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序章
思慕に目覚めた公爵令息の話
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翌日から、私は勉強に打ち込み始めた。
その内容は多岐に渡る。読み書きや計算に始まり、地学に歴史といった国にまつわる一般知識からダンスや礼儀作法といった貴族の教養まで、様々な分野のレッスンがあった。
公爵令嬢は王家や他国に嫁ぐこともある身分。生半可な出来では務まらない。
ずっと勉強がしたかった私は、砂が水を吸うように与えられた知識を飲み込んでいった。
どんなに真剣にやっても、医者や自分の体に水を差されることがない。
なんて楽しいのだろう。時間を忘れて学習に明け暮れる毎日だった。
これまでのエリザベートとは学習意欲がガラッと変わる様に驚かれると思いきや、そこは成長期の子供のこと、公爵家の自覚の芽生えだなんだと好意的に受け止められていた。
「それでは少し休憩にいたしましょう」
行儀作法の教師の一声で、私は大きく息をついて椅子に座り込んだ。
「最近のエリザベート様は特に勤勉でいらっしゃいますね。覚えもお早くていらっしゃるし、わたくしも鼻が高いというものですわ」
にこにこと上機嫌で私の出来を褒めてくれる。
彼女はクォーツァイト侯爵家の夫人である。私の母カタリナと同い年で、ともに王立学校で学んだ仲。つまり、家族ぐるみのお付き合いがあり、そのよしみで娘の私の行儀作法の教師を務めてくれている。
「カタリナ様似の美貌にこれだけの所作が加われば、もう王子殿下の妃はエリザベート様に決まったようなものですわね」
アルフレッドにもエリザベート様のような方がいらっしゃれば、と至極残念そうに続ける。
王子殿下も夫人の息子であるアルフレッドも、どちらも『花と希望のアムネジア』の攻略対象である。
ここグランツェリオール王国は、古くから続く王制をとる国。
現在のアクロアイト王家には何人かの子息がいるが、代々7歳で婚約者を定める。エリザベートの一つ上であるアレクサンダーも、来年には婚約者を決める運びとなっていた。
その時に選ばれるのは、8割の確率で私である。
全てのルートでお邪魔虫を務めるエリザベートは、王家に近しい攻略対象のルートでは必ず第3王子アレクサンダーの婚約者として現れることになる。
何せ我がゴーシェナイト家は5代前から世襲職ではない法相を務める家。王城での発言力も増し、かつこの地位となれば、複数ある公爵家の中でも我が家を選ぶのはもはや自明なのである。
アルフレッドはクォーツァイト侯爵家の長男だ。
代々優れた頭脳を持ち、文官として勤めているクォーツァイト家は、他の公爵家と宰相の座を争っている。他のルートではお役立ち天才キャラか取り込みの難しい冷静な人柄として描かれる彼だが、本人のルートでは執着心の強さを見せ、主人公の叱咤激励のもと公爵家の子息を蹴落として宰相の座まで登りつめていく。
私がアレキサンダー王子の婚約者となった場合、13歳で王立学校に入学するまで、私は攻略対象のうち5人と一緒に、幼なじみとして過ごすことになるのだ。
ああ、何が正解なのだろう。誰を選んでもハッピーエンドのその先は死別や裏切りが待ち受けているし、かといって誰とも仲良くせずにいれば恐らく断罪イベントの発生確率が上がる。
幼なじみたちを突き放すのは本意ではないけれど――と私が悶々としていると、控えめな声がかけられた。
「あの、クォーツァイト侯爵夫人、エリザベート様。ゴーシェナイト公爵夫人が、サロンで一緒にお茶をしましょうと……」
声の主は1つ下の弟である。
