上 下
46 / 75

31

しおりを挟む
 フレースヴェルグが魔の森の外に出るまで、あと2キロメートルほど。巨体のフレースヴェルグにとっては、その距離は無きに等しいに違いない。

  体に張り巡らされた時空の歪みのために直接的な攻撃魔法も、麻痺も効かない。視界に入ることで効くはずの眠りをもたらす魔法でさえ通用しなかった。

 もう後がない八方塞がりの今、気が逸るだけで一向に名案が浮かばないまま、久しぶりに見かけた人物に声をかける。

「マシユムール、久しぶりね。王都に行っていたと聞いたのだけれど、戻ったのね。お帰りなさい」

 ウールスタとトーンカッソスは複雑そうな表情をしている。彼に会いたくなかったのは、非常に理解できるが、今は個人の感情を優先出来る状況ではない。
 一方マシユムールは、声をかけたのがわたくしだと知り、一瞬驚いた表情を浮かべたものの、うやうやしく頭を下げてきた。

「長らく不在にしておりましたが、先程、王都から帰還致しました。帰る途中、魔の森から不穏な気配を感じてここまで来たのですが、これは一体……。向こうから、感じた事のない魔物の気配がするのですが」

 彼の態度は、初日や最後に会った頃とは雲泥の差だった。恐らくは、王子の処分も決まった事だし、王都で自分で再調査する事で、事の真相を知ったのだろう。

 彼の言動に警戒していたウールスタとトーンカッソスは、もしもわたくしに対して侮辱的な態度を取れば、制止する前に攻撃を加える気満々なのがわかる。わたくしも、キトグラムン様の顔を立てて何度も彼の態度を許してきたが、次は容赦しないつもりだったので、ふたりを制止する気はなかったけれども。

 どちらにせよ、魔の森に詳しい彼が来たのだ。わざわざ敵対する必要はない。そう思っていたのだが、彼の次の言葉に、わたくしたちは驚愕とともに拍子抜けした。

「……、その節は、大変失礼いたしました。その件につきましては、いかようにもご処分を。それにしても、なぜこちらにおいでに? 見たところ三名だけのようですが、他の者は?」

 マシユムールからは、以前の嫌々ながら礼節を保とうとする態度が全く見受けられない。彼が臣下の礼をつくそうとしているのだ。ならば、こちらもそれに応えようと思った。

 魔の森に来てから今までの事を、包み隠さず伝えた。シュメージュにすら伝えず、三人だけでここに来た事について、マシユムールは厳しい視線を投げかけてきた。

「魔の森は、たとえ安全地帯と言われる場所であっても油断は出来ないのです。ここは我々人間が、遊び半分で気軽に立ち入って良い場所ではありません。訓練し、魔の森に慣れた騎士たちですら、怪我を負う場所なのですよ。それを、ピクニック気分でここに来るなど。奥様達の強さは、私もわかっていますが、あまりにも無謀すぎます」
「……それについては、あなたの言う通り、返す言葉もないわ。自分たちの力を過信して、魔物の世界であるここに勝手に入り込み、あげくに、フレースヴェルグを目覚めさせる原因を作ったのですもの……。短慮だったと反省しています。でも…今も、フレースヴェルグは外に向かっているわ。過去を悔やんで足を止めている場合ではないの。わたくしの力全てを使っても、倒せなくとも魔の森から出さないようにしたい」

 彼の言う通り、気軽なピクニック気分だった。思い付きの遊びの延長で、世界を破滅させる事の出来る、恐ろしいフレースヴェルグを魔の森と辺境の境目におびき寄せてしまった事に、心が押しつぶされそうなほどの恐怖が襲い掛かる。
 だからこそ、フレースヴェルグを止めなければならない。
 
