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赤ん坊は、バスケットに乗せられたまま厳かな建物に運ばれた。泣き疲れたのか、眠っている。彼女の頬を拭う手はない。その頬は、涙で濡れて光っていた。
迎えに来ていたメイド長と、彼女を運ぶ屈強な男のほかに、瞳を開けた時から側にいなかった両親の姿もある。
「あなた、どうしてあれにも儀式を?」
「……あの子にも、女神様は立派なスキルを授けられておられるはずだ。きっと、人々の役に立つ緑の手のな」
「恐ろしい武器を作る岩の神か、野蛮な戦好きの火の国の神の祝福かもしれませんわね……」
鉱物の色を持つ民は、岩の国の出身者が多い。金色の瞳は火の国だが、そこでも非常に稀なことである。
「おい、ブロック王国は工具や宝石を、フレイム国は料理や冬季の暖を、我がグリーン国にもたらしてくださっている。滅多なことを言うな」
「だって……」
「何度も話し合っただろう? これで、この子が緑の祝福を得られているのなら、きちんと受け入れると。髪や瞳の色がなんだ。それとも、私には言えない事情でもあるのか?」
「いいえ、いいえ! わたくしにはあなたに言えないことなど、何一つありません!」
「なら、きちんと母として、あの子、フェルミを見てやれ。命の危険があった出産だったからか、非常に乱れていた心もずいぶん落ち着いただろう? 取り違えはありえない。あの子は、れっきとした私たちの子なんだ」
「……」
夫の言葉に、夫だって子供に一切かまわなかったことや、なぜ母だというだけで自分にばかりおしつけるのかと、この話題がのぼるたびに、胸の中に夫への不満が募る。
それでも、神殿の中では他人の目がありすぎる。今日は親戚一同もフェルミの儀式を見守っていた。すでに彼らがフェルミを、そして妻をどう見てどのような噂をしているのかは知っている。そんなかで、夫の機嫌まで損ねれば、本当に孤立無援になるだろう。
幸い、平民と違って自ら子供を抱っこする必要はない。
彼の妻にとって、すでに、あの子供は自分にとっては到底受け入れることのできない存在になっていた。視界に入れることすら難しいのに、体に触れるなど体が震えて不可能だ。表面上は、子供を慈しんいるかのように微笑みながら、バスケットを運ばせ、神官長の前まで移動した。
長い祝詞のあと、神官長がバスケットの中の赤ん坊を見る。その頬を見て、内心眉を寄せた。視線をさっと見渡すと、何かを悟ったようだ。
(祝福されるべき子供が……なんといたわしい……)
「豊穣の女神様のご加護があらんことを……」
この子にどうか幸せが訪れるようにと、彼は常になく祈りを捧げた。彼の持つ、自らが光を放つ枝は、豊穣の女神はこの国に最初に植えたものだとされる、樹齢800年は超えている大樹のものだ。儀式の時に、それを一枝いただき子供にかざす。そうすることで、枝はまばゆい光を放ち、子供がどのようなスキルを得たのか知らせてくれる。
その枝は、子供が亡くなるまで枯れることはない。つまり、枯れる時は、その人生が終わりを迎えた時のみなのである。
しかし、その枝は光を徐々に弱くした。どことなく、暗闇がその周囲を包み込んでいるようにも見える。彼女を、というよりもバスケットと神官長を見ていた人々から悲鳴があがった。
「馬鹿な……。瞬く間に枯れたぞ!」
「夫を裏切った女が産んだ、他国の血が混じった子供であっても、枯れることなどあり得ない!」
親戚の列から、耳を塞ぎたくなるような言葉が次々放たれる。伯爵は完全に我を忘れて、それらの無礼な言動をとがめることすらできない。彼の妻は、かくりと糸の切れた人形のように床に沈み込む。それを助け起こすこともなく、微動だにせず枯れ果てた枝と我が子を見続けていた。
神官長は、枯れた枝を落とすこともできず、呆然としたまま例年通り赤ん坊の胸にその枝を置いた。それは、彼が数百、数千人にしてきていた神聖な儀礼であり、呆然自失としていても、それらが染み込んだ体が勝手にそうしたとしか言いようがない。動作が完了してから、置いてしまって良かったのだろうかと自問自答し悔やんだ。
そこに、重厚な声が響いた。
「女神様のお怒りなのだろう。その怒りは、一体誰のせいなのか。赤錆色の赤ん坊が産まれたと聞いた時、やはり母親ごと追い出せばよかったんだ。息子がどうしてもというから、たかが男爵家の娘と結婚させてやったというのに。由緒あるロキソ伯爵家に泥を塗りよって……」
「父上、お待ちください! 妻は……、この子は……!」
「皆のもの、今日の件は最初からなかった。残念極まりないが、半年前ロキソ伯爵家に産まれた子は、今日を迎えることなく天に召されてしまっていた。いいな?」
伯爵の言葉は、彼によって全てを拒絶された。何をどう言おうとも、彼も目の当たりにした現実がそれらを空虚なものにするだろう。
親戚一同は、一斉に口を閉じて頭を垂れた。ひとことでも口外すれば、彼に粛清されるだろう。
