上 下
14 / 20

電子オーブンレンジ 1/2

しおりを挟む
 レンジ・オーブ・デンシィというのが、レンジさんの正式な名前だ。なんでも、侯爵っていうとっても身分の高い、いわゆる上級国民ってやつらしい。

 オーブンレンジなのか、電子レンジなのか、一体全体どっちなんだと、今の状況とは全く関係のない事で思考がいっぱいになっているのには訳がある。



 
  ザック君を、スカットさんがパイナさんから預かっていたり、お世話をし慣れてている姿を見ると、普段から育児をしているのがわかる。
  侯爵家の領地の管理などで多忙らしいけれど、時間を作ってパイナさんと一緒にザック君を見ているらしい。素敵なイクメンさんだなあと思った。

 パイナさんは、ここに来て張り詰めていた緊張の糸が切れたのか少し休めたようだ。初日より顔色がよくなったパイナさんと一緒に、私はこちらの世界の、パイナさんには私が知っている異世界の簡単メニューを教え合いながら作る料理は楽しい。
 お酢でホロホロに崩した鶏肉をざく切りにしたハクシャイと煮て、ちゃちゃっと味付けするだけの簡単料理は、スカットさんがとても気に入ってくれた。

「旦那さまがこんなにも大喜びするなんて、異世界の料理って本当に素晴らしいですね」

と、パイナさんに大絶されてしまった。

 パイナさんの家には、コックさんがいるそうで、彼から本格的な料理を学んでいるから下ごしらえだけで時間がかかる。だから、子育てで忙しい彼女が料理をするには、睡眠を削るしかない。
 手の込んだ料理も、時短料理も、食べてくれる人のために一生懸命考えて作るのだから、手抜きとかそういうんじゃないと思う。スカットさんが気に入ってくれたら自分のレシピに堂々と入れてみたらどうかと伝えてみると、立派な方の妻になったからには、一生懸命時間かけて作らなきゃいけないって思いこんでいたってポソリと言われた。

 誰に言われたわけでも、ましてや、スカットさんが時間かけて作った料理じゃないと食べないとか言っているわけでもない。
  ただ、大切なスカットさんに食べてもらうのだから頑張って作らないといけないってかなり無理をしていたようだ。スカットさんやザック君に申し訳ない気持ちになるみたいだった。

 パイナさんが作った料理が時短料理だとしても、スカットさんは美味しいって心から言ってくれそうなのに。

 魔法で安全を確保されているとはいえ、油断すれば寒くてすぐに子供が亡くなってしまうような環境で、それこそ一分でも気の抜けない育児の中、それでもスカットさんのために頑張ろうとするパイナさんのいじらしさと深い愛情に、胸がきゅんっとなった。


「それじゃあ、特別な異世界料理って事で、私のおすすめ料理を振舞うと良いと思いますよ」

「え?」

「ふふ、私が料理を教えたのはパイナさんだけですからね。パイナさんだけの特別メニューです」

「私だけ……」

「ええ。ひょっとしたら、これから増えていくかもですけど、私の生徒さん第一号なんですから、胸を張ってさっきのやつとか、帰るまでにお渡しする異世界流時短料理を、是非作ってみてください」

 本当に大した料理じゃない。手の込んだ家庭料理のほとんどを作った事なんてない。逆に、パイナさんに弟子入りしなきゃいけないのは私のほうだと思う。

 自分でもそんな偉そうにいえる立場じゃないって思うけれど、妻としてママさんとして頑張っている彼女が、ちょっとでも肩の力を抜いて悩みがほんの少しでも減ったらいいな。


 その日の夜は、私が作った時短料理がテーブルを飾った。私が全部作ったものよりも、パイナさんが切ったり味付けしたほうが繊細で美味しい。

「このハンバーグという異世界の料理はパイナが作ったのかな?」

「ええ、あなた」

「ああ、やっぱり。私好みの味つけや、ふっくら柔らかい感じがいつもと同じだ。とても美味しいよ」

「パイナ義姉さんは、レストランのコックになれそうなほど料理がお上手ですね。兄上が羨ましいよ」

「ああ、いつも私たちのために頑張ってくれているからな。パイナの料理を食べると、私も頑張ろうと思えるんだ。モモカさんの作った料理も、こちらではない味や形で見慣れないが、とても美味い。毎日食べているレンジが幸せだと私に惚気るのもわかる」