茶褐色の柔らかい髪の下で、怯えたように大きな琥珀の目が揺れている。
兄2人は父親に似た黒い髪の持ち主で、私だけが母からプラチナブロンドを譲り受けた。誰にも似ていない彼は、私の義弟であるエドガー・ライブラ・フォン・ゴーシェナイトだ。
ゴーシェナイト公爵家の遠戚にあたる子爵家が高齢になってからもうけた子で、後見の問題もあり、ひと月前に養子としてやってきた。
生来の人見知りな性格があるものの、4歳にしてこれだけしっかり話せるところからしても将来有望だろう。
そして、彼もゲームの攻略対象の一人。
他の誰を遠ざけようと、彼だけは邪険にするわけにはいかない。前世の弟の顔がちらつく。小憎たらしいところもあるが可愛い弟だった。私は弟という生き物にとことん弱いのである。
◆
「エド、ありがとう。誘ったのはあなたもよ。こちらへいらっしゃいな」
招かれたサロンで優雅に腰かけていた母がエドガーに声を掛ける。
まだ公爵家の暮らしに慣れずそっと退出しようとしていた弟は、少し泣きそうな顔をした後、入り口近くの椅子におずおずと腰を下ろした。
可哀想なエドガ―。こうなればご夫人方のお茶会は長い。
私はエドガーの隣に座り、近くのケーキスタンドを取り寄せる。
「あなたはどれが好き?」
「えっ」
驚いたように弟が私の顔を見上げる。
それににっこりと笑い返し、耳元でそっと囁く。
「お母様たちのおしゃべりは長いわ。それにどうせあなたを自慢したいだけだし」
社交に長けた夫人たちのお茶会はなかなか終わらない。
今回は特に、新たに我が家に加わった末子の儚げな容貌が琴線に触れたと見えて、母親たちはうきうきと私たちに着せる服から社交界デビューの算段までを話し合っている。仲良し保護者会は夕方まで続くことだろう。
「何がいいかしら。カヌレ? クッキー? マドレーヌ? 食べたいものはみんな食べていいのよ」
「エリザベート様、そんな」
焦った様子のエドガーに私は少し怖い顔をして見せる。
「エドガー」
怒られると思ってか体を固くするエドガーの口に、私は焼き菓子を突っ込んだ。
「もぐ」
「エド、弟が姉をそんな風に呼ぶものじゃないわ。ほら、何て言うのかしら?」
慌てて菓子を飲み込んだエドガーが、では姉上様、とそっと口に出す。
「まだ固いわよ。もうちょっと砕けられない?」
「そんな、恐れ多いです」
首を振るも、やがて私の視線に根負けしたようにうつむいてつぶやいた。
「あ、姉上」
「それでいいわ! 今後もちゃんとそう呼んでちょうだいね。さあ食べましょう」
菓子を盛った皿を渡すと、慌てるエドガ―の向こうに母たちの微笑ましげなささやきが聞こえた。
「リジーもお姉さんになったのね……」
「天使のようなやりとりですわ……ああ、アルも連れて来ればよかった」
◆
エリザベートは、エドガーの事も別段気にかけてはいなかったようだ。
なんてもったいない、姉に甘える弟のかわいさを知らないなんて、と憤った私は、その日以降レッスンの合間を縫って弟に構うようにしていた。
恐らく子爵家で身分の差を叩き込まれてきたのだろう、最初は私に対して委縮しがちだったエドガーも、この数ヶ月で朗らかな笑顔を見せるようになった。
一緒に厨房までお菓子をねだりに行ったり、ダンスのレッスンを受けたり、兄たちの邪魔をしに行ったり、およそ子供の持てる天真爛漫さを2人で存分に発揮した。
子供は子供らしくしているのが一番なのである。この先、公爵家の末弟として様々な局面に立たされるであろう弟の事を思うと、それなりの子供時代はすごさせてやりたかった。
そう思っていたのだが。
何度目かの次兄への特攻を試み、弟妹に甘い彼の小言でもないような小言を聞き流して解放された後。
兄が私を引き寄せて、小さな声で尋ねてきた。
「なあ、リジー。最近エドに変わった事はないかい?」
