ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第一章 少年、開花す

002.魔法使い

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 はっとして振り返るとそこには、長い漆黒の髪と鳶色とびいろの瞳をした少女がいた。ラヴィンがいち早く反応し、笑顔を浮かべる。

「サホ! 今来たのか、さっき神社すごかったんだけど見れた? 花びらがぶわーって」

「見れた見れた、すごかったよねぇ。ね、ルーラ」

「え、あ、うん…」

 小首を傾げ、にこにこと此方を見つめてくる少女、サホから逃れるように、ルーラはふいと目を逸らす。

(とうとう来たか…)

 ただでさえ落ち込んでいるのに、さらに気分が沈んでいくのがわかる。やはり無理をしてでも断るべきだったかもしれないと、ルーラは今になって後悔し始めた。


 ルーラが桜祭りへ赴いたのは、サホに誘われたからである。


 正確には、押しきられたと言うべきか。中学校の卒業式を終えたその日、同級生たちが校門で友との別れを惜しんでいる最中、ルーラは一人とっとと帰路に着いていた。それを追いかけて、「桜祭りに来てほしい」と声を掛けてきたのがサホだった。

 在学中、全く接点のなかった同級生。目に見えて戸惑うルーラに彼女は半ば強引に約束を取り付けると、断る間もなく姿を消してしまったのである。

 不安だった。ルーラは、見ず知らずの相手と和やかに世間話、などという高等技術は持ち合わせていない。また、サホがどういう目的で声をかけてきたのかが不明なあたり、そもそも一対一で会うのにも抵抗があった。

 しかし断り損ねてしまったからには仕方がないと、ルーラは苦肉の策として、従兄のラヴィンを同行させることにしたのである。そう、知る者こそほとんどいないが、ルーラとラヴィンには血の繋がりがあるのだ。そのうえ、ルーラが訳あって叔父夫婦の家で世話になっている関係で、同居人でもある。人脈がゼロに等しいルーラにとって、頼れる相手と言えばラヴィンしかいなかった。また、彼が誰よりも適任だった。

 ラヴィンはルーラの何百倍も社交性がある。人望も厚く、所属するサッカー部のキャプテンも任されていたと聞く。まさに助け舟を出してもらうにはうってつけというわけだ。人と話すのが極端に苦手な自分に代わって、彼に場を繋いでもらおうというのが、ルーラの立てた作戦であった。


 そして、今に至る。

 そのラヴィンはというと、早速サホと談笑に勤しんでくれている。彼にかかればこんなもの造作もないのだろうが、ルーラはつくづく、彼は別世界に生きているのだと思う。こんな孤独を体現したかのような自分とではなく、陽の元で暮らすラヴィンと話していたほうが、サホも楽しいに決まっていると、ルーラは自分の選択に頷いた。

(本当に、何で俺なんかを誘ったんだ…?)

 ラヴィンがなにか冗談でも言ったのか、肩を揺らし笑うサホを見ながら、ルーラは内心首を捻った。

 そういえばラヴィンが、ルーラがサホに誘われた旨を説明したとき「ついにお前にも春が来たかぁ!」などと言ってはしゃいでいた。そのときはよく意味のわからないままスルーしてしまい、結局聞き返すタイミングを逃してしまった。しかし、今日を越えれば何もかも済む話である。ルーラは頭を振って一連の記憶を抹消した。



 ふいに肩にぽん、と軽い感触がした。見ると、ラヴィンがルーラの肩に手を乗せ、此方を見下ろしている。スポーツマンらしい筋肉質な体つきに加え、頭ひとつぶんルーラより背の高い彼は、目の前に立たれると圧巻だ。

 ラヴィンは何故かにやにやとしながら、ルーラの顔を覗きこんで言った。

「んじゃ、俺はここまでな」

「は?」

 すっとんきょうな声が出た。口を閉じるのも忘れてラヴィンを見上げると、彼はひらひらと手を振って離れていってしまう。

「じゃあな、サホ。俺はもう行くから、頑張れよ!」

「うん、ありがとうラヴィン」

 さらにサホにまで別れの挨拶をしているではないか。ルーラは思わず、去ろうとするラヴィンの服の裾を掴んだ。

「え、ちょっ待って、何事?」

「ん、何って、今からサホと話すんなら俺は邪魔だろ?」

「おい、何のためにお前を連れてきたと思って」

「…何のためなんだ?」

「だから、その」

「………ルーラ…?」

 ラヴィンの額に汗が滲んでいる。サホはきょとんとしてやり取りを眺めていた。ルーラが説明にまごついていると、何やら険しい顔をしたラヴィンに肩をぐわしと掴まれる。

「ルーラお前まさか、何でサホに誘われたのかわかってないのか?」

「わ、わかるわけないだろ、聞いてないんだから」

「……………マジで……?」

 ラヴィンの手が微かに震えている。掴まれた肩が熱を帯び始めた。

「…あのなルーラ。女子が、わざわざ会いたいって言ってきたんだろ。卒業したのに。話がしたいって、誘ってきたんだろ。こんな分かりやすいことないだろ」

「は? 何が」

「マジかお前?!」

 絶句するラヴィン。いよいよ肩が熱い。ルーラは耐えきれず、咄嗟に仰け反った。ラヴィンの手が離れたパーカーからは、うっすらと煙が出ていた。ラヴィンは「あっ」と呟くと、慌ててルーラから距離をとった。ルーラは、熱が残る肩を唇を噛んで見つめた。

