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第三章

来訪者①

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 あれから、彼の事を忘れるかのように仕事に没頭した。いつしか寒い冬がすぎ、春の訪れを知らせる時が早い故郷とは違い、まだまだ凍てつく寒さが残る北方。

 雪解け水がやっと流れ出しているくらいで、星形の小さな花が咲くヴァルコヴオッコが顔を出すのもまだ少し先。

 ライナさんたちのおかげで、番とその恋人の幸せをやっと願う事ができるようになった頃、サンタクロース協会にひとりの人物が訪れた。

「え……?」

 研究所の試作品を見に行って事務所に戻ると、大柄で白い短髪の男性が所長さんと共にお茶を飲んでいた。

 入口から背中を見ただけなのに、その人が誰なのかすぐわかった。やっと忘れかけていたというのに、心の角に寝かせていた番を求める猛烈な気持ちがあっという間に蘇える。

「おー、ティーナ。待ってたぞー。お前にお客さんだ。いやはや、お待たせしました」

「いえ、こちらこそ突然このように来てしまい申し訳ない」

 ああ、この声だ。耳を震わすような重低音。迫力があるのに、なぜかすぅっと耳から心に染みわたる、せつなくなる音。

 ほんの少ししか聞いていない。しかも、彼は私とは違う女性の名を呼んでいた。一瞬、番と再び出会えた歓喜に打ち震えて打ちあがった気持ちが、ユリという女性を思いだして一気に急降下する。

 瞬きすらできず、入口で呆然と固まったままの私を、ソファから立ち上がった彼がジッと見てくる。

  嬉しい、悲しい、もっと見ていて欲しい、だけど、もう見ないで。

 彼の名前を口で叫んで、駆け寄りたいのに心のどこかで戸惑いと拒絶が私を足止めした。

「ああ、そうだ君だ。間違いない……。あー、覚えているか? 去年会った事があるんだが……」

 まっすぐに私を見ながら、頬に大きな傷のある人が、自信なさげに私に声をかけてきた。嘘のような、そんな言葉が嬉しくてたまらない。
 
 じっとしたまま動かない私に、所長さんが少し大きめの声でしゃべりかけた。私は、夢か幻のような今の状況から、目が覚めたように体をびくっと震わせた。

「おい、ティーナ。どうした? この人を知っているか?」

「あ……。は、はい。昨年のイブに、ガチャを届けに行った……方です……」

「ええええ? じゃ、もしかしてこの人がティーナのつがいぃ? あの恋人がいたっていう?」

 やっと出た言葉に、昨年の出来事を知っている職場の人たち全員が驚愕した。先輩が思わず出した番という言葉を、慌てて飲み込むように手で押えたが、それは皆が思っていた事のようだ。

 私が無言でじぃっと彼を見つめている事で、その答えを察した人たちが気を利かせて、ひとり、またひとりと事務所を出て行く。

「あー、なるほど。俺も出て行ってやりたいが、仕事がストップする。ティーナ、お前に半休をやるからもう帰れ。ヤンネさん、そういうわけだから、うちの職員の事を頼めますかね?」

「勿論。彼女を傷つけるような事は、バルブルダング国の騎士として致しません」

 私があんまりにも動かないから、彼がゆっくり近づいてきてくれた。

 どうしよう……。こんなの現実なんかじゃない。
  だって、あの時、あの一回こっきりで、今頃ユリという女性と仲良くしているはずだ。

 それなのに、どうしてここにいるの?

 ひょっとしたら、彼女と別れて私に会いに来てくれたのかもだなんて、馬鹿な期待が膨れ上がる。恋人と別れたらさぞ辛かったはずだ。番が悲しんだなんて、そんな事あってはならない。

 でも……

 見上げると、照れくさそうに微笑んでくれる彼の表情と、優しそうな赤い瞳が、私に愚かな小さな希望の火を灯した。

「会えて良かった。俺は、ヤンネという。バルブルダング国で騎士団長を任されている」

「あ……。ティーナ、と言います……」

「ティーナ。あなたに良く似合う可愛い名前だ。実は、あの日から、どうしてもあなたの事が忘れられなかった。手がかりはサンタと言う事だけだったから、恥をしのんでこうしてやってきた次第だ。あー、あの時に一緒にいたのは部下で、他に婚約者がいる女性だ。その婚約者も、あの場にいたんだが、彼女の胸元に隠れていたから俺とふたりきりに見えたと思う。ユリが、あなたからプレゼントしてもらったものは、その婚約者とのために着ているらしい。俺がここに来ることを知った彼女から、素敵な贈り物をくれてありがとうという伝言も預かっている」

「え……?」

 今、彼は何と言ったんだろう。有り得ない。まるで私が望んでいたかのような言葉をくれるなんて、そんな事ってある?

 さらに呆然自失となっている私は、いつの間にかヤンネさんに連れられて、協会の側にある喫茶店に来ていた。

  気が付くと丸いテーブルの上には、体があったまるグロギが置かれていた。濁りのない濃い赤は、まるで目の前で私を微笑んでみている彼の瞳のようで美しい。
 ジンジャーのスパイスが、ワインの甘い風味にアクセントが加えられていて、一口飲むだけで体が温まる。

「実は、なんとなくなんだが、俺の番のような、そんな気がするんだ。俺たちホッキョグベアール獣人は番を感知する能力がほとんどなくてね。だが、こんなにも一目会っただけの女性を忘れられず、一日のうちほとんどをあなたの事しか考えられず、仕事が手につかなかった。訝しんだユリに相談したら、あなたが俺の番に違いないとここに来るように背中を蹴とばされたわけだ。その……突然来て、迷惑だったか?」

「い、いいえ。とんでもない……。あの時の女性は、恋人じゃなかったんですね……」

「ああ、やはり誤解されていたんだな。もっと早くここに来れば良かった。俺と恋人だなどと言ったら、あいつとあいつの婚約者にどんな目にあわされるか。あのか弱そうな見た目なのに、騎士団ではナンバー2の実力の持ち主だからな」

「そうなんですね」

「あー、俺ばっかり次々話をしてすまない。そういうわけだから、俺は恋人なんかいないんだ。あの……ティーナさんは恋人がいるのか? もしいるのなら、邪魔したくない。残念だが、このまま国に引き返そうと思う」

「恋人……?」

 そんなのいるわけはない。だけど、ふっと頭の隅に、ずっと私の側にいて支え続けてくれた、優しすぎるくらいに優しい薄水色の瞳を思いだした。

「いるのか?」

 先月会った時にも、私を気遣ってくれていたライナさんの事を考えていたら、ヤンネさんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。

 ライナさんとは、恋人ではない。兄のようなそんな存在で、彼にとっても、私は放っておけない妹のようなものだろう。

「……いない、です」

「そうか!」

 コクリと飲んだグロギ越しに、ヤンネさんの赤い瞳が、とても嬉しそうに輝いたように見えた。私も嬉しくて微笑み返す。

 テーブルの上に置かれた彼の大きな手がツァイッカの小さな取っ手を掴んだ。中に入っているグロギを一気に飲み干したあと、夢にまで見た彼が私の名を呼ぶ。

  それだけで、私の心は天まで届くかのように舞い上がった。

 だけど、薄水色の光が頭から離れられない。ぴりっとしたスパイスが、上下した咽と、心のどこかにひっかかるような、そんな気がしたのだった。





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