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31 強面騎士団長は、伝えたい

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 あれから、落ち着いたダインのところから去った。ウォーレンは、アイーシャとダインの打ち解けたような雰囲気に、自分と彼女とのやりとりを比べてしまう。どうしてももやもやと気持ちの悪いなにかが胸の奥に張り付いて仕方がなかった。
 そのままアイーシャを部屋に送るべきだろう。もしかしたら、こっそり抜け出した彼女を心配して、ウェルたちが探しているかもしれない。
 昼間と同じように辺りに潜んでいるかと探るが、誰もいなさそうだ。屋敷はしんと静まり返っており、耳にはわずかな物音しか届いてこなかった。彼女が抜け出したことに誰も気づいていないのだろう。ウォーレンは、彼女と離れがたくて、ことさら歩みを遅くした。

 彼女と近くにいるだけでいい、本気でそう思える。これまでの、ほんのわずかな逢瀬が終わる度に、また会える時間が待ち遠しくてたまらなかった。仕事だけでなく何も手につかなくて周囲を困らせていたほどアイーシャのことだけを考えていたのである。

「アイーシャ」
「は、ひゃい!」

 アイーシャが、緊張のあまり返事が素っ頓狂なものになる。ウォーレンは、前と違い、今は彼女のこれが、自分を恐れての言葉ではなく、マーモティが言っていたように、緊張のあまり噛んでいるだけだと理解していた。

 彼女は、人懐っこい。初対面の人物にもすぐに打ち解ける。自分といる時だけ、そんな風に緊張でガチガチになる可愛らしい彼女にとって、自分が特別な存在なのかと胸がすく。ただ、隣にいるというのに、彼女との距離を感じて寂しさを覚えた。
 もう少し、なんとかならないものかと会話をしようとしたが、口から出るものはなんとも固い話ばかり。これではいけないと、暗闇をぼんやり照らす程度の月の灯りに浮かぶ彼女の白い横顔を見つめた。

 やや茶色を帯びた優しい赤い髪が、夜風で揺れている。伏せられた瞼にある同じ色の長い睫毛すら、愛おしくてたまらない。

 彼女を守るための婚約だ。だが、会えば会うほど彼女を知り、会わなくてもどうしようもなく惹かれてしまう自分の全てを受け止めて欲しいと思った。

「君にとって、始まりは政略のようなものだっただろう……」
「……」

 なかなか続く言葉が出ない。アイーシャはこちらを見上げて、無言のままのウォーレンをじっと待ってくれていた。

「実は、あの時がはじめてじゃないんだ。君を見たのは、先日の大会の時だ。あの時に、君はオレを褒めてくれただろう?」

 ウォーレンは、何をどう伝えるのが一番効率がいいのか知っている。だが、それはあくまでも仕事上での部下への指示に関してた。
 今は、年下の婚約者であるたったひとりに対して、想いを伝えるだけなのに、これほど難しいことはない。自分でも何を言っているのかわからぬまま、彼の話を遮らずに聞いてくれる彼女の優しさに甘えて、喉がつっかえながらも続けた。

「オレは、女性に好意を持たれるような容姿じゃない。女性を喜ばせるような、気の利いた言葉ひとつ出せない。だが、オレが何も言わなければ、何一つ伝わらないから……。あー、だから、その……」

 沈黙が恐ろしい。彼女は、今、何を思っているのだろうか。同じように、いや、ほんのわずかでも気持ちを返してくれるだろうか。それとも、政略相手に告白されて気持ち悪がられるだろうか。

 次の言葉に反応する彼女の行動に、期待と不安が胸の中で暴れている。彼女のまっすぐな瞳を見ることに耐えられない。

 だが、ウォーレンは、彼女の潤んでいる瞳をまっすぐに見つめた。

「初めて君を知った日から、オレは……」

 小さな唇が、「オレは?」とオウム返しのように形作る。それは、アイーシャに対してしり込みをしているウォーレンに、先をせかされているようで、背中を押してくれているようにも思えた。

