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「きゃぁっ!」

 アイーシャは、あまりにも無謀な横槍を入れたことを後悔した。第三者が入ることで、彼女が冷静になり、収拾がつくかもしれないと単純に思っただけなのだ。
 まさか、訓練場で色んな騎士たちにコナをかけられたことが、こんなにも反感を買っていたなど思ってもみなかった。全部断っていたし、なんといっても目当ては騎士団長なのだから。

 鍛錬の集大成である肉体美に見惚れてから、毎日のようにここに通い詰めた。
 数日後には、地位もなにもかもを兼ね備えた彼が、まさか、だと知ることになった。魅力的な騎士団長に対する、女の子たちの言動や視線は、わけがわからなくて首を捻ったものだ。

 そんな彼女たちが国民を守ってくれている彼の陰口を言うのは気に入らないと同時に、魅力を伝えたいと常々思っていた。ますますカメラを構える手に力が入り、脇をしめた。
 だが、競争相手がいないことに安堵もしていたのである。

「あんたが、しばらくの間消えたのは、身の程を知ったと思っていたのに。わかる? あんたは邪魔なのよ! あ、ひょっとして。私とペパレス様のデートを邪魔しに来たんでしょ! そうはさせないわっ!」

 前世では、会社の上司や顧客から罵詈雑言を浴びせられていた。だから、彼女の怒声はそれほど恐ろしくはない。しかも、ピントがずれまくっており、何をどう返せばいいのか戸惑う。
 しかし、こんな風に本気で叩かれそうになったことは皆無だ。手で顔を守ろうとしたが、間に合いそうにない。頬を叩かれると思い、ぎゅっと歯を食いしばった。

 その時、びゅうっと激しい風が起こった。目も閉じているため、体に吹き付けられる強い風の感触は、彼女の振り下ろした腕から発せられたのだと身がまえる。

 覚悟を決めたのに、すぐに来るだろうと思った痛みと衝撃がなかなか来ない。

 恐る恐る片目から開けると、視界の一面が黒一色だった。えんじ色は、騎士が戦いの時に浴びる赤をごまかすためだと聞いたことがある。階級ごとに色がわけられており、副団長は紺。

 そして、漆黒の闇をその身にまとうような黒は、この国でただひとり。騎士団長が使用するマントだけ。

「おい、何をしている?」

 びりびりと空気を震わせるような低い声がその場を支配する。それまでの、怒鳴り声どころか、小鳥のざわめきのような周囲の女性の囁きすら聞こえなくなっていた。
 静寂の中で、ひときわ大きく、よく響く声の持ち主は、ウォーレンのものである。

「きし、だ、ちょう、さま?」
「アイーシャ嬢、無事か?」
「は、はい。きしだんちょうさまの、おかげで、わたしはなんともありません……」

 唐突に訪れた一瞬の瞬きのようなふたりの時は、二種類の声によって動き出す。

「いたーい。いたたたただだだっ! やだ、はなしてよ! ちかん! ペパレス様、たすけてえ!」
「遅い。お嬢さんが恐怖を感じる前に来ぬか、未熟者め」

 前者は、ウォーレンの姿によって見えない。後者は、自分が背にかばっているその人のほうから聞こえた。

「ん? ああ? ピーチおばあさまもおられたのか。ご無事でしたか?」
「ふん、今頃私だと気づいたのか。ますます未熟すぎる。ウォーレン、お前は騎士見習いからやり直すがよい。それにしても、最近は加害者がいきなり被害者ぶり、どう見てもか弱い年寄りが謝罪しても怒鳴り散らすとはね。周囲も全く他人事で見てるだけとは、なんとも情けないことよ。だが、勇気あるお嬢さん、私はあなたの年寄りを守ろうという気持ちに、心打たれましたよ」

 自分を挟んで、ウォーレンと高齢の女性──ピーチが話を続ける。アイーシャは間髪入れずに変わる状況に、頭が真っ白になった。

「え? ええ? え? おばあさま? え? え?」
「だから、はなせってばっ! ペパレス様、ペパレスさまあ! この、はーなーせー!」

 処理能力と速度が、現状に全く追いついていない。とにかく、ウォーレンに助けられたのだ。お礼を言おうとした。だが、彼女がうるさすぎて、アイーシャの声がかき消される。

「ん? ああ? お前、まだいたのか。に手を上げようとした暴行罪、仮にも先々代騎士団長たるピーチおばあさまへの暴言、恐喝など、お前が犯した罪はあまりにも大きすぎる。ペパレス!」
「はっ! お呼びでしょうか、団長」
「ご指名だ。お前が責任を持って、取調室に連行せよ」
「これほど嫌な指名を貰うことは、生まれて初めてですよ。ほら、君も状況を呼んで口を閉ざさないか。大人しくついてこい」
「ペパレス様ぁ。助けに来てくださったのね! ええ、言われなくてもどこまでもついていきますぅ。ふふふ、少し早いけれど、今からデートですね。きゃ、嬉しい!」
「今日は、デートじゃなくて皆と合コンだって。しかも、はぁ、なんだって、こんなぶっとんだ子に……」

 アイーシャは、思い込みの激しいところは、案外お似合いなんじゃないかなと思った。
 目をハートにしてペパレスとともに取調室に向かう彼女の幸せそうな姿を、ウォーレンの広い背の横から顔を出して見送った。

 どことなく、収まりのつかない場から、ひとり、またひとりと人が消えていく。残ったのは、アイーシャとウォーレン、そしてピーチだけとなった。

 アイーシャは、この間でずいぶん頭が冷えてきていた。冷えてきたのはいいが、「オレの大事なひと」と言った彼の言葉を思い出して、また目がまわりそうなほど混乱する。ただ、先程までの恐怖や驚愕といったものではない。たとえ、夢の中であったとしても信じられないほどの嬉しい言葉に、心が飛び跳ね踊っていたのである。
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