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「やあ、ビオラ嬢。こんにちは」

 責任を取ってマロウ様に協力すると約束したとはいえ、そのままローズ様たちとにこやかに会話をしてくれていたらいいのに、私なんかにも声をかけてくれる。本来なら、ローズ様たちとこうして気安く接する事しらままならないほど、彼らと私の身分の壁は高い。
 取るに足らない、貧乏子爵のちっこい美人でもかわいくもない私にまで、同じ部屋にいるからと、こうしてきちんと挨拶をしてくれるなんて、マロウ様はなんて優しくて気遣いの出来る殿方なのだろう。

 きっと、立派な侯爵様になるに違いない。

 通常であれば、やんごとなき次期侯爵様に対して、気後れはするけれど挨拶を返すだろう。だけど、彼の婚約者のあんな姿や、その後の事を思い出すと、まともに彼の顔が見る事なんて出来ない。

 マロウ様だって、自分の婚約者のあんな様子をたかが子爵の令嬢に知られたくはなかっただろうし、あんな事をしでかした私に対して、嫌悪感とまではいかないかもしれないけれど、複雑な思いを抱いているに決まっている。

 ウスベニ様のお手伝いのおかげで、花弁を無事にうまく敷きつめ直せたけれど、そのまま視線をそこから移動させるなんて畏れ多すぎるし気まずいにも程がある。

 けれど、挨拶はとても大事なのだ。我が家では、笑顔と挨拶、そしてお礼と謝罪は、降り注ぐように大げさすぎるほどするようにという家訓めいたものがある。そんな大層なものではない、当り前の事だけれども。
 ただでさえ、周囲の視線も口も、我が家にはやらかした三代前の当主のせいで、冷たく厳しくも長い年月だったのだ。この当たり前の事を忘れないように、2代前からずっと続けられていて、その甲斐もあってか(ほとんど母の実家のおかげかもしれない)、すんごく貧乏だけれども、ちょっとだけ上向きの評判になったのだから続けなくてはいけないのだ。

 ここで、マロウ様のご厚意を無にするわけにはいかない。そう、笑顔で挨拶をしないわけにはいかないのだ。

 このまま花弁の上に透明のゼリーを流し込みたいなあ、その辺のぺんぺん草のような私の事なんて放っておいてくれないかなあと思い、下を向きながら、ちらっと、視線だけ、ほんの少しマロウ様の方に向けてみた。咽がひくついて上手く声が出せないほど緊張してしまう。

 でも、がんばるのよビオラ! 挨拶は大事なのよ、しゃんとしなさい!

 自分に言い聞かせるように、心の中でエールを送った。

「ご、ごきげんよう……」

 頑張って、彼をしっかり見つめて、震えたけれど挨拶をしてみた。自分でも笑顔が引きつっているのがわかる。

 でも、やはりというか、マロウ様のご尊顔を見るんじゃなかったと、激しく後悔した。

 慌てて、視線をさりげなくを装って(わざとらしく見えてませんように)、ローズ様たちのほうに向けた。頬にマロウ様の視線がぐさぐさ突き刺さってきている気がするけれども、もう一度彼を見る勇気はしおしおと萎んでしまったから皆無になっている。

 マロウ様は、あの時の事は気にするなと言ってくれた。あれから会うたびに彼の顔がなんだか怒っているような……。気のせいだと思いたいけれど、絶対に怒っている、と、思う。

 なんとか、ポジティブに考えたかった。嫌われてないって思いたかったけれども。


 間違いない。絶対、ぜーったい、マロウ様に嫌われてる!


 だって、なんとなく顔が赤いし、眉間にしわをよせてるし、笑顔なんだけど目が笑ってなくて、口元がひきつっているもの。
 目力というか、視線もとっても強すぎるほどだし、そりゃ、あんなにも無礼で痴女のような真似をしたのだから仕方がないだろう。私だったら、痴漢をされたらにらみつけちゃうと思うもの。

 あれはわざとじゃないのに……そこまで嫌わなくってもいいじゃない。でも、そんな逆恨みみたいな考えダメよ、ビオラ。

 完全な被害者でしかないマロウ様が、表面上だけでも寛大に許してくれただけでもありがたいし、不愉快でしかないだろう私に対して、顔を見る事すらとっても嫌にちがいない本心を隠してこうして笑顔で挨拶をしてくれるのだ。それで充分じゃない。

 でも、人に嫌われるなんて結構辛くて悲しい。出会いさえ、あんな風じゃなかったら、こんなにも睨みつけられる事なんてなかっただろうに。

 マロウ様は、あんな事があったのにも拘らず、相変わらずチェリーに対して紳士的に接している。勿論、殿下にもだ。
 いつもと変わらず、彼らと穏やかに会話されているし、いつもされていたらしいけれど、チェリーのクラスに顔をだして婚約者としての務めを果たそうとしているらしい。

 チェリーは綺麗だし、モテモテだし、きっとマロウ様は彼女の事を好きだったのだと思う。

 好きな人に裏切られたっていうのに、なんという強い精神力の人なのだろう。とても、真似なんて出来ない。流石に、不貞をしたチェリーを妻にはできないから婚約を解消するつもりだろうけれど、今の私なんて比べものにならないほど悲しくて傷ついているに違いないというのに、尊敬してしまう。

 ローズ様は殿下の裏切りを知らないままだから、通常運転でそつなく接している。普段の殿下のローズ様へのそっけなさというか、あまり酷い物言いとかはないけど、以前よりも蔑ろにされているというのに、流石、パーフェクトレディと名高い方だけある。
 
 私だったら、殿下に塩をふって、しわしわのかぴかぴにしちゃいそうなのに、マロウ様といいローズ様といい、凄すぎて神様かなにかじゃないかなって思う。

 まあ、女神の生まれ変わりのようなローズ様には、いずれ殿下を、外でいかがわしい事をするような卑劣で卑怯で汚い裏切りの一面を知ったあと、さっさとぽいって捨ててもらって。そのあとは、とっても優しくて素敵な頼れるウスベニ様がいるから安泰だ。

 背が高くてがっしりしているウスベニ様が、晴れて自由の身になった美しいローズ様に、優しく、かつ、かっこよく求婚するだろう。あんな、目が穢れてしまうような元婚約者とはいえ、これまで支えて来た殿下を支えて来たローズ様は、深く心に傷を負って悲しみの底にいる。

 そんな儚げ絶世の美女であるローズ様の傷が癒えるのを待ってくれて、それまでもずっとローズ様だけを想い、その恋心を胸に秘めていた一途で誠実なウスベニ様の優しさに惹かれて、やがてふたりは心を通わすのだ。

 どこまでも青く続く澄んだ空。まるで女神の祝福が降りたかのような穏やかな日に、永遠の愛を誓うふたりの姿はとてもお似合いだろう。程なくして産まれてくる彼らの子どもは、どちらに似ても可愛らしく賢く、そして優しいに決まっている。

「ビオラ嬢、ちょっといいかな?」

 そんな風に、ローズ様とウスベニ様をうっとり眺めていると、さっきよりも険しい、とっても低い声でマロウ様に名を呼ばれてしまった。



 

 


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