そこに、いるんだよ………」



 ラヴィン、と呼び掛けるより早く、ルーラとラヴィンの間に、ぶわりと紅白の衣が躍り出た。


「大地を踏みしむる命力を熱に変え、我は桜花御神オウカノミカミの名の下に天下を正す。花よ、天下の手向けよ、我に力を与えたまえ___」


 滑らかに紡がれた言葉のあと、脳が揺れるような響きを含んだ声がした。


火坑かきょう


 突如引力がぐわんと強く作用し、ルーラはその場に膝をついた。そして辺りが一瞬、光で真っ白になった。

「お怪我はございませんか?!」

 数秒して、今度は普通に声が聞こえた。眩む視界に顔を顰めながら、薄っすら目を開ける。そこには血相を変えた、倒れたルーラの介抱をしてくれたあの巫女がいた。

(そうだ。本物のサホも観客もいなかったけど、巫女は…!)

 どうやら、ルーラが放火魔に襲われているものだと誤解して割って入ってくれたようだった。そして前を見ると、ラヴィンの姿がどこにもない。驚き周囲を見回すと、巫女の足元にさながら火山の噴火口のような、灼熱に滾る大穴が開いていることに気が付いた。巫女は大穴に向かって手をかざしている。ラヴィンはその中に落とされ、身動きが取れなくなっていた。

「なん、だ、この魔法…………」

 強大な力を前に、ルーラは絶句する。当たりの炎系。舞のときにも目にしたが、まさかこれほどとは思わなかった。相当なやり手だ。

 巫女は相当憤慨している様子で、ルーラを庇うように立ちつつ、ラヴィンを睨みつけている。

「下賤な魔法使いごときが。如何なる理由があろうと、我らが神童に仇なすなど“第壱枚”の位を賜ったこの私が許さない…!」

「み、巫女さん」

 ルーラが呼び掛けると、巫女はチラリとこちらを振り返り、微笑んだ。いや、口角を吊り上げただけだ。目が笑っていない。真っ直ぐ立つと存外背が高かった彼女のあまりの迫力に、ルーラは震え上がった。

「ご安心を。此奴はこれより、私が葬り去ってみせましょう」

「え、葬りっ?! まッ待って…‼」

 ルーラの制止を気にも留めず、彼女はラヴィンに向き直ると、再び脳を揺らすような不思議な声で言い放った。

火鍼ひばり!』


 ____グサッ!


 宣言に呼応し、炎の穴は内側にアイアン・メイデンのように大量の針を纏った。ルーラはその光景に違和感を覚えたが、針が容赦なくラヴィンの体を突き刺したのを見てすぐに忘れてしまった。

「待て! 駄目だ! ラヴィンが死ぬ!」

「何故駄目なのです」

「何故?! 何故って何っ?!」

 ルーラが絶叫すると、巫女はさらに腕に力を込める仕草をした。ラヴィンの体から血が吹き出した。血肉が焦げる匂いが辺りに充満して、吐きそうになった。

「や、やめて……」

 青褪めるルーラを見て、巫女は不服そうに眉をひそめて言う。

「危うく貴方様が死んでしまうところだったのに。これは、受けて当然の罰にございます。神童たる貴方様を傷つけようとした此奴は、ここで死ぬべきなのです。これらの行為は“かの方”の神託のもとに遂行され、此奴の魂は私達の目指す世界をつくる糧となるでしょう」

「意味わかんない、ていうか何で俺のこと貴方様とか神童とかって、あと“かの方”って誰?! 神託って何?! それに目指す世界って…」

 ルーラが次々と疑問を捲し立てたそのとき、穴から影が飛び出した。なんとラヴィンは、肉を裂きながら自力で針地獄から抜け出したのだ。巫女がルーラへ短く指示を出す。

「お下がりください」

 しゅう、と穴が塞がっていく。ラヴィンは体が自由になると両手を地面につき、まるで獣のように巫女に飛び掛かった。巫女はそれを軽やかに側転して躱す。

火攻ひぜめ

 さらに、彼女は回転しながら再び手中から火を放ち、空中にいたラヴィンの腹部に容赦なく打撃を加えた。ドン、と花火のような重々しい爆発音がした。その衝撃は、ラヴィンを階段下へ突き落とすのには十分だった。
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