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理想の働き方、理想の人間関係

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「でもまあ、他の皆のように、清玖だって仕事をやめていいんじゃないの? 今時はいつ会社がつぶれたりリストラされたりするかもしれないし。しばらくの間、休憩してみても」

 母の言葉に、私は顔をあげる。がまんして会社に行けと言われるとばかり思っていた。知らず、目から涙がどばどば流れていて、震える唇から変なくぐもった音が漏れた。

「で、でも。わ、わたじぃ、しごっ、しごとっはっ、だっれ、ずぐ、やめちゃっだらダメっだしっ……」

「理想の働き方は、理想の働き方。理想の自己啓発だってそう。理想の人間関係を100%達成している人間なんて、ほとんどいないんじゃない? 人それぞれでいいじゃない。仕事をやめたからって、人生終わるわけでも、清玖がダメ人間になるわけでもないわ。仕事をどうするのかは、清玖がいろいろ考えて自分に合うものを探せばいいんじゃない?」

「ごめ、ごめっなざっ、せっがぐ、ぅ……だいが、く、いかせて、もらっ、……しゃか、じ……なっで、おがっ、おがぁさあん……」

「謝るようなことじゃないわ。謝らなくていいから。ほら、鼻水出てるし。ティッシュで拭いて。今まで頑張ってきたじゃない。このまま頑張りすぎて、清玖が壊れちゃうよりいいと思うわ。大学に行ったことはね、いつか無駄じゃなかったって思えたらいい。そんなもんよ。ただし、期限を決めないのはよくないわ。そうね、1年と半年くらいはがんばったから、その倍の3年くらいの間に、次の目標や本当にしたかったことを見つけたらどうかな? お母さんの友達は、45歳で主婦から看護師になったのよ? 生きてるかぎり、いくらでもやり直せるんだから!」

 あまりハグとかしない母が、めずらしく頭をなでながら、よくがんばったね、よく話してくれたねってつきそってくれた。ものごころついてからは、こんな風に母に甘えたことがない。どうせわかってくれないって思いこまずに、もっと早くにうちあければよかったと思う。

 なんなら、友達のつてで、良いカウンセリングとか行くかと提案されたが、それは本当に自分がダメ人間になったみたいに思えて断った。

 帰ってきた父に母が伝えてくれたのか、父は、退職願の書き方や色んな注意事項ややめてからどうすればいいのかを教えてくれた。

 涙と両親の言葉と気持ちが、私のごつごつした岩山のような心を削ってくれたみたいで、次の日に退職願を提出する時には、上司の顔を正面から見ることができた。

 どんなことを言われるのだろうかと、胸がバクバクしていたけれど、案外あっさりしたものだ。ながーいため息は吐かれたけれど、私がいなくなってせいせいするのかなと思った。

「瀬津知さん、今更だけど、きつく言ってごめんなさい。人手が足らないから早く一人前にしなきゃって、私も気負いすぎて、あなた自身を見ようとしなかったわ」
「え?」
「これでも、普通の気持ちは持ってるつもりよ。ただ、世代が違いすぎて、あなたならもっと出来るのにって、自分自身でどう引っ張っていってあげたらわからなくて……ほんと、今更よね。あなたがここまで追い詰められてしまう前に、もっと話をお互いにしておけば良かったと思う。あのね、私に言われても鬱陶しいし嫌だろうけど、あなたに合う職場が早く見つかるといいわね」

 思いがけない彼女の言葉に、私は驚きの表情を隠せなかった。
 そういえば、こうなって初めて思い返せば、彼女は、「大丈夫?」「わからなかったら聞いてね」「あのやり方だとあなたはやりづらそうだから、前に教えた方法じゃなくて今度はこっちでやってみたら?」と、彼女なりに時々声をかけてくれていた。
 手作りのマフィンや、アメやカフェラテなども、叱られたあとや、ヘマをした時にくれたこともある。彼女自身は糖尿だから、甘いものはNGなのに。

「私のほうこそ、お気遣いをたくさんいただいていたのに、ご期待に応えられずすみませんでした」

 ほんの少しだけど、彼女の思いがけない面を知って、やっぱりもう少し踏ん張れば良かったかもなんて思ってしまう。彼女だって、私と同じ人間で、ずるい面もあるけど、私のことを色々考えてくれていた。今からだったら、会社で、これまでとは違う日常を送れるんじゃないかって。

 でも、彼女の言うように今更だ。

 私と彼女の相性が悪すぎたのかもしれない。私も成長しないと、今後も繰り返すだろうから、私こそもっと話しかけないといけないと思う。

 あとは、淡々と、残務処理や手続きをして、既定の日数をこなした。私から言わなくても、きちんと有休も全て使わせてもらえた。

 仕事を辞めてから、友人に言えなかったことなどを伝えると、もっと早く相談してくれたらって泣いて怒られた。その週の土曜日にその子ががすっ飛んできて、抱き着いてきたのはびっくりした。いつもクールで、どことなく一線をひくような子だったから特に。
 彼女は、亡くなったお母さんのかわりに、働きながら家事をして、まだ中学の弟くんの面倒を見ている。私とはくらべものにならないくらい、頑張り屋さんなのだ。だからこそ、余計に私のこんなことで面倒をかけたくなかった。

「毎日ゲームで一緒に遊んでいたのに、気づかなくてごめんね」

 その子はなんにも悪くなのに、わんわん泣いて謝り続けてくれた。

 辛かった当時は、世界に私ひとりぼっちな気がしていたんだけれど、私には両親だけでなく、こんなにも素晴らしい友人がいてくれたんだと、こうなってみて初めてわかり、感謝の気持ちで胸が熱くなった。

 
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