「変わった事って?」
寝耳に水だった私の顔が面白かったらしく、小さく笑ってから教えてくれる。
「この間僕の所へ来てね。勉強を教えてほしいって言うんだ」
「勉強なら先生がついているでしょう」
「そう思って理由を聞いたんだけど、どうやらあの年にしてはかなり進んでいるらしくて。ずいぶんと意欲的だから、何かあったのかなと思ったんだけど」
リジーが知らないようじゃただの気まぐれだったのかな、と呟いて解放された。
エドガーの学習は既に私と同じくらいの進度にあるらしい。
いきなりどうしたのかしら。でも弟には負けたくないな。
その時は大したことも考えず、記憶の片隅にも残らなかった。
それから数日たって、家に帰った長兄を出迎えた時、私は既視感を覚えた。
馬上に私を抱きあげた兄が、下で目を輝かせているエドガーを見ながらこう聞くのである。
「リズ、最近エドに何かあったか?」
「何かってなあに?」
兄曰く、エドガ―に剣の稽古をつけてほしいと繰り返し頼まれているんだとか。
知らないと答えると、首をひねりながらそうかと下ろしてくれた。代わりに抱き上げられたエドガーは無邪気な笑顔を見せている。
長兄は既に成人し、武官候補として城に上がっている。剣の腕もなかなかなものだと聞いた。
次兄はまだ成人していないが、幼い頃から良い成績を修め、文官として上がることを打診されている。
それぞれ武芸や学問で目標とするに適した相手ではあるが、納得がいかない。
ずっと一緒にいる私が何も知らない事も癪にさわるし、何より私には何も聞きに来ていないのである。
姉としてのプライドが許さない。
「エド! 」
思ったよりも語気が強くなってしまった。少し驚いたような表情を見せるエドガーに、勢いを殺せないまま詰め寄ってしまう。
「私に隠れて何かやってるでしょう! 姉様はお見通しなんだからね!」
「姉上、隠れてなんか」
怯ませてしまうと思いきや、エドガーは少し困った顔をしただけだった。そのまま、横で馬を下りた長兄を見上げる。
「兄様、姉上にいいましたね」
「悪かったって。リズは知ってるもんだと思ってたからさ。エド、エディ、そんな顔するなって」
兄が宥めるのも珍しい。
「ついでに俺にも教えてくれよ。なんだって急に稽古だなんだって言い出したんだ? オーウェンにも勉強教えてくれって言ったんだってな。何か困った事でもあるのか」
「……秘密にするつもりはなくて、ただ実力も伴ってないうちから言いたくなかっただけなんです。僕は姉上にすくいあげてもらったから、姉上を守れる男になりたくて」
渋々といった体で話してくれた内容に、私は二の句が継げなかった。
なんて乙女ゲームっぽい、いえここは乙女ゲームの世界なのだが。
出会ってまだ数ヶ月、まだまだ幼い4歳の弟から出てきた言葉とは思えない。これは前世で言う、幼稚園児の「先生と結婚する―!」のような類のものなのだろうけど。
「何とか言ってやれよ、お姫様」
長兄は年の離れた弟妹の可愛らしい愛情表現に、にやにやと返事を促してくる。
それはそうなのだが、そうではなくって。
「エドは私の弟よ!その分際で生意気だわ!」
私は単に、弟が自分を超えて先に行ってしまいそうなのが癪だったのである。
兄もエドガーも、驚いたような顔で私を見ている。
前世でも今世でも、私はかわいい弟が大好きだし、姉として全力で庇護したいと思っている。前回はそれが叶わなかった分、今度こそ。
「あなたが頼るべきは私よ。背伸びなんかしないで。弟を守るのは姉の責務だわ」
きっぱりと言い切って、ふんと胸を張る。
あっけにとられた後、エドガーは柔らかく笑って答えた。
「ありがとう、姉上」
きゅんとした。
