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勇翔-2

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「お兄ちゃん、もう帰っちゃうの?」

 夕食を頂いた後、俺は大先生夫妻から泊るように勧められたが辞退した。
 すると、かわいい妹が上目遣いで俺を極楽に誘ってくる。非常に名残惜しいが、心の中で号泣しつつ断った。俺とて、彩音と一緒にいたい。だが、俺にはやるべき事がたくさんある。鬱陶しいが仕事もしなければならない。

「ああ、彩音。一日仕事を放置していたからね。磯上先生、妹の事をよろしくお願いいたします。両親も帰国次第こちらに寄せていただきたいと申しております」

 やけに静かだと思っていたら、いつの間にか雪が降っていた。どうりで冷えるはずだ。彩音がくれた使い捨てカイロが温かい。
 わざわざ玄関先まで送り出してくれた高齢の大先生ご夫妻に外で長居させるわけにもいかず、彩音の頭を撫でてホテルに向かった。部屋に着くなり、立花から着信が来る。

「立花、俺だ。なんだ?」
「社長、やっと出てくれた! 全くもう、なんだじゃないですよ! 先方は怒りだして話にならないし……」

 2分ほど立花の泣き言を一通り聞いてやったが、結果的には問題なく処理できたようだ。

「流石、俺が鍛え上げた有能な部下たち。お前たちを信じて任せて良かった」
「社長? 何か悪いものでも食べましたか? いつもなら当然だと言って捨てるくらいなのに」
「……お前なぁ。まあいい。彩音がお前たちにも御礼をすると言っていたぞ」
「ああ、なるほど。彩音お嬢様のお言葉でしたか。相も変わらず、お嬢様は地獄に咲いた一輪の可憐な花のように、お優しいままですね」

 立花は、俺の世話係の息子だ。俺と一緒に育ったような人物で、何をするにも一緒だった。俺にこんな無礼な言葉をかけてくるのはこいつだけだろう。
 立花は、彩音の事を恋い慕うまではいかなくとも好意はあるようだった。彩音にその気が少しでもあれば、こいつと結婚すれば良いと、両親も俺も一時期は思っていた。生憎、彩音にとってこいつは俺の悪友というポジションから逸脱する事はなかったが。

「彩音が女神よりも愛らしくて優しい子なのは当たり前だ。で、さっき送った大学生のリストだが。どうだった?」
「ひとりは社長の思った通りの人物でした。しかし、あの彼が、こんな迂闊な事をSNSで書くとは思えませんが……。何か、事情があるのではないでしょうか?」
「お前もそう思うか。一度会って話をしてみる必要がありそうだ。帰りは明日の夜になる。それまで任せた」
「はいはい、わかりましたよ。ところで社長、お送りした資料ですが」
「ひとつはそのまま進めて良い。残りは話にならん。データから取り直せと言っておけ」
「承知いたしました」

 立花との電話が終了し、俺はとある人物にメッセージを送った。すぐに返事があり、今からでも会えるらしい。

 30分後、ラウンジの一角で、彩音の事を侮辱して弄んだ卑小な男とやり取りをしていた男と酒を傾ける。

「天川さん、お久しぶりです。俺が調子にのりすぎたやつらを内々で処分するために一芝居打った事で、彩音さんに怖い思いをさせてしまい申し訳ありません」

 会うなり頭を下げたのは、例の男とセフレの事でメッセージを交わしていた人物のひとりだ。思った通り、あのメッセージは、排除するべき人物を追い詰めるためのものだったのだろう。そのせいで、ゴミが彩音に乱暴を働きに行く事までは予見できなかったようだが。

「いや、俺のほうこそ、予め妹がこちらに来ている事を、君に伝えていればこのような事にはならなかった。頭をあげてくれ。で、どういう事なんだ?」
「いえ、そう言って貰えても、俺は自分の不手際を許す事はできません。あいつがセフレだと笑った女性の名前を言うまで、相手が勇翔さんの妹だと気づかなかったんですから。俺たちが主催するパーティは、もともと世間を知らないお金のない学生相手に、ボランティア感覚で情報交換や社交目的のパーティを提供していただけです。相場の1/10以下の金額で参加していたのに、勘違いしている我が物顔の者もいて手を焼いてはいたんです。ただ、パーティで知り合った女性たちと完全に合意だったので目をつぶっていたのですが、今回騒動を起こした織幡 資おりはた たすくを含めて、問題行動の多い男女数人は同様に罰して出禁にしました。今後、あいつらが我々の前に顔を出す事はないでしょう」
「そうか」
「織幡は、知り合った当初は真面目な奴でした。勤勉で正義感溢れる男だったのが、どうしてこうなったのか。いえ、俺の見る目がなかったんですね。返す返すも情けないです」

 恐らくは、織幡が上流階級主催のパーティに参加する事で変わっていったのだろう。良い方向に変化があるように開かれた場所だというのに、悪い方に変わるやつもいる。問題は、変わったやつをどの時点で排除するべきかどうかを判断する能力があるかどうかだが、友人としての情けでその判断を誤ったのだろう。

「あいつくらいの能力のやつはごまんといますし、一般女性の恋人の事を冗談でもセフレ扱いするようなやつは、害にしかなりませんから。せめて、付き合いのある俺たちにセフレなどと言わずに恋人だと紹介してくれれば、こんな事には……」
「……で、やつはどうしている?」 

「メッセージ通りの行動を起こせなかったので、架空のパーティ企画である会場のレンタル料金や管理費、来るはずのないフェイクの参加人数分の料金の賠償を請求しました。彩音さんを騙して連れて来たとしても、本人の承諾など得られていないでしょうから、そこで合意の無い女性を連れてきた事を厳しく糾弾する予定でした。ただ、予想通り払えないと言いまして。奴の実家には重い病気の妹もいて、仕送り源を断つのもどうかと思いましたから、就職先の配属場所を、本社から一番下の支社に変えさせて給料から天引きさせて貰う予定です」
「甘いな。友達としての情けというやつか?」
「そうですかね? 俺としても、人を傷めつける趣味はないもので。それに、何もかもを失った蟻のようになった人間の恐ろしさを教えてくれたのは勇翔さんじゃないですか。あいつにも、多少の逃げ道は必要だと思ったまでですよ」

 男と別れた後、俺は雪の降る夜空を見上げた。分厚い雪雲で覆われた空には月がぼんやり見えているだけだ。あれで男のけじめはついただろう。それでいいと思う。

 だが、妹を傷つけられた兄としては、あの程度で到底許せるはずもなく。

 今年から彩音が幸せになるまで、無事に司法試験を受ける事が出来ると思うなよ、と、夏の試験までにやつの邪魔をする算段を頭で張り巡らせる。
 司法試験など無事に受ける事になっても受かるかどうかはわからないが。暫くの間、無資格安月給で働くのも悪くはないだろう。

「……妹、か。しかも病気の」

 お仕置きとしては俺も甘い方だとは思うが、あいつのためではない。顔も知らないあいつの妹のためだ。俺の妹に二度と近づかなければそれ以上はしないつもりだ。
 それだけでも、プライドの高そうなやつの顔が歪むだろうと、彩音にはとても見せられない悪だくみが似合う笑みを浮かべるのであった。
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