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27 女伯爵の帰還②
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──きれい……
それは、たった数瞬の事だった。
二人の視線が絡み合う。先程契約したばかりのピュヨコの事も、今も苦戦しているシンディの大切な味方の事も何もかも忘れてしまったかのようにお互いしか映さない瞳。
シンディは、ヨウルプッキの青と緑の魔力が溢れて、静かに水中にあるかのように揺らめくそれに吸い寄せられるように足を踏み出していく。
他者には見えないが守護者たる彼女の友達を従えて、全身を柔らかな光を纏った彼女の今の姿は平民のワンピースを着用し、化粧もしておらず、簡単に襟足で紐でくくっているだけだ。
だが、他の誰よりも貴賓と自信を宿し背筋を伸ばし歩いている。そして、慈愛あふれる表情を湛えたその微笑みもまた、ヨウルプッキを見惚れさせ彼の時を止めていた。
二人の心の内は誰にもわからない。おそらく、彼ら自身にもわからないだろう。
だが、ヨウルプッキの大きくて温かな手の平にそっと手を乗せたアールトネン女伯爵の胸の中には、誠実に嘘偽りなく自分に謝罪を繰り返していた彼の姿があった。
裸で床に額をつけていた彼はとてもみっともなかっただろう。けれども、彼のその拙くどもりながら言った数々の言動が、彼女の信頼を得ていたのは確かだ。
「ヨウルプッキ様」
名実ともにアールトネン家の当主となった彼女の小さな唇から彼の名が短く紡がれた。
「はい、アールトネン伯爵様」
彼の返事に、シンディはほんの少しの胸の違和感を覚えた。彼の瞳には、伯爵への憧憬の念以上のものがあるを感じている。
──彼は何を思っているんだろう? 何を伝えたいのかしら?
短い間ではあるが、初めてほっとする異性と関わった時を経て、彼には違う名で自分を呼んで欲しいと、なぜか思ってしまった。
シンディはありえない自分の中に芽生えたその気持ちを小さく頭を振って消す。
──今はそれどころではないはずよ……!
「先ほど、屋根の上でわたくしの大切な侍女に手助けしていただいてありがとうございました。貴方がいなければ、彼女は今頃どうなっていたかわかりません」
「なぜそれを?」
シンディは、不敵な笑みを浮かべる。それもまたヨウルプッキの心を虜にしてしまう。
「屋敷の守護者に認められた今、この敷地内でわたくしに分からない事はありません。彼女を助けていただき感謝いたします」
ヨウルプッキは、その立場にふさわしく、けれども心を込めて礼を言う彼女の姿に、諦めなければならない恋心が暴れてしまう。胸が苦しくなるほどの想いが溢れ出てしまい彼を苦しめた。
けれども、それ以上に彼女の魅力を誰よりも側で感じる事が出来た幸福に酔いしれもする。
「大したことはしていません。僕が出来る事をしたまでです」
ヨウルプッキの謙虚な、形通りの返事を聞く。二人は笑みを浮かべながら見つめ合ったまま動かない。
「ヨウルプッキ様、わたくしはこれから当主としての責務を果たしにいかねばなりません」
「はい」
シンディの視線が一瞬不安の色を宿しやや下を向くが、すぐに元に戻り、再び上げたその瞳の中にはなんら迷いが見えなかった。
「不測の事態が起こりえるやもしれませんが、それでもわたくしとともに来ますか?」
「僕は、僕の出来る全てで貴女を守りたい。ですから連れて行ってください」
シンディの問いは、命が危ないという意味が込められていた。ヨウルプッキは、それを十分に理解して、一瞬すら迷わずに応える。
シンディの乗せられていた手が、ヨウルプッキの手をそっと掴む。
「では、行きましょう」
「はい!」
シンディが息をするように転移の魔法を使用すると、次の瞬間、元伯爵代理たちが立てこもる当主がいるべき一番豪華な部屋の前だった。
彼女の大切な宝物たちが、必死に戦い疲労困憊なのにも拘らず、彼らの主を虐げて来た人物たちに立ち向かおうと顔を上げ続ける光景が広がっていたのであった。
