公爵令嬢のため息

青架

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序章

友情を育んだ少女たちの話

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 目下の目標であったデビューを終えたところで、私に安寧が訪れる訳もなかった。

 既に貴族界の社交シーズンは盛りを迎え、連日連夜どこかの館でパーティーは行われている。
 突然の発表で一躍時の人となったエリザベートには山のように招待状が届き、それらを母が全て管理していた。

「最初のうちは出渋らないに越したことはないわ。親の実家とつながりの深いところは特に出ておいて損がないし、主催の家格は当分気にしなくて構わない。オリヴィアをあなたに付けるから、ふさわしい装いは任せておきなさい」

 私室の文机の上に塔を作った招待状を、参加不参加に捌きながら母が言う。
 すっと頭を下げたオリヴィアは母付きのメイドだ。母の娘時代から面倒を見ており、社交界のことも熟知している。ソフィアは憧れの大先輩の手腕を間近で見られるとあって、私の後ろで頬を上気させていた。

「それと」

 母の手に掲げられた一枚の綺麗な招待状。王家の紋の封蝋だ。

「未来のご家族からよ。3週間後のお茶会のお誘いね。顔を見せにいらっしゃいって」



 ほぼ毎日、昼は夫人や令嬢たちとお茶会をし、夜は華やかに装ってパーティーに参加。これが貴族令嬢の日常だ。

 最初はずっと気を張り毎回疲れ切っていたが、数を重ねるうちに上手く力を抜く方法も理解しはじめた。今ご婦人方は新しく仕入れた王子の婚約ニュースに夢中で、どのお茶会に招かれてもその話で持ち切りだ。場数を踏んで身につけたばかりの様々なあしらい方を駆使して質問攻めを潜り抜けていくのだが、これがなぜか大好評で、百戦錬磨のご婦人方には「初恋は秘してこそ価値のあるものですものね」とうっとりされ、年若いご令嬢たちには「思惑の絡まぬ純粋な恋とはかくあるべきですのね」とほめそやされた。

 どうやら方々のお茶会で「王子がエリザベートに一目惚れして熱心に通いつめ求婚し、エリザベートも憎からず想う王子ににとうとう折れた」というストーリーがまことしやかに囁かれているらしい。私が多くを語らないのも、初恋ゆえの乙女の恥じらいだなんだと好意的に受け止められていた。
 実際はアレクサンダーのことを何も知らないために、微笑みや曖昧な答えでひたすら誤魔化してきただけなのだが。彼とは実際に会って話したのも数十分程度、何を聞かれた所で答えられることの方が少ない。尾ひれがつくどころでない捏造の噂だが、勘違いされていた方が黙っていられるぶん都合良く、特に訂正はしなかった。

 何人か王子と本気で結婚したかったのだろうと思われる令嬢もいたが、他人の目があるためか多少つんけんとした態度を取られるくらいだった。10歳にも満たない少女の天邪鬼など可愛らしいものでしかない。私の社交界デビューは表立っては大きな敵も作らず、ひとまず上々の滑り出しを見せた。

 最も大きかったのは、参加するパーティーが特に被ることの多かった令嬢3人と親しくなれたことだ。同年代の少女が身近にいなかったエリザベートにとっては初めての女友達と言えるだろう。
 1つ年上のステアタイト侯爵家のベアトリス、同い年のリチオフィライト伯爵家のジェーンにアイオライト子爵家のシャルロット。
 ベアトリスはアレクサンダーの妃候補だったようで、私よりも早く訪問を受けていたらしい。私をよく思わない令嬢がお茶会で敢えてその話題を出し、気になった私は解散後にベアトリスに声を掛けたのだ。初めは私に嫌味を言われるのではと身構えていたベアトリスだが、そうではないと知ると一気に肩の力を抜いた。

「前日に突然通達だなんて殿下もひどいことをされますわよね」

 ベアトリスの時はどんなふうに顔合わせが行われたのかを知りたかったのだが、私の番と詳細はほぼ同じだったようだ。庭園のベンチに腰を下ろしてテーブルでアフタヌーンティーと洒落込む。
 ベアトリスはクッキーを白い指先でつまみながら小さく口を尖らせた。

「お恥ずかしい話ですが、うちでは父が格上のお家との縁談を結ぶことに執心しておりまして……。我が家は侯爵位を頂いてから代が浅いですから、何とか見合うパイプを築こうと必死なのですわ」

 ステアタイト侯爵の努力に対して、娘は淡泊だったようだ。
 自身が結婚したいと望むわけでもない男に急に家に押しかけられた上、冷たい表情で質問攻めされたとあっては最後まで興味が保てなかったと。

「あんな風に質問攻めされては、百年の恋も冷めると言うものでしょうに。わたくしは殿下に一瞬たりとも恋心を抱けませんでしたが」

 おっとりとした表情を浮かべて頬に手を添える。綺麗な黒髪が陽の光に艶めいた。
 彼女は信頼できると踏んだ私が実は、と婚約の真相を話したため、彼女はアレクサンダーへの抗議もためらいなく口にした。もちろんこの場限りですわ、とたおやかに微笑むベアトリスは意外と毒舌家だったらしい。