バスケットの中では、そんな周囲の喧噪も知らず、フェルミはすやすやと寝息を立てて眠っていたのである。
迎えに来ていたメイド長と、彼女を運ぶ屈強な男のほかに、瞳を開けた時から側にいなかった両親の姿もある。
「あなた、どうしてあれにも儀式を?」
「……あの子にも、女神様は立派なスキルを授けられておられるはずだ。きっと、人々の役に立つ緑の手のな」
「恐ろしい武器を作る岩の神か、野蛮な戦好きの火の国の神の祝福かもしれませんわね……」
鉱物の色を持つ民は、岩の国の出身者が多い。金色の瞳は火の国だが、そこでも非常に稀なことである。
「おい、ブロック王国は工具や宝石を、フレイム国は料理や冬季の暖を、我がグリーン国にもたらしてくださっている。滅多なことを言うな」
「だって……」
「何度も話し合っただろう? これで、この子が緑の祝福を得られているのなら、きちんと受け入れると。髪や瞳の色がなんだ。それとも、私には言えない事情でもあるのか?」
「いいえ、いいえ! わたくしにはあなたに言えないことなど、何一つありません!」
「なら、きちんと母として、あの子、フェルミを見てやれ。命の危険があった出産だったからか、非常に乱れていた心もずいぶん落ち着いただろう? 取り違えはありえない。あの子は、れっきとした私たちの子なんだ」
「……」
夫の言葉に、夫だって子供に一切かまわなかったことや、なぜ母だというだけで自分にばかりおしつけるのかと、この話題がのぼるたびに、胸の中に夫への不満が募る。
それでも、神殿の中では他人の目がありすぎる。今日は親戚一同もフェルミの儀式を見守っていた。すでに彼らがフェルミを、そして妻をどう見てどのような噂をしているのかは知っている。そんなかで、夫の機嫌まで損ねれば、本当に孤立無援になるだろう。
幸い、平民と違って自ら子供を抱っこする必要はない。
彼の妻にとって、すでに、あの子供は自分にとっては到底受け入れることのできない存在になっていた。視界に入れることすら難しいのに、体に触れるなど体が震えて不可能だ。表面上は、子供を慈しんいるかのように微笑みながら、バスケットを運ばせ、神官長の前まで移動した。
長い祝詞のあと、神官長がバスケットの中の赤ん坊を見る。その頬を見て、内心眉を寄せた。視線をさっと見渡すと、何かを悟ったようだ。
(祝福されるべき子供が……なんといたわしい……)
「豊穣の女神様のご加護があらんことを……」
この子にどうか幸せが訪れるようにと、彼は常になく祈りを捧げた。彼の持つ、自らが光を放つ枝は、豊穣の女神はこの国に最初に植えたものだとされる、樹齢800年は超えている大樹のものだ。儀式の時に、それを一枝いただき子供にかざす。そうすることで、枝はまばゆい光を放ち、子供がどのようなスキルを得たのか知らせてくれる。
その枝は、子供が亡くなるまで枯れることはない。つまり、枯れる時は、その人生が終わりを迎えた時のみなのである。
しかし、その枝は光を徐々に弱くした。どことなく、暗闇がその周囲を包み込んでいるようにも見える。彼女を、というよりもバスケットと神官長を見ていた人々から悲鳴があがった。
「馬鹿な……。瞬く間に枯れたぞ!」
「夫を裏切った女が産んだ、他国の血が混じった子供であっても、枯れることなどあり得ない!」
親戚の列から、耳を塞ぎたくなるような言葉が次々放たれる。伯爵は完全に我を忘れて、それらの無礼な言動をとがめることすらできない。彼の妻は、かくりと糸の切れた人形のように床に沈み込む。それを助け起こすこともなく、微動だにせず枯れ果てた枝と我が子を見続けていた。
神官長は、枯れた枝を落とすこともできず、呆然としたまま例年通り赤ん坊の胸にその枝を置いた。それは、彼が数百、数千人にしてきていた神聖な儀礼であり、呆然自失としていても、それらが染み込んだ体が勝手にそうしたとしか言いようがない。動作が完了してから、置いてしまって良かったのだろうかと自問自答し悔やんだ。
そこに、重厚な声が響いた。
「女神様のお怒りなのだろう。その怒りは、一体誰のせいなのか。赤錆色の赤ん坊が産まれたと聞いた時、やはり母親ごと追い出せばよかったんだ。息子がどうしてもというから、たかが男爵家の娘と結婚させてやったというのに。由緒あるロキソ伯爵家に泥を塗りよって……」
「父上、お待ちください! 妻は……、この子は……!」
「皆のもの、今日の件は最初からなかった。残念極まりないが、半年前ロキソ伯爵家に産まれた子は、今日を迎えることなく天に召されてしまっていた。いいな?」
伯爵の言葉は、彼によって全てを拒絶された。何をどう言おうとも、彼も目の当たりにした現実がそれらを空虚なものにするだろう。
親戚一同は、一斉に口を閉じて頭を垂れた。ひとことでも口外すれば、彼に粛清されるだろう。
バスケットの中では、そんな周囲の喧噪も知らず、フェルミはすやすやと寝息を立てて眠っていたのである。
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