やはり弟はかわいい。仲直りにエドガーを抱きしめて振り回す私に、兄が「違うと思うんだけどなあ」と呟いたのを私は知る由もなかった。
その内容は多岐に渡る。読み書きや計算に始まり、地学に歴史といった国にまつわる一般知識からダンスや礼儀作法といった貴族の教養まで、様々な分野のレッスンがあった。
公爵令嬢は王家や他国に嫁ぐこともある身分。生半可な出来では務まらない。
ずっと勉強がしたかった私は、砂が水を吸うように与えられた知識を飲み込んでいった。
どんなに真剣にやっても、医者や自分の体に水を差されることがない。
なんて楽しいのだろう。時間を忘れて学習に明け暮れる毎日だった。
これまでのエリザベートとは学習意欲がガラッと変わる様に驚かれると思いきや、そこは成長期の子供のこと、公爵家の自覚の芽生えだなんだと好意的に受け止められていた。
「それでは少し休憩にいたしましょう」
行儀作法の教師の一声で、私は大きく息をついて椅子に座り込んだ。
「最近のエリザベート様は特に勤勉でいらっしゃいますね。覚えもお早くていらっしゃるし、わたくしも鼻が高いというものですわ」
にこにこと上機嫌で私の出来を褒めてくれる。
彼女はクォーツァイト侯爵家の夫人である。私の母カタリナと同い年で、ともに王立学校で学んだ仲。つまり、家族ぐるみのお付き合いがあり、そのよしみで娘の私の行儀作法の教師を務めてくれている。
「カタリナ様似の美貌にこれだけの所作が加われば、もう王子殿下の妃はエリザベート様に決まったようなものですわね」
アルフレッドにもエリザベート様のような方がいらっしゃれば、と至極残念そうに続ける。
王子殿下も夫人の息子であるアルフレッドも、どちらも『花と希望のアムネジア』の攻略対象である。
ここグランツェリオール王国は、古くから続く王制をとる国。
現在のアクロアイト王家には何人かの子息がいるが、代々7歳で婚約者を定める。エリザベートの一つ上であるアレクサンダーも、来年には婚約者を決める運びとなっていた。
その時に選ばれるのは、8割の確率で私である。
全てのルートでお邪魔虫を務めるエリザベートは、王家に近しい攻略対象のルートでは必ず第3王子アレクサンダーの婚約者として現れることになる。
何せ我がゴーシェナイト家は5代前から世襲職ではない法相を務める家。王城での発言力も増し、かつこの地位となれば、複数ある公爵家の中でも我が家を選ぶのはもはや自明なのである。
アルフレッドはクォーツァイト侯爵家の長男だ。
代々優れた頭脳を持ち、文官として勤めているクォーツァイト家は、他の公爵家と宰相の座を争っている。他のルートではお役立ち天才キャラか取り込みの難しい冷静な人柄として描かれる彼だが、本人のルートでは執着心の強さを見せ、主人公の叱咤激励のもと公爵家の子息を蹴落として宰相の座まで登りつめていく。
私がアレキサンダー王子の婚約者となった場合、13歳で王立学校に入学するまで、私は攻略対象のうち5人と一緒に、幼なじみとして過ごすことになるのだ。
ああ、何が正解なのだろう。誰を選んでもハッピーエンドのその先は死別や裏切りが待ち受けているし、かといって誰とも仲良くせずにいれば恐らく断罪イベントの発生確率が上がる。
幼なじみたちを突き放すのは本意ではないけれど――と私が悶々としていると、控えめな声がかけられた。
「あの、クォーツァイト侯爵夫人、エリザベート様。ゴーシェナイト公爵夫人が、サロンで一緒にお茶をしましょうと……」
声の主は1つ下の弟である。
茶褐色の柔らかい髪の下で、怯えたように大きな琥珀の目が揺れている。
兄2人は父親に似た黒い髪の持ち主で、私だけが母からプラチナブロンドを譲り受けた。誰にも似ていない彼は、私の義弟であるエドガー・ライブラ・フォン・ゴーシェナイトだ。
