上 下
4 / 39

3

しおりを挟む
「しっかり! 目を開けて!」

「ん……あら? ここはいったい……そうだわ、わたくしは、ローズさまのおうちの、やかいにきていて……まいごになって……それから……、…………、それから…………?」

 体を揺さぶられ瞼が開いて意識が戻っていく。ここは、どこだっただろうか、お腹が空いたな、なんて呑気な事を考えつつも、ローズ様のおうちの夜会に来た事をぼんやり思い出した。自分でも何をしているのか、どういう思考なのかさっぱりわかっていない。

 ここに、私に声をかけてくれる知り合いと言えばローズ様だけだ。耳から入る音は低い気がするし、どことなく違和感を感じるけれども、唐突にさきほどの光景が頭に浮上したため、そんな些細な気がかりはふっとんだ。

「ローズ、さま……! ああ、とんでもない事が……いいえ、なんでもありません! それよりも、いつの間にここにいらしたのですか? えーと、えーっと! と、とにかく、ここから離れて……! ちょっと失礼いたしますわ!」

 火急的速やかに、夜会の主催者で多忙なはずなのに、なぜかここに来てくれたローズ様を、遠ざけなければならないと思った。まずは、あの悍ましい光景を見せてはいけない。視界を遮る必要があるだろう。
 顔すら確かめないほど慌てて彼女にしがみつき、頭を両腕でがっちりホールドし胸に抱き留めた。

「わっ! ぶ……、何を? 離して……」

「いいえ、離しません! 決して、ええ、決して! あちらを見てはなりませんっ! どうぞ、理由はお聞きにならないでくださいませっ!」

 一心不乱に、デンファレ殿下とチェリーの淫らな姿をみせるものかと、ぎゅうぎゅう彼女の頭を腕に抱えて動かないように力を込めた。

 あのふたりが、ローズ様のおうちの夜会中に、しかも外でいかがわしい行為をしていたのだ。あんな事を知ったら、日々殿下の婚約者として、そして、キンギョソウ侯爵の後継者として頑張っている彼女がどれほど傷つき、嘆き悲しむだろう。

 私から見て、以前の殿下とローズ様は仲が良かった。内心の気持ちはともかくとして、政略結婚相手としてはお互い申し分ない身分と資質、そして性格だから、いずれおしどり夫婦になるかななんて、とってもお似合いだと思っていたのに。

 チェリーがひとつ年上のはずなのに、ブロッサム伯爵家の後妻の連れ子として恥ずかしくない教養と学習、そして人脈作りのためにと学園に、伯爵のごり押しで編入してからというもの、殿下とローズ様の距離が離れてぎくしゃくしていたようにも思えた。

 それと反比例するかのように、不慣れで孤独で寂しそうだからという理由でチェリーと殿下や、殿下の側近たちが仲良くし始めたのである。
 彼らは友人だからと、行動を共にするようになり、ますますチェリーが孤立した。

 気の毒に思ったローズ様は、なにかとチェリーに配慮していたというのに、チェリーのやつは(コホン、はしたない言葉を使ってしまいましたわ)、ローズ様や他の女子生徒たちに嫉妬をしていると言い切って、自分からそっぽを向いて男子生徒とばかりいたのである。
 本人が望んでいないから、女子生徒から総スカンくらっているというのに、まるでローズ様たちがあえて意地悪をしていると言わんばかりに、ますます殿下たちとチェリーは仲良くなった。

 余談ではあるが、総スカンくらうという言葉は、先日ローズ様から教えていただいた。難解な異国の王族専用の言葉らしい。意味は、周囲が声をかけたくてもかけづらい状況になりほとほと困っているという、現状にぴったりな言語のひとつだという。

 まるで、うちの先祖がやらかした時の状況に似ているな、なんて危機感を覚えてしまうほど、彼らの行動は学園中で話題に上らない日はないほどだった。

 とにかく、ローズ様は淑女として殿下たちの友人という言葉を信じ、チェリーを周囲の女子生徒のやっかみも含む視線や悪口から守っていた。

 それなのに、そーれーなーのーにっ!