 シャルロットはベアトリスの従妹で、やや人見知りの小柄な令嬢だった。はにかんだ笑顔や亜麻色の柔らかい髪が会ったばかりのエドガーを彷彿とさせ、つい構いたくなる。ベアトリスと親しい様子を見せたためか、すぐに私にも笑顔をみせてくれるようになった。この従姉妹は淑やかなところが似ており、元が一般庶民の身としては、お嬢様然とした生粋の令嬢には少し憧れる部分がある。
 肩下で切りそろえた青みのある真っすぐな黒髪に、勝気そうな大きい瞳が印象的なジェーンは2人とは真逆のタイプで、商売の道に生き甲斐を見出すバイタリティ溢れる令嬢だった。リチオフィライト伯爵家自体も商会の発展や貿易に力を入れているとのことだから、そういう血なのだろう。シャルロットとはデビューのタイミングが同じで意気投合したらしい。正反対の2人だが、そこがうまくかみ合うといったところか。
 気の合う友人がいれば社交も楽しい。私は彼女たちとの女子会を楽しみにするようになった。



 時折、4人の休日が被った日を狙って誰かの家で集まることにしている。
 お茶会は他の令嬢や夫人たちもいるし、主催の顔は立てねばならない。親しい人間ばかりで話すわけにもいかず、こうして気兼ねなくお喋りできる集まりは私たちにとって貴重だった。

 他愛もないお喋りはこの年頃の少女にとって最高の娯楽だ。
 今日もリチオフィライト伯爵家の支援する商会の最新作をジェーンがお披露目して批評し合うことに始まり、夜会やレッスンについての愚痴やコツの話など話題には事欠かない。

「そういえば、明日のフォルステライト侯爵様の夜会にはいらっしゃらないのでしたっけ」

 イヤリングを手に取ったシャルロットが私に柔らかく問いかける。
 最近私たちは、ジェーンが商会の新作だと言って持ってくる一揃いの装身具で密かなお揃いを楽しむことに凝っている。そのためお互いのスケジュールは何となく理解していた。
 今日の装身具は紫の宝石をあしらったシリーズだそうだ。特に私が付けることによって宣伝効果も狙っていると言うのだから、商家の英才教育は恐ろしい。
 受け取って眺めていた髪飾りから視線を上げる。

「ええ。明日は王宮のお茶会にお招き頂いたの。夕方からの予定だから夜会はご遠慮したわ」
「王宮の?」

 ベアトリスとジェーンが揃って首をかしげた。

「わたくしにはご招待は届いておりませんでしたわ」
「明日王家が茶会を開くという噂も聞いておりませんね」

 情報通のジェーンが知らないのであれば、公的なものではないのだろう。

「確か母が、顔を見せに来るようにという旨があったと言っていたような」
「お誘い文句としてはあまり聞きませんわね」

 シャルロットが顔を曇らせ、手に取ったティーカップの取っ手を握りしめる。

「王族の方にねちねち責められる会でしょうか」

 ジェーンがさらっと嫌な予想をした。
 顔をしかめる私に「エリザベート様に関してはやっかみ以外文句のつけようがありませんもの。例えそうでもすぐ終わりますわ」とにこやかにフォローをくれるが、当事者としてはそもそもそんな事態に陥りたくはない。

「そういえば、マティルダ様に伺ったことがあるのですけれど」

 そう切り出したベアトリスが指すのは、ネフライト公爵家の長女マティルダのことだ。
 アレクサンダーの兄で長男のフリードリヒと婚約している。
 ベアトリスは口元に片手を添えて声を潜める。私たちもつられて彼女の方へ身を乗り出した。

「王妃様が、ときどき恐ろしいのですって」
「恐ろしいって?」

 ジェーンの問いに、一瞬ためらう様子を見せる。

「普段は優しく接して下さるのだけれど、なんだかこちらのことが眼中にないというか、あの方の前に出ると自分がものすごく矮小な存在に感じると仰っていたのです。なんというか、その、目が」

 恐ろしいと。
 マティルダ様もうまく言葉を見つけられないようでしたけれど、とベアトリスは結んだ。
 その言葉に、3週間前のデビューの夜を思い出す。あの時、薄く微笑んでいるようだった王妃。茫洋としてどこも見ていないようで、しかし私に刺さるような目には確かに言いようのない気持ちを覚えた。今思い返せば、あれは不気味さが近いのかもしれない。

「お茶会の主催は、王妃殿下よ」

 私の言葉に3人の視線が集まる。シャルロットなどはあまりに悲愴な顔をしているので、私は笑いそうになってしまった。

「別に取って食われるわけではないでしょう。マティルダ様も普段は優しい方と仰っているのだし。面白いお土産話でも期待していて頂戴」

 正直、1対1であの王妃と会えと言われれば若干抵抗を感じるが、お茶会なのだしそういったこともないだろう。それに何だかんだといって直接話してみなければ分からない。
 せっかくの集まりの空気を壊したくなくて、私はやや虚勢を張った。
 3人も「エリザベート様がそう仰るなら」とそれ以上この話題を続けることはなく、私たちは久々の休日を楽しんだのだった。

 
 
 

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