ゴーシェナイト公爵家の遠戚にあたる子爵家が高齢になってからもうけた子で、後見の問題もあり、ひと月前に養子としてやってきた。
生来の人見知りな性格があるものの、4歳にしてこれだけしっかり話せるところからしても将来有望だろう。
そして、彼もゲームの攻略対象の一人。
他の誰を遠ざけようと、彼だけは邪険にするわけにはいかない。前世の弟の顔がちらつく。小憎たらしいところもあるが可愛い弟だった。私は弟という生き物にとことん弱いのである。
◆
「エド、ありがとう。誘ったのはあなたもよ。こちらへいらっしゃいな」
招かれたサロンで優雅に腰かけていた母がエドガーに声を掛ける。
まだ公爵家の暮らしに慣れずそっと退出しようとしていた弟は、少し泣きそうな顔をした後、入り口近くの椅子におずおずと腰を下ろした。
可哀想なエドガ―。こうなればご夫人方のお茶会は長い。
私はエドガーの隣に座り、近くのケーキスタンドを取り寄せる。
「あなたはどれが好き?」
「えっ」
驚いたように弟が私の顔を見上げる。
それににっこりと笑い返し、耳元でそっと囁く。
「お母様たちのおしゃべりは長いわ。それにどうせあなたを自慢したいだけだし」
社交に長けた夫人たちのお茶会はなかなか終わらない。
今回は特に、新たに我が家に加わった末子の儚げな容貌が琴線に触れたと見えて、母親たちはうきうきと私たちに着せる服から社交界デビューの算段までを話し合っている。仲良し保護者会は夕方まで続くことだろう。
「何がいいかしら。カヌレ? クッキー? マドレーヌ? 食べたいものはみんな食べていいのよ」
「エリザベート様、そんな」
焦った様子のエドガーに私は少し怖い顔をして見せる。
「エドガー」
怒られると思ってか体を固くするエドガーの口に、私は焼き菓子を突っ込んだ。
「もぐ」
「エド、弟が姉をそんな風に呼ぶものじゃないわ。ほら、何て言うのかしら?」
慌てて菓子を飲み込んだエドガーが、では姉上様、とそっと口に出す。
「まだ固いわよ。もうちょっと砕けられない?」
「そんな、恐れ多いです」
首を振るも、やがて私の視線に根負けしたようにうつむいてつぶやいた。
「あ、姉上」
「それでいいわ! 今後もちゃんとそう呼んでちょうだいね。さあ食べましょう」
菓子を盛った皿を渡すと、慌てるエドガ―の向こうに母たちの微笑ましげなささやきが聞こえた。
「リジーもお姉さんになったのね……」
「天使のようなやりとりですわ……ああ、アルも連れて来ればよかった」
◆
エリザベートは、エドガーの事も別段気にかけてはいなかったようだ。
なんてもったいない、姉に甘える弟のかわいさを知らないなんて、と憤った私は、その日以降レッスンの合間を縫って弟に構うようにしていた。
恐らく子爵家で身分の差を叩き込まれてきたのだろう、最初は私に対して委縮しがちだったエドガーも、この数ヶ月で朗らかな笑顔を見せるようになった。
一緒に厨房までお菓子をねだりに行ったり、ダンスのレッスンを受けたり、兄たちの邪魔をしに行ったり、およそ子供の持てる天真爛漫さを2人で存分に発揮した。
子供は子供らしくしているのが一番なのである。この先、公爵家の末弟として様々な局面に立たされるであろう弟の事を思うと、それなりの子供時代はすごさせてやりたかった。
そう思っていたのだが。
何度目かの次兄への特攻を試み、弟妹に甘い彼の小言でもないような小言を聞き流して解放された後。
兄が私を引き寄せて、小さな声で尋ねてきた。
「なあ、リジー。最近エドに変わった事はないかい?」
「変わった事って?」
寝耳に水だった私の顔が面白かったらしく、小さく笑ってから教えてくれる。
「この間僕の所へ来てね。勉強を教えてほしいって言うんだ」