 スカットさんやレンジさんの大賛辞を聞いて、パイナさんはザックくんが口や胸、手をハンバーグのソースで汚しているのを拭きながら顔を真っ赤にして口元をほころばせた。

 パイナさんの事を愛していて、よく見ているって事なんだろうな。お互い思いやりがあっていいご夫婦だ。素敵な旦那さんでイクメンのスカットさんと、かわいいパイナさん夫婦は、とてもお似合いだと思った。



 夫婦、かぁ……


『いや、その。来年、には、と、思ってる。なんせ、彼女はこちらに来て日が浅いし、俺も、今でも十分満足なんだ。彼女にはしっかり準備をした状態で、世界一幸せな花嫁になって貰いたいからな』


  スカットさんたちが来た日、レンジさんには結婚を考えている女性カノジョがいると言っていた。とっても優しくて素敵な騎士団の団長さんなんだもん。お金持ちで地位もあって、頼りがいのある男性なんだから、恋人くらいいて当然。

  今まで彼女はいなかったって言ってたけど、もし恋人がいると伝えたら、私が気を遣うと思って黙っていたのかと知り、少しショックを受けた。

  来年には結婚するって言ってたから、そこからどうしようという不安よりも、レンジさんは私に気があるってちょっと思ってたから、少しどころか凄くショックだった。

  自惚れ屋の盛大な勘違いも甚だしい。穴があったら入りたいとはこの事だ。


  相手の人はどんな人なんだろう……。キレイ系の人かな?  かわいい感じ?  それとも、色気いっぱいの大人の女性?



  会ったことのない女の人にじれっとした気持ちの悪い気持ち感情を覚え、私はレンジさんへの恋を自覚した。



  レンジさんは結婚を約束した恋人がいて、私の事は、ただ単に異世界の乙女だからっていう理由で保護しているだけなんだから、この気持ちはそっと自分の胸にしまっておこうと思った。

 片想いが、こんなにも苦しくて辛いものだなんて知らなかった。どうあがいたって報われない想い。早く忘れなくちゃと思えば思うほど胸が痛くて焦げ付いて辛くてたまらなかった。

  ひとりベッドの上にいると、全く寝付けなくて涙が溢れて止まらない。濡れたカバーが冷たくなっても、そのまま顔をそこにつけたまま眠れぬ夜を過ごした。

 こんな事なら、いっそカラマさんに恋をすればよかったな、なんて馬鹿な考えが浮かぶ。

 なるべく普段と変わらないように過ごしたつもりだったんだけど、レンジさんはすぐに私の変化に気付いたようだ。

 心配して私を見下ろす彼をじっと見上げる。そこには、やっぱり私への好意がある気がする。

 私ってホントバカ。それはただの厚意であって、私に対する好意なんかじゃない。勘違いしちゃいけないとその都度言い聞かせるたびに、胸がキシっと音を立ててヒビを作った。




「モモカさん、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

 気を付けていたのに、料理中ぼーっとしてしまって、あらかた完成していたジャーマンポテトサラダを混ぜている途中落してしまった。ここに滞在している間に、パイナさんは時短料理異世界の特別メニューを私から学ぶ事になった。キッチンにいる間は、ザック君はスカットさんとレンジさんがしっかり見ている。

「きゃあ、ごめんなさい。折角パイナさんがここまで作ってくれたのに……」

「いいえ、モモカさんの怪我がなくて良かったです。元気がありませんね? 何か悩み事があるのなら、私で良かったら、何の力にもなれないかもしれませんが話だけでもしてみませんか? 無理に、とは言いませんが……」

