公爵令嬢のため息

青架

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序章

転生に気づいた悪役令嬢の話

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 私の5歳の誕生日。
 その日は突然訪れた。
 ブラックアウトする視界の中で、私は声にならないつぶやきを漏らしていた。

 「――ああ、どうしてこんなことに」

 私の名前はエリザベート・サフィニア・フォン・ゴーシェナイト。
 本日5歳の誕生日を迎えたばかり。
 そして――大人気の転生乙女ゲーム『花と希望ひかりのアムネジア』に登場する悪役令嬢である。

 誕生日を祝う宴で主役が突然卒倒するという、とんでもない大騒動に揺れる屋敷の一角。
 広々とした自室で、ベッドに横たわったまま小さく息をついた。

 「なんてことになってしまったのかしら……」

 突然よみがえってきた「別の人間の一生」の情報量に、5歳児の脳は処理落ちを起こしてしまったのである。

 「お父様たちになんと説明したものか」

 起き上がって部屋の中を落ち着きなく歩く。
 言い訳をあれやこれやと考えながら、ついでに自分の「前世」について思いを巡らせた。



 前世の私は日本を生きる女子学生だった。身分上は。
 というのも、学校にはほとんど通えていなかったのである。先天性の持病を臓器に抱え、入退院を繰り返す日々だった。
 そんな中、ある日祖父母がプレゼントしてくれたポータブル型のゲーム機によって、私は一気にゲームの世界にのめり込んだ。アクションや謎解き、リズムに合わせてボタンを押すものなど、様々なゲームを楽しみ、日ごろの退屈を紛らわせていたものだ。
  『花と希望ひかりのアムネジア』はそのうちの一つで、3つ離れた弟がくれたプレゼントだった。

 学校生活や異性に縁のなかった当時の私にとって、乙女ゲームはなんだか気恥ずかしく、やってみようと思った事さえなかった類のものだった。
 しかし、せっかくのお年玉で弟がくれたプレゼントである。クラスの女の子に女性の好むものをわざわざ聞いて選んでくれたその気持ちも嬉しくて、私がプレイした最初で最後の乙女ゲームとなった。

 やってみるとこれがなかなか面白い。中世から近世の欧州をミックスしたような世界を舞台に、記憶を失った主人公が自らの記憶を取り戻すために、ヒントを求めて様々な攻略対象と仲を深める作品だった。
 複数人と恋に落ちる乙女ゲームの醍醐味がいまいちわかっていない私だったが、そんな初心者でも入り込みやすい設定ですぐに夢中になれた。

 加えて攻略人数や隠されている謎も多く、分岐やエンドも多数存在するかなりのボリューム。
 やっとたどり着いたトゥルーエンドでは、主人公自身がこの世界の住人ではないと気付き、この世界に留まるか元の世界へ戻るかの選択を迫られる。事故で飛ばした記憶と意識と共に病院のベッドで目覚めるラストでは涙を流したものだった、と。



 思い返せば思い返すほど、今いるこの世界と『花と希望ひかりのアムネジア』が同一であることを思い知らされる。
 攻略対象のうち幾人かはこの5年足らずの記憶のうちにも覚えがあるし、鏡に映った私の顔は、ゲームの中で最悪の悪役令嬢、エリザベート・ゴーシェナイトそのものなのである。

 作品に出てくる悪役は何人かいたが、その内最も小物感あふれる令嬢がエリザベートだった。
 公爵令嬢の彼女が仕掛けてくる嫌がらせは、それ自体はかわいらしいものだが身分ゆえに周囲の忖度そんたくが恐ろしく、結果として主人公を幾度となくバッドエンドに追い込んでいる。

「主人公と張り合うだけあって、黙っていれば綺麗な顔をしているのにね」

 独りごちて、鏡の中の自分を見つめる。
 つややかなプラチナブロンドはゆったりと波打ち、長いまつ毛に縁取られた瞳は緑柱石と見まごうばかり。白磁の肌に薔薇の花が綻んだような唇。華奢な体を包む豪奢な衣装はしみ一つなく整えられている。
 誰が見ても完璧な美少女がそこにいた。
 その中に、寿命を遂げられなかった前世の面影は微塵もない。

 前世の私は病により20を迎える前に命を落とした。これはそんな私を憐れんだ神様がくれたボーナスステージのようなものなのだろうか。いやでも転生先が悪役令嬢だなんて――と私が改めてため息を吐くと同時に、控えめなノックが聞こえた。

「お嬢様、失礼いたします」

 私付きのメイドであるソフィアの声である。
 まずい、非常にまずい。何しろ私は、先程の失態についてまだ何も言い訳を思いついていない。
 うっかり顔を合わせてボロを出すわけにはいかないのだ。
 幸いにも我が家のメイドは公爵家勤務とあって、ノックのあとすぐにドアを開けるような無作法な真似はしない。私は急いで、音を立てないようシーツの中に潜り込んだ。

 「まだ目覚めていらっしゃらないのね」

 水差しや軽食などを手に部屋へ入ってきたソフィアはそう呟き、布団を綺麗にかけ直して部屋を出ていった。
 助かった、と安直には言えないのが我が家である。

 何せ、エリザベートは兄弟の中で唯一の女性。
 男児の続く中、待ちに待った女児誕生ということで、私が生まれた時ゴーシェナイト公爵家はそれはそれは大喜びだったらしい。一家総出で。
 誕生祝いの席で突然倒れた愛娘がまだ起きてこないとなれば、父であるゴーシェナイト公爵がどのように騒ぎ立てることか、考えたくもない。
 私は覚悟を決めて身を起こしたのだった。