「そもそも、ありもしない噂の内容を信じたために、奥様に早急に伝えるべき、この魔の森について伝える事を怠ったこちらの落ち度です。知らずに入り、襲ってくる魔物を倒すのは至極当然の事でしょう。とにかく、奥様の仰る通り、過ぎた事よりもこれからの事です。ここに近づいて来る魔物の正体は、間違いなくフレースヴェルグなのでしょうか?」
「ええ。王宮の禁書に描かれていた絵姿そっくりよ。今は、ゆっくり散歩を楽しんでいるように見えるけれど、こうしている間にも、翼を広げてこの先の辺境の民が暮らす砦に向かうもしれないわ。なんとか足止めでもと思ったのだけれど、全ての魔法が届かなくて……」
「フレースヴェルグ自身に対する足止めの手立てがなければ、主様も間に合いませんね……。奥様、フレースヴェルグの周囲に大きな檻のような結界を作る事は可能でしょうか?」
「結界?」
「はい、フレースヴェルグ本体ではなく、周囲の地形を利用して強固な檻を作り、そこに閉じ込めるのです。我々がいるこの場所と、向こうにいるフレースヴェルグとの間には、自然に出来た深い亀裂があります。そこにフレースヴェルグを落し、上から蓋をしつつ、壁を壊されないように結界で囲えば……」
「なるほど、やつ本体に何も出来なければ……。マシユムールさん、正直見直しました」
「あなたの案に乗るのは口惜しいですが、それしかなさそうですね」

 わたくしたちはマシユムールの作戦に乗る事にした。キトグラムン様がここに到着するまで小一時間はかかるという彼の言葉に、そこまで足止めできるか自信など全くない。

(でも、……やるしかないのよ)

 自分に言い聞かせるようにそう心の中で呟き、両手をぎゅっと握りしめる。

「出来れば、魔の森の奥にある、フレースヴェルグを封印していたアイテムがあれば良いのですが。生憎、私だけではそこにたどりつけません」
「では、私が、マシユムールさんの援護をします」
「ウールスタさん、魔の森の奥は危険です。それは俺が!」
「トーンカッソスと私なら、余力があるのは私のほうです。それに、お嬢様の結界の強度をあげるために、トーンカッソスが持っているアイテムが役に立つかもしれない。トーンカッソスはお嬢様をお守りしてください」
「それがいいわね……。森の奥と、ここ。どちらも危険極まりないけれど……」

 わたくしたちは二手に別れた。
 マシユムールの言っていた大地の亀裂の地点で、フレースヴェルグを待ち受ける。トーンカッソスが、途中で仕留めた魔物エサを、次々亀裂に放り込んだ。

 フレースヴェルグは、大地の底から香り立つ、大好物の死の匂いをかぎ分けたようだ。ぐるると小さな喜びの声をあげて、亀裂の底に向かった。

 最初から全力で結界の魔法を使用すれば、魔力切れでわたくしが倒れてしまう。かといって、少しでも弱ければ、薄い氷の膜のように簡単に破られるだろう。わたくしが、少しでも力加減を誤れば、この世界は混沌と化すのだ。

 怖い。本当は、ここから逃げ出したい。

 でも、逃げてはいけないと顔をあげて唇をきゅっと結んだ。胸を張り、顎をつんっとあげ、噂通りの悪女のように、自分の弱い心に負けるものかと大胆不敵に笑う。
 
(フレースヴェルグ……。お前が、わたくしの結界を破るのが先か、ウールスタたちが封印のアイテムを手に入れ、キトグラムン様がお前を封印してくださるのが先か……)

「さあ、フレースヴェルグ。わたくしと、力比べを致しましょうか?」

 そう言うと、トーンカッソスと視線を合わせて頷き合う。先ほど首にかけた魔力増幅のペンダントが、わたくしの魔力に反応して光始めた。

 わたくしは、過去最高レベルの強度で作った檻という名の結界で、フレースヴェルグを包み込んだのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!

Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

領地経営で忙しい私に、第三王子が自由すぎる理由を教えてください

ねむたん
恋愛
領地経営に奔走する伯爵令嬢エリナ。毎日忙しく過ごす彼女の元に、突然ふらりと現れたのは、自由気ままな第三王子アレクシス。どうやら領地に興味を持ったらしいけれど、それを口実に毎日のように居座る彼に、エリナは振り回されっぱなし! 領地を守りたい令嬢と、なんとなく興味本位で動く王子。全く噛み合わない二人のやりとりは、笑いあり、すれ違いあり、ちょっぴりときめきも──? くすっと気軽に読める貴族ラブコメディ!

処理中です...