「パイナさん……」

 時短料理を嬉々として作るようになったパイナさんは、来た時とは比べものにならないほどはつらつとして、とても魅力的な若奥様になった。もともと可愛らしい感じだったのが、生命力があふれ、キラキラ輝いているよう。
 スカットさんも、そんなパイナさんを見て、惚れ直したって感じで見つめ合い微笑んでいるふたりの姿は、とても素敵で心から祝福できるのに、なんだかとても羨ましくて妬ましいという嫌な気持ちにもなった。

 私は、自分の気持ちの持って行きようがわからなくて、どうしようもなくなっていた。パイナさんが私の手を握って、椅子に座らせてくれた。

 斜めに腰をかけて、背中にそっと手を当てられた瞬間、ぼろりと涙がこぼれ落ちてしまった。

「あ、あれ? あれ……、なんで?」

 泣くつもりなんてこれっぽっちもなかった。なのに、一度零れた涙は、次から次へと新しい涙を作り出していく。

 何も聞かず、そっと寄り添ってくれるパイナさんの存在が心地いい。私はしばらくの間、声も、嗚咽すら出さず、はらはらと流れる涙を拭きもせずにじっとうつむいたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

楠葵先輩は頼られたい

黒姫百合
恋愛
「これからはもっとたくさん楠先輩と思い出を作っていきたいです」  教室に友達がいなかった高校一年生の男の娘、中村優(なかむらゆう)は居心地が悪くなり当てもなく廊下を歩いていると一人の少女にぶつかる。その少女は高校三年生の女の子でもあり生徒会長でもある楠葵(くすのきあおい)だった。  葵と出会った放課後、優は葵に助けられたお礼をするためにシュガーラクスを持っていく。葵は優の作ったシュガーラクスを気に入り、また作って来てほしいとお願いする。 それをきっかけに優は葵とどんどん交流を重ね、しまいにはお泊り会も? 後輩に頼られたい女の子と友達作りが苦手な男の娘のラブコメが今、始まる。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【完結】「聖女として召喚された女子高生、イケメン王子に散々利用されて捨てられる。傷心の彼女を拾ってくれたのは心優しい木こりでした」

まほりろ
恋愛
 聖女として召喚された女子高生は、王子との結婚を餌に修行と瘴気の浄化作業に青春の全てを捧げる。  だが瘴気の浄化作業が終わると王子は彼女をあっさりと捨て、若い女に乗 り換えた。 「この世界じゃ十九歳を過ぎて独り身の女は行き遅れなんだよ!」  聖女は「青春返せーー!」と叫ぶがあとの祭り……。  そんな彼女を哀れんだ神が彼女を元の世界に戻したのだが……。 「神様登場遅すぎ! 余計なことしないでよ!」 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿しています。 ※カクヨム版やpixiv版とは多少ラストが違います。 ※小説家になろう版にラスト部分を加筆した物です。 ※二章に王子と自称神様へのざまぁがあります。 ※二章はアルファポリス先行投稿です! ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて、2022/12/14、異世界転生/転移・恋愛・日間ランキング2位まで上がりました! ありがとうございます! ※感想で続編を望む声を頂いたので、続編の投稿を始めました!2022/12/17 ※アルファポリス、12/15総合98位、12/15恋愛65位、12/13女性向けホット36位まで上がりました。ありがとうございました。

淡泊早漏王子と嫁き遅れ姫

梅乃なごみ
恋愛
小国の姫・リリィは婚約者の王子が超淡泊で早漏であることに悩んでいた。 それは好きでもない自分を義務感から抱いているからだと気付いたリリィは『超強力な精力剤』を王子に飲ませることに。 飲ませることには成功したものの、思っていたより効果がでてしまって……!? ※この作品は『すなもり共通プロット企画』参加作品であり、提供されたプロットで創作した作品です。 ★他サイトからの転載てす★

処理中です...