 私は、不敬ながらも、デンファレ殿下に怒りの感情を抱いてしまった。怪しいとは思っていた。周囲の女子生徒が、ふたりのデートの様子や、いちゃいちゃしている姿を見たって言っても、それは、ローズ様を傷つけようとする噂話や勘違いだと思い込もうとしていたのである。

「く、くるし……」

 殿下とチェリー憎しとばかりに、ホールドしていた腕に力が入り過ぎていたようだ。パンパンと腕を叩かれ続けていたようで我に返る。

「あ、失礼しました……! ローズ……さ、ま?」

 私は、自分の胸元に抱え込んだ頭をホールドする腕を緩めつつそちらを見下ろした。

 そこにあったのは、ローズ様の美しい大輪の薔薇のような深紅の色ではなく、夜明けの空のような薄明るいややピンクがかった紫色の短い髪だった。しかも、女性にしてはなんだか大きい頭囲だ。

 まるで、男の人の頭のよう……

「ぶっはぁ! 窒息するかとおもったぁあ! はぁはぁ!」

 私は、軽くその頭を抱えたまま、胸の谷間にあるその人物の姿と声を聞き、完全にフリーズした。

 あら? ローズ様はどこにいったの?

 あとから考えれば、最初からローズ様がいるはずがないとわかる状況下だ。だけど、何も考えられない頭は、真っ白でもローズ様でもなく、目の前の夜明けの空の色に染まった。

「………………」

「はぁ、……はぁ、ふぅ……いきなり何をするんだ」

 力がはいらなくなった腕の中で、未だに私の胸元にくっついたままのその人物から苦情を言われてしまった。

「あ、ごめんなさい……」

 条件反射で謝罪する。謝罪の言葉はプライスレス。いくらでも無料で使える、とっても素敵な、貧乏な我が家のリーサルウエポン・ワードだ。
 同じように使用する、ありがとうのほうが気持ちがいいけれど、この場合はごめんなさいのほうが適切だなんて、完全におかしな事しか考えられない。

「いや、こちらこそ突然驚かせてしまい、すまなかった。それに、その……呼吸をあらげるなど、見苦しい姿を見せたね」

「いえ、こちらこそ、非礼をお許しください」

「そう言っていただけるとありがたい。俺、いや、私の名はマロウ。マロウ・ゼニアオイという」

「あ、改めまして、お初にお目にかかります。マロウ様の事は、僭越ながら存じ上げておりますわ。わたくしはビオラ・バイオレットと申します。どうぞ、ビオラとお呼びくださいませ」

「では、ビオラ嬢と。私も君の事を、ローズ嬢といつもいるから知っている」

「まあ、そうでしたか? 身分も弁えず勿体ない事なのですけれども、ローズ様のお心遣いで仲良くさせていただいておりますの」

 お互い、現実離れしすぎたこの状況下で、まるで平穏な日常の一コマのように、にこやかに初対面の挨拶まで交わし始めたのであった。

 私は、彼を軽く抱っこしたまま。彼は、私の胸の谷間に顔をくっつけたままで。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

専属奴隷として生きる

佐藤クッタ
恋愛
M性という病気は治らずにドンドンと深みへ堕ちる。 中学生の頃から年上の女性に憧れていた 好きになるのは 友達のお母さん 文具屋のお母さん お菓子屋のお母さん 本屋のお母さん どちらかというとやせ型よりも グラマラスな女性に憧れを持った 昔は 文具屋にエロ本が置いてあって 雑誌棚に普通の雑誌と一緒にエロ本が置いてあった ある文具屋のお母さんに憧れて 雑誌を見るふりをしながらお母さんの傍にいたかっただけですが お母さんに「どれを買っても一緒よ」と言われて買ったエロ本が SM本だった。 当時は男性がSで女性がMな感じが主流でした グラビアも小説もそれを見ながら 想像するのはM女性を自分に置き換えての「夢想」 友達のお母さんに、お仕置きをされている自分 そんな毎日が続き私のMが開花したのだと思う

愛されていないはずの婚約者に「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」と申し上げたら溺愛されました