「…………好きだ」

 それは、ほんのわずかな時間だった。いや、ふたりにとっては、永い刻だったのかもしれない。

 たった二文字の言葉を言うまでに、どれほどの時間が必要だったのか、それはふたりと空に浮かぶ月しか知らなかった。

 アイーシャの瞳が、ひときわ大きく広がる。途端に、透明の幕で覆われて行った。だが、ウォーレンは、彼女からの言葉がなくても、その涙が産まれた理由を間違えなかった。

「好きだ。好きなんだ……」

 壊さないように、そっと彼女を胸に閉じ込める。力なく、自分に寄りかかる彼女の肩が震えていた。

「好きだ」

 こくりと、自分の胸にこすりつけられるように、彼女の顔が動く。だらんと垂れ下がっていた細い腕が、ゆっくり持ち上がり、ウォーレンの胸に添えられた。

「アイーシャ、明るく笑う君が好きだ」

 ぐすっと、泣いている音がする。もっと他に、彼女が喜んでくれる言葉がないものか。ウォーレンは、心に浮かぶまま伝えるしかない自分に焦りながらも、こうして受け止めてくれる彼女の姿にますます愛しさが募った。

「困った人を助ける勇気がある君も、自分を襲った相手にも優しくする君のことも好きだ」
「うぉ、れ……さま……」

「アイーシャ、こんなオレに呆れずに付き合ってくれる君が好きで、好きで、……どうしようもないんだ」

 これまで、どれほど彼女に甘えてきたのだろう。胸を濡らす彼女の心の現れが、自分のふがいなさが嘆かわしい。彼女の言葉が欲しいような、いらないような、どれもこれもが矛盾して滅茶苦茶な心のまま、そっと彼女の顔をあげた。
 ウォーレンの手の動きに逆らわず挙げられた彼女の頬が、涙で濡れている。月下にあるそれが、きらきら瞬くように彼の中を満たした。

「アイーシャ、好きだ」

 喜びと、わずかな戸惑いを含んだ瞳に吸い寄せられる。徐々に唇の距離が近づく。そっと触れ合ったふたつの吐息がひとつになった。

 高く短いリップ音すらない不器用な重なりは、すぐに離れた。ほうっとアイーシャが吐息を作ると、その甘さに誘われるように、離れたそれが再び近づく。

 静かな感情の交わりは、やがて荒々しい波になり、激しい交差は何度も繰り返された。

「アイーシャ、好きだ。好きなんだ」
「ん……はぁ」

 少し苦しそうに大きく開いた唇に、ぬるりとした大きな舌をねじ込む。このまま、彼女のすべてを自分のものにしてしまいたい。互いの熱が、相手に染み渡る。むくりと立ち上がる欲望の赴くまま、激情を彼女の中に入れたいと思った。

 その時、屋敷の中で、アイーシャを呼ぶ声がした。それは、ウォーレンにしか聞き取れない程、遠くの場所での小さなものだ。

「お嬢様、どちらにおられるのですか?」
「大変だわ。ウェル、もしかして、捕らえた男のところかも」
「お嬢様ならあり得るわね。ルーシェ、行きましょう」

 ウェルたちは全力で疾けているのだろう。あっという間に至近距離まで近づいてくる。ウォーレンは、ふたりが来るまで、とろんと自分でいっぱいになっているアイーシャを抱きしめ続けた。

 顔を真っ赤にして心ここに在らずといったアイーシャを見て、ふたりは胡乱な視線をウォーレンに突き刺した。だが、彼女と長くも短い至福のひと時を終えたウォーレンには、それはささいな蚊の羽音ほども響かない。

 アイーシャも、部屋に戻ろうと急かす彼女たちに抗うかのように、ウォーレンの胸に顔を隠したまましな垂れかかっている。恥ずかしがっているかもしれないが、そんな彼女を手に入れた充足感で満たされていた。




 

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