 「失礼いたします」

 父の執務室の重厚な扉を上品にノックし、返事を待って執事が開く。
 立派な執務台の奥に座る父の顔は、案の定険しかった。
   
 「リジー」

 父の声が私の愛称を呼ぶ。声は深く優しかった。

 「大丈夫かい。ああ、私と母様がどれだけ心配したか」
 「申し訳ございません」

 素直に頭を下げる。
 娘を溺愛する父の気持ちは本当だ。例え娘が本物でなくとも。

 「リジーは、あまりにも素敵なお祝いを頂いたので感激してしまったのですわ。今はほら――」

 このとおり、と言いかけて目の前の父の挙動に気づく。
 まだ壮年である父は、呆けたような表情をしていた。
 まずい、何かしでかしただろうか。感激で倒れた設定はさすがに苦しかったか。
 やにわに父が私を抱き上げ眉尻を下げる。

 「リジー、どうしたんだ。今までそんな大人びた言葉遣いをしたことなどなかっただろう。やはりどこか頭を」

 慌てふためく父を老齢の執事がなだめる。
 早速やってしまった。人間、後ろ暗いところのある場合には舌がよく回る。
 今の私は5歳。5歳ごさい、と自分に言い聞かせてもう一度口を開いた。

 「もう、お父様ったら。わたくしなりのせーいでございますわ!」

 ぷん、と可愛らしくむくれて見せた。
 横から執事のハウエルが助け船を出してくれる。

 「お嬢様は最近、お話のレッスンを始められておりましたから。5つになられたことですし、旦那様に成果を見て頂きたかったのでしょう」

 美貌の愛娘のふくれっ面と親孝行は厳格な父に威力抜群だった。
 途端に相好を崩してぎゅっと私を抱きしめる父。
 その後は心配性を炸裂させた公爵の命令で、私は自分で歩くことも許されぬまま、ハウエルに抱き上げられて自室へ連れ戻された。まだ日も沈んでいないというのに、強制就寝と相成ったのである。



 「――ふう、とりあえず一安心ね」

 自室で一人になり、やっと人心地ついた。
 自分の置かれた状況を今一度噛みしめる。

 間違いなくここはゲームの世界。そして私は公爵令嬢。
 ああなんて柄じゃないんだろう。
 あのゲームはやり込み要素が強いゆえに、悪役たちは必ずしもバッドエンドを迎えてはいない。私の生活や命が危険に晒されるルートはおおよそ半分くらい。
 けれど――と私はまたため息をこぼした。

 正直、どのルートに行こうとハッピーエンドとは思えなかったのである。
 乙女ゲームの本懐は目当ての攻略対象と結ばれること。つまりそこにたどり着けば、乙女ゲームとしてはハッピーかつトゥルーエンドである。

 しかし、この作品は乙女ゲームの要素をもったRPGとでも言おうか。
 例えば騎士と結ばれるルートを選んだ後に武官のルートをやり直すとしよう。
 そこでは当然、主人公ではない女性が騎士と結ばれているのだが、武官のルートで時系列が前後すれば、騎士が戦で死んでしまい、妻が未亡人となる未来が描かれていたりするわけである。

 ゲームと違って、ルートが終わればそこでゲームも終了、というわけにはいかない。この世界が現実となった今、その後も私たちは生きていくのだから。
 それなのに誰を選んでもなかなかに苦しいルートが待ち受けていることはすでにわかっているのだ。
 私は思わずつぶやかずにはいられない。

 「これなんて無理ゲー……?気が遠くなりそう」

 いやいや、悲観してばかりもいられない。
 この世界において、ゴーシェナイト公爵家の令嬢に生まれたことはかなりのラッキーだ。
 攻略対象の9割とはこの先自然に知り合う事ができるし、自分の自由になることも少なくない。
 この先、婚約を結ぶ相手によっては護衛だってしっかりと付くし――と利点を挙げていく。
 
 そこでふと思い出す。
 なぜエリザベートが悪役令嬢なのかと、プレイ当時、私はずっと疑問を感じていた。

 主人公が後ろ盾にできるのは、各ルートの恋人を除きせいぜいが伯爵家。公爵家の比ではなく、彼女の盤石な立ち位置を揺るがしていたのはむしろ、主人公に対する彼女自身の行動だった。
 なぜ脅威にもならないような小娘のためにそんなことをしなければならないのかと。
 プレイヤーたちにはもっぱら、女の嫉妬の体現者やわがまま放題のお嬢様の具現として捉えられていたが、いまエリザベートになり彼女の5年間を見てきて分かる。

 エリザベートはとても素直なのである。
 甘やかされているのは事実だし、思うままに振る舞う気は否めないが、彼女は自分が教えられてきたことを愚直にこなしていた。

 貴族の世界は政争と陰謀渦巻く狐狸の戦場。
 少しでも隙を見せれば食われるし、相手の隙には付け込まなくてはならない。
 まして女の世界は苛烈。それを男に悟らせぬよう、その中で采配を振るうことが高位の子女たちには要求される。
 そんな世界で生きていく娘