海咲雪
恋愛
「セレア、もう一度言う。私はセレアを愛している」 「どうやら、私の愛は伝わっていなかったらしい。これからは思う存分セレアを愛でることにしよう」 「他の男を愛することは婚約者の私が一切認めない。君が愛を注いでいいのも愛を注がれていいのも私だけだ」 貴方が愛しているのはあの男爵令嬢でしょう・・・? 何故、私を愛するふりをするのですか? [登場人物] セレア・シャルロット・・・伯爵令嬢。ノア・ヴィアーズの婚約者。ノアのことを建前ではなく本当に愛している。  × ノア・ヴィアーズ・・・王族。セレア・シャルロットの婚約者。 リア・セルナード・・・男爵令嬢。ノア・ヴィアーズと恋仲であると噂が立っている。 アレン・シールベルト・・・伯爵家の一人息子。セレアとは幼い頃から仲が良い友達。実はセレアのことを・・・?

冤罪! 全身拘束刑に処せられた女

ジャン・幸田
ミステリー
 刑務所が廃止された時代。懲役刑は変化していた! 刑の執行は強制的にロボットにされる事であった! 犯罪者は人類に奉仕する機械労働者階級にされることになっていた!  そんなある時、山村愛莉はライバルにはめられ、ガイノイドと呼ばれるロボットにされる全身拘束刑に処せられてしまった! いわば奴隷階級に落とされたのだ! 彼女の罪状は「国家機密漏洩罪」! しかも、首謀者にされた。  機械の身体に融合された彼女は、自称「とある政治家の手下」のチャラ男にしかみえない長崎淳司の手引きによって自分を陥れた者たちの魂胆を探るべく、ガイノイド「エリー」として潜入したのだが、果たして真実に辿りつけるのか? 再会した後輩の真由美とともに危険な冒険が始まる!  サイエンスホラーミステリー! 身体を改造された少女は事件を解決し冤罪を晴らして元の生活に戻れるのだろうか? *追加加筆していく予定です。そのため時期によって内容は違っているかもしれません、よろしくお願いしますね! *他の投稿小説サイトでも公開しておりますが、基本的に内容は同じです。 *現実世界を連想するような国名などが出ますがフィクションです。パラレルワールドの出来事という設定です。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる

玉響
恋愛
平和だったカヴァニス王国が、隣国イザイアの突然の侵攻により一夜にして滅亡した。 カヴァニスの王女アリーチェは、逃げ遅れたところを何者かに助けられるが、意識を失ってしまう。 目覚めたアリーチェの前に現れたのは、祖国を滅ぼしたイザイアの『隻眼の騎士王』ルドヴィクだった。 憎しみと侮蔑を感情のままにルドヴィクを罵倒するが、ルドヴィクは何も言わずにアリーチェに治療を施し、傷が癒えた後も城に留まらせる。 ルドヴィクに対して憎しみを募らせるアリーチェだが、時折彼の見せる悲しげな表情に別の感情が芽生え始めるのに気がついたアリーチェの心は揺れるが………。 ※内容の一部に残酷描写が含まれます。

旦那様、王太子だからといって思い通りにはさせません

おてんば松尾
恋愛
政略結婚で隣国から嫁いできた王女ステラは王太子との初夜を迎えていた。 寝室に入ったとたん「では子づくりを」と王太子に言われたステラ。 妻に対するおもいやりも気遣いも感じられない態度に、ステラは二人の仲を深めるために先に話をしましょうと提案する。 王太子は初夜を拒否されたと思い、政略結婚というものの説明をする。 すれ違い、なかなか上手く噛み合わない二人だが、世継ぎをつくるという使命だけは果たさなければならない。 愛のない夜伽を試みるが…… **私は溺愛が上手く表現できないのですが、なんとか頑張って書いています。

先生と私。

狭山雪菜
恋愛
茂木結菜(もぎ ゆいな)は、高校3年生。1年の時から化学の教師林田信太郎(はやしだ しんたろう)に恋をしている。なんとか彼に自分を見てもらおうと、学級委員になったり、苦手な化学の授業を選択していた。 3年生になった時に、彼が担任の先生になった事で嬉しくて、勢い余って告白したのだが… 全編甘々を予定しております。 この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

処理中です...