「勉強なら先生がついているでしょう」
「そう思って理由を聞いたんだけど、どうやらあの年にしてはかなり進んでいるらしくて。ずいぶんと意欲的だから、何かあったのかなと思ったんだけど」
リジーが知らないようじゃただの気まぐれだったのかな、と呟いて解放された。
エドガーの学習は既に私と同じくらいの進度にあるらしい。
いきなりどうしたのかしら。でも弟には負けたくないな。
その時は大したことも考えず、記憶の片隅にも残らなかった。
それから数日たって、家に帰った長兄を出迎えた時、私は既視感を覚えた。
馬上に私を抱きあげた兄が、下で目を輝かせているエドガーを見ながらこう聞くのである。
「リズ、最近エドに何かあったか?」
「何かってなあに?」
兄曰く、エドガ―に剣の稽古をつけてほしいと繰り返し頼まれているんだとか。
知らないと答えると、首をひねりながらそうかと下ろしてくれた。代わりに抱き上げられたエドガーは無邪気な笑顔を見せている。
長兄は既に成人し、武官候補として城に上がっている。剣の腕もなかなかなものだと聞いた。
次兄はまだ成人していないが、幼い頃から良い成績を修め、文官として上がることを打診されている。
それぞれ武芸や学問で目標とするに適した相手ではあるが、納得がいかない。
ずっと一緒にいる私が何も知らない事も癪にさわるし、何より私には何も聞きに来ていないのである。
姉としてのプライドが許さない。
「エド! 」
思ったよりも語気が強くなってしまった。少し驚いたような表情を見せるエドガーに、勢いを殺せないまま詰め寄ってしまう。
「私に隠れて何かやってるでしょう! 姉様はお見通しなんだからね!」
「姉上、隠れてなんか」
怯ませてしまうと思いきや、エドガーは少し困った顔をしただけだった。そのまま、横で馬を下りた長兄を見上げる。
「兄様、姉上にいいましたね」
「悪かったって。リズは知ってるもんだと思ってたからさ。エド、エディ、そんな顔するなって」
兄が宥めるのも珍しい。
「ついでに俺にも教えてくれよ。なんだって急に稽古だなんだって言い出したんだ? オーウェンにも勉強教えてくれって言ったんだってな。何か困った事でもあるのか」
「……秘密にするつもりはなくて、ただ実力も伴ってないうちから言いたくなかっただけなんです。僕は姉上にすくいあげてもらったから、姉上を守れる男になりたくて」
渋々といった体で話してくれた内容に、私は二の句が継げなかった。
なんて乙女ゲームっぽい、いえここは乙女ゲームの世界なのだが。
出会ってまだ数ヶ月、まだまだ幼い4歳の弟から出てきた言葉とは思えない。これは前世で言う、幼稚園児の「先生と結婚する―!」のような類のものなのだろうけど。
「何とか言ってやれよ、お姫様」
長兄は年の離れた弟妹の可愛らしい愛情表現に、にやにやと返事を促してくる。
それはそうなのだが、そうではなくって。
「エドは私の弟よ!その分際で生意気だわ!」
私は単に、弟が自分を超えて先に行ってしまいそうなのが癪だったのである。
兄もエドガーも、驚いたような顔で私を見ている。
前世でも今世でも、私はかわいい弟が大好きだし、姉として全力で庇護したいと思っている。前回はそれが叶わなかった分、今度こそ。
「あなたが頼るべきは私よ。背伸びなんかしないで。弟を守るのは姉の責務だわ」
きっぱりと言い切って、ふんと胸を張る。
あっけにとられた後、エドガーは柔らかく笑って答えた。
「ありがとう、姉上」
きゅんとした。
やはり弟はかわいい。仲直りにエドガーを抱きしめて振り回す私に、兄が「違うと思うんだけどなあ」と呟いたのを私は知る由もなかった。
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