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思慕の辺境伯

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 この姿になってから、どうしても寝付けない事が多くなった。僕が目にしないように、鏡は皆が撤去してくれているけれど、闇夜に浮かぶ窓や水たまりなどが鏡になって、油断して頭巾を取っていると容赦なく悍ましい僕の姿を突き付けてくる。

 誰も入る事のない私室の窓に映る僕の首から下は、普通の人間にしか見えない。辺境の魔物は、王都にたまに出現するそれらと違い、大きくて狂暴だ。その魔物と始終戦い続けている僕の体は、すらりとした貴公子とは違い巨漢といってもいいだろう。
 顔や頭を見ないようにさえしなければいいだけなのに、どうしても視線はそこに行く。

 変に白すぎる肌は、のっぺりしていて縦に筋が入っている。髪の毛だけでなく、眉やひげすら一本も生えていない。やたらと大きな顔の部分の輪郭に対して、中央にぎゅっと詰め込まれたかのような、瞳と鼻、そして、縦に線が入っている表面に引っ張られたかのように薄くのばされた唇がある。それらは、人間だった名残りをほんのわずかに彷彿とさせた。
 顎もなく、耳の部分はよく見れば左右に膨らみがあるくらいで穴が見当たらない。今の僕は、他人の声や物音がどこからどのようにして理解しているのかわからなかった。
 黒い髪があった場所は、白っぽい茶色に変化していて、側頭部や後頭部は、顔面と同じように、縦に筋張った白いぷにっとした感触の皮があるのみ。

「……っ!」

 思わず、闇夜に浮かぶ薄気味悪いそれを、拳で叩き壊そうと手が伸びる。だが、窓を割った所で、僕の頭部が壊れて元の姿に戻るわけはない。

 10年以上前、魔の森が平和だった事もあり社交に励んでいた僕は、一緒に将来王になる王太子殿下とともにこの国を守って行こうと語り合っていた。
 その時、王宮の警護を潜り抜けて、当時不穏な動きをしていた隣国の刺客が王太子殿下を狙ったのだ。僕はすぐさま愛用の大剣で敵をなぎ払う。大きくて重いその剣は、切るというよりもスピードと剣の重量でもって殴り倒すといった方がふさわしいだろう。
 僕は、魔の森を平定するためにほとんどの魔力をそちらに使っているから、魔法はあまり使えない。どれほど離れようとも、僕の体に流れる代々受け継がれてきた血の契約の元、魔の森にある古代遺跡と繋がっており魔物の数の調整や森の実りに四六時中使われて続けていた。

 王太子殿下に向かって、敵が何かの魔法を放つ。一直線に襲い掛かる呪いの軌跡をそのままにしているわけにはいかない。僕は咄嗟に、その魔法から王太子殿下を庇い、自らその魔法を受けたのだ。

 痛くもかゆくもないその魔法は、一瞬相手がミスをしたのかと安堵した。次の瞬間、首から上がむず痒くなる。大きくなったり小さくなったり形が変化し、数分後には今の姿になったのであった。

「閣下……。あなたは、僕が誰からも褒められる行動をしたのだから胸を張れと仰いました。でも……」

(王太子殿下を守れた事は、本当に誇らしく心底良かったと思う。それは、本当にそう思っている。だけど、一生こんな姿になるとわかっていたら……)

 あの時、絶対に助けなかったのに……、などという、王太子殿下がこの姿になっても良いとでも言わんばかりの、王家に忠誠を誓った者として恥ずべき考えが頭に浮かぶ。不敬だと頭を振るが、この思いはあの時から10年以上、僕の心に仄暗い灯りとなって巣食っていた。

 彼女はこの件とは関係がない。だというのに、僕以外の男を連れてきたバヨータージユ公爵の娘である彼女を僕だけの物にしてしまいたいという欲望が鎌首をもたげる。

 いっそ、彼女が僕と同じ姿になったら、ずっとふたりで誰からも邪魔される事無く幸せに暮らせるのだろうかと馬鹿げた感傷に浸り、自分のそのような感情が信じられずに窓の向こうに浮かぶ月を見上げた。

(今は絵姿だけじゃない。すぐ近くの離れに、僕の妻となるべき人がいるんだ……)

 月明かりは人を狂わせる何かがあるらしい。

(はは、馬鹿な。僕は人ではないというのに、月の光が僕を惑わすなどありえない)

 彼女がどうしても気になって、柔らかな光を放つ月夜に誘われるように、久しぶりに外に出た。離れに入る小さな門をくぐり抜けてすぐの所に、僕が隠れる事のできる場所がある。そこに身を寄せて、離れから見えないように目を凝らした。もう真夜中だ。彼女が外に出ているはずはないというのに、部屋の灯りが漏れる窓を凝視する。
 
「……。起きてるのかな……」

 ひゅうひゅう漏れる空気とともに産み出されるかすれた声は、僕の心そのもののようだ。

 自分すら身震いするほどの声を誰にも聞かれたくないのに、最後の悪あがきのように、誰かに醜い僕自身を受け入れて貰いたいという気持ちは消えることがない。

「君の家とは違って、とても小さな離れなのに、喜んでくれたみたいだね。ありがとう」

 こうして、姿が見えない遠く離れた場所で、聞かれる事が決してない言葉を伝える。窓の向こうにいる彼女も、絵姿の微笑みからも何の返事もない。だからこそ、こうして語り掛ける事ができるのだ。

「部屋は、気に入ってくれたかい? 僕の事を嫌いでもいい。せめて、この場所が気に入ってずっと暮らしてもらえたら……」

  庭の隅の木陰から、直接問う勇気のない僕は、空が赤みを帯びて明るくなる時間までそこに佇んでいた。

 日中は仕事、夜は離れでずっと過ごしていたからか、流石に瞼が重くて船を漕いでいた。僕を心配するマシユムールに、彼女を放置していないか確認すると視線を逸らされた。今日はまだ離れに行っていないようだ。

「マシユムール、ここはいいから離れに行って不便がないか確認してきてくれ。来てすぐには気付かなかった事で、今困っている事があるかもしれない。僕が、彼女や連れてきた侍女たちに、小さな離れで過ごしてもらう事は本意ではないとわかっているだろう? 僕に許可を取る必要はないから、叶えられる事ならなんでも望み通りにしてあげて」
「かしこまりました」

 マシユムールが消えた後、書類の文字を読んでいるうちにウトウトしていたようだ。微かに、僕の食欲を誘う香ばしいパンが焼けたような香りと、口の中が潤う美味しそうなソースのにおいでハッと目が覚める。

 シュメージュが持ってきたのは、一枚のピザだった。モチモチっとした厚めの生地の上には、エリンギとベーコン、モッツァレラチーズがたくさん乗せられている。

「奥様が、旦那様にと、手ずから用意してくださったのですわ。それと、旦那様に伝えなければならない事がございます。少々お時間よろしいでしょうか?」

 シュメージュから聞かされた彼女の言葉に、僕はますます彼女への慕情を募らせたのであった。




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