それは、たった数瞬の事だった。
二人の視線が絡み合う。先程契約したばかりのピュヨコの事も、今も苦戦しているシンディの大切な味方の事も何もかも忘れてしまったかのようにお互いしか映さない瞳。
シンディは、ヨウルプッキの青と緑の魔力が溢れて、静かに水中にあるかのように揺らめくそれに吸い寄せられるように足を踏み出していく。
他者には見えないが守護者たる彼女の友達を従えて、全身を柔らかな光を纏った彼女の今の姿は平民のワンピースを着用し、化粧もしておらず、簡単に襟足で紐でくくっているだけだ。
だが、他の誰よりも貴賓と自信を宿し背筋を伸ばし歩いている。そして、慈愛あふれる表情を湛えたその微笑みもまた、ヨウルプッキを見惚れさせ彼の時を止めていた。
二人の心の内は誰にもわからない。おそらく、彼ら自身にもわからないだろう。
だが、ヨウルプッキの大きくて温かな手の平にそっと手を乗せたアールトネン女伯爵の胸の中には、誠実に嘘偽りなく自分に謝罪を繰り返していた彼の姿があった。
裸で床に額をつけていた彼はとてもみっともなかっただろう。けれども、彼のその拙くどもりながら言った数々の言動が、彼女の信頼を得ていたのは確かだ。
「ヨウルプッキ様」
名実ともにアールトネン家の当主となった彼女の小さな唇から彼の名が短く紡がれた。
「はい、アールトネン伯爵様」
彼の返事に、シンディはほんの少しの胸の違和感を覚えた。彼の瞳には、伯爵への憧憬の念以上のものがあるを感じている。
──彼は何を思っているんだろう? 何を伝えたいのかしら?
短い間ではあるが、初めてほっとする異性と関わった時を経て、彼には違う名で自分を呼んで欲しいと、なぜか思ってしまった。
シンディはありえない自分の中に芽生えたその気持ちを小さく頭を振って消す。
──今はそれどころではないはずよ……!
「先ほど、屋根の上でわたくしの大切な侍女に手助けしていただいてありがとうございました。貴方がいなければ、彼女は今頃どうなっていたかわかりません」
「なぜそれを?」
シンディは、不敵な笑みを浮かべる。それもまたヨウルプッキの心を虜にしてしまう。
「屋敷の守護者に認められた今、この敷地内でわたくしに分からない事はありません。彼女を助けていただき感謝いたします」
ヨウルプッキは、その立場にふさわしく、けれども心を込めて礼を言う彼女の姿に、諦めなければならない恋心が暴れてしまう。胸が苦しくなるほどの想いが溢れ出てしまい彼を苦しめた。
けれども、それ以上に彼女の魅力を誰よりも側で感じる事が出来た幸福に酔いしれもする。
「大したことはしていません。僕が出来る事をしたまでです」
ヨウルプッキの謙虚な、形通りの返事を聞く。二人は笑みを浮かべながら見つめ合ったまま動かない。
「ヨウルプッキ様、わたくしはこれから当主としての責務を果たしにいかねばなりません」
「はい」
シンディの視線が一瞬不安の色を宿しやや下を向くが、すぐに元に戻り、再び上げたその瞳の中にはなんら迷いが見えなかった。
「不測の事態が起こりえるやもしれませんが、それでもわたくしとともに来ますか?」
「僕は、僕の出来る全てで貴女を守りたい。ですから連れて行ってください」
シンディの問いは、命が危ないという意味が込められていた。ヨウルプッキは、それを十分に理解して、一瞬すら迷わずに応える。
シンディの乗せられていた手が、ヨウルプッキの手をそっと掴む。
「では、行きましょう」
「はい!」
シンディが息をするように転移の魔法を使用すると、次の瞬間、元伯爵代理たちが立てこもる当主がいるべき一番豪華な部屋の前だった。
彼女の大切な宝物たちが、必死に戦い疲労困憊なのにも拘らず、彼らの主を虐げて来た人物たちに立ち向かおうと顔を上げ続ける光景が広がっていたのであった。
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