「ルーラ、ごっごめん…!」

「……」

「…あの、さ、もっと周りに興味を持とうぜ? そのー、なんだ、お前にも色々あるのは勿論知ってるけどさ。それとこれとは…はっきり言って別だと思うんだよな。ほら、サホも困ってるだろ」

「……………」

「嫌味とかじゃなくて。さっきのはわざとじゃなくて……と、とにかく頑張れ! 俺もう行くから! じゃ!」

 そうこうしているうちに、ラヴィンは飛ぶように走り去ってしまった。足音がすっかり聞こえなくなったころ、ルーラは肩を睨んだまま、小さく吐き捨てる。

魔法使いにんげんのお前に、何がわかるんだよ…」

 ルーラはわき腹を強く押さえつけた。そこへ、完全に置いてきぼりにされていたサホが、遠慮がちに声をかけてきた。

「えっと、何か、大丈夫? あっち座ろっか」

「……あ、あぁ、うん…」

 促されるまま、ルーラは命鼓手向の近くにあった岩に浅く腰掛けた。サホはその隣にしゃがんだ。


 気持ちがこれ以上ない程に沈んでいる。和やかに世間話など努力する気も起きない。自分は椅子代わりの岩、相手は地面という状況を気遣う余裕もなく、ルーラが地面を見つめて一言も発さずにいると、気まずそうにサホが口を開いた。

「………ごめんね」

「え?」

 ルーラが顔をあげると、サホはまるで花が萎むように俯く。

「ルーラがこういうのあんまり得意じゃないの、知ってたんだ。困ったよね」

「あぁ、いや…」

「肩、大丈夫? ラヴィンと揉めてたっぽかったけど」

「え、あ、うん平気…」

 サホが存外しおらしい態度を見せるので、ルーラはほんの少し警戒心を解いた。

(別に良い奴だ……でも、こいつもどうせ……)

 ルーラの心境を余所に、サホはゆっくりと自分の話を始めた。

「私、学校ですっごい浮いてたんだ。友達もいなくて、後半ほとんど登校してなかった。でもルーラとどうしても話したくて、卒業式だけは出たけど」

「……何でそこまでして俺なんかと」

「あとで教えるよ。ねぇ、やっぱり駄目な奴だと思う? 学校サボるとか友達いないとか」

 力なく笑ったサホに、ルーラはぼそぼそと答える。

「俺も別に、友達とかいなかったし…学校は一応毎日行ってたけど、本当に行ってただけだな…」

「あはっ何それ、ルーラって面白いね」

「……そんなこと初めて言われた」

「えー、うっそだぁ! 一緒にいて楽しいよ?」

「それも初めて言われた…」

「あははっ初めて言われることばっか!」

 コロコロと笑うサホを見ていると、少しずつ気持ちが晴れてきた。ようやく落ち着きを取り戻したルーラは、改めて彼女の姿をしっかりと見た。


 肘の辺りまで伸びる、艶やかな黒髪は姫カット。優しげに垂れた大きな目にはあどけなさが残るが、口元の黒子がちぐはぐに大人っぽい。女性とも少女ともつかぬ、不思議な容姿だ。確かに取っつきにくいのだろう、学校に馴染めなかったというのも納得できた。

 そして、ルーラは皆勤ではあるものの、浮いていたという点ではサホと同じである。無口で、暗くて、おまけに人間離れした容姿をもつ彼に、同級生たちはこぞって距離を置いていた。コミュニティというのものは、ルーラやサホのような異物に冷たい。

 ルーラは親近感を覚えかけ、慌ててそれを心の中から追い出した。自分と他人では、絶対に埋まらないものがあることを忘れてはいけない。


 ふいにサホがこちらを見上げた。ルーラはすぐに目を逸らしたが、視線に勘づいたのか、サホはまた小首を傾げた。

「私たち、似てると思わない?」

 その言葉にルーラは眉を寄せた。浮上してきた気分が再び沈んでしまう。

「………似てるかもしれないけど、絶対に埋まらないものがある」

「えー何それ?」

 それは、ルーラにとって最大の秘密であり、欠陥だ。言えるわけがない。

 黙りこくったルーラを見て、サホが目を細めた。

「ルーラ、今すっごい辛いでしょ」

「…え?」

「わかるよ。苦しんでるのも知ってる。私そのことについて話がしたくて、こうして誘ったの」

「わかるって、そんなわけ…」

「ルーラってさ」

 サホはルーラの目を見据え、小さく息を吸い込んだ。



「使えないよね、魔法」



 ルーラの時間が、止まった。
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