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憤激の執事

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(なんだ、あの令嬢は! それに、供の男女も失礼きわまりない!)

 部屋を退室した後、怒りの感情を抱えたまま主の執務室に早足で向かった。ドアを叩く拳に力が入りすぎて、ゴンゴンドンと音が鳴る。許可を得るや否や、バタンと乱暴にドアを開け、開口一番先ほどの事を辺境伯に報告した。

「主様、やはり聞いていた噂は本当でした。予め聞いていなければ、可憐でかわいい容姿に騙されるところでしたよ。王子の婚約者だからと国庫を私物のように使った贅沢三昧。さらに、性根が悪く、男癖も悪いという。おそらく、一緒に来たあの男は情人に違いありません。主従というには、あまりにも親密そうでしたし、男は無礼な言動ではあるもののとても美しい面立ちでしたから。そうでなければ、別邸を用意しろとか、お互いにプライベートも公務も一切口出し無用など言わないでしょう。王命で罪人を娶らざるを得ず、主様の情けでこうして迎え入れたというのに、感謝の欠片もありはしません! あろうことか、侍女たちと一緒に、私を馬鹿にして魔力でこちらを脅迫したんですよ!」

 更に、今後も彼女たちへの世話は最低限でいいと鼻息荒く提案した。

 その言葉を聞いていた侍女長は、国のために日夜魔物と戦い続ける領主に、いくら呪いで異形の姿になったとはいえ、そのような罪人が妻として来るなんてと涙を流して悲しんでいたのだ。とはいえ、相手は押しも押される公爵家の令嬢だ。お飾りの辺境伯爵夫人としてでもきちんと仕えねばならない。侍女長も複雑な気持ちだっただろう。感情を押し殺して、長旅で疲れているだろう令嬢のために、誠心誠意お茶やお菓子を用意したのである。俯いた彼女は、その真心を踏みにじられ胸が痛んでいる事だろう。

 主は、令嬢の話や要望を聞くと、異世界転生者がこの地に残したというアーティファクトである武田頭巾の、目元だけを見せた帽子を被ったまま目を閉じた。わずかに見える肌は、縦に筋が入っていてやけに白い。巨漢の彼には、重厚で大きな執務室の机が小さく見える。

 閉じた目をそっと開くと、頭巾の影に隠れていたのは、明るい透き通るような青い瞳だった。その瞳は、曇りひとつない晴れ渡った空の下にある、底まではっきり見える池のように揺らめいている。

「そうか……。マシユムール、報告ありがとう。このような姿だから、まだ見ぬ彼女に怯えられてしまうと思い、会う勇気がでなかった僕が悪い。お前が僕の代理として関わった事で、嫌な思いをさせてしまったね。ただ、やっぱり彼女も、僕なんかとの結婚なんて嫌なんだろう。これまで、誰も来てくれなかったからね……。それなのに、意を決してここまで来てくれたんだ。僕はそれだけで充分だ。仮でも、僕の妻になってくれるのならそれでいい。だから、出来る限り彼女の思う通りにしてあげて……」

 主は、これまで女性からどころか老若男女問わず、嫌われ恐れられ嘲笑されてきた。表立って、バケモノと言われた事も少なくなく、会う人の目には恐怖と嫌悪の色が隠せていない。少年の頃に呪いを受けた経緯を知り、同情はしつつも、誰も自分に娘を妻にはやろうという者はいなかったのだ。

 勿論、使用人や辺境の騎士たち、あの令嬢罪人の親である公爵など、見た目で自分を判断しない人も少ないがいる。その公爵の娘ならひょっとしたら、彼と同じようにきちんと一人の人間として対峙してくれるかもしれないと思っていたとも言っていたのだ。

 今回の縁談が持ち込まれた際、主は、18才の乙女にとっては異形の自分はきつかろうと肩を落としていた。それに、煌びやかな王都とちがってここはド田舎だ。一生住むには退屈だろうと、王との令嬢を娶るために出来る限りの準備をしていた。

「マシユムール、恋人という男の人の事も、きちんと受け入れてあげて」

「主様……」

 主の寂しそうな様子や、目元だけは見えるためそこに浮かんだ薄い透明の膜や明るい青の瞳が陰るのを見て、我が事のように胸が痛んだ。あんな令嬢の事など捨て置けばいいというのに、主は優しすぎる。

(ここは、私がしっかり、あの悪女から主様をお守りせねば……!)

 絶対に悪女たちを許さないと、決意を新たにした。

「でも、どうしてこちらに来られたのでしょうか? それに、公爵家のご令嬢であれば生涯未婚のままという罰を与えられるほうが納得できるのですが……」

 普段寡黙な侍女長が、いくら王命でも書類だけの婚姻状態でよかったのではないかと不思議に思ったのか、珍しく疑問を主に伝えた。

「そう言えば、王家の不祥事にも関わる事だから、彼女が来てから詳しい理由を伝えようと思って話していなかったね。彼女が王都に戻らないと言うのなら、お前たちには伝えても良いだろう。どうやら、僕の妻になって後継者を産むようにというのが彼女に課せられた罰らしい……。ただ、こればかりは、僕は、お互いの気持ちがなければできないと思う。彼女が、僕に不干渉を望んだ以上、子は授かりものだからできなかったと王家には報告すればいいだろう」

「そんな……!」

 いくらなんでも罰としてのその王命は、主にとっても侮辱な上に、女性をなんだと思っているのかと問い詰めたくなるほどの内容に驚愕した。悪女とはいえ令嬢が憐れに思えたが、そのような罰を下されるほどの事をしでかしたのだと思い直す。

「政略結婚で跡継ぎを残す夫婦も沢山いる。後継者は、出来れば僕の血を引く子が望ましいが、直系の親戚から選べばいいだろう。公爵領で過ごす事もできるのに、折角ここまで来てくれた彼女には、せめて心穏やかに過ごしてもらいたい」
「ところで主様、奥様の住むところはいかがいたしましょうか。予定していたのは主様の隣にある部屋でしたので、他は準備が不十分でございます」
「そうだな……。一番、綺麗な花が咲いている庭が一望できる離れに案内してあげて。シュメージュ頼んだよ」
「かしこまりました。それでは、そちらの準備に向かいますので御前失礼いたします」

 侍女長が一礼して退室する。私は、主とともに今後の契約結婚についての書類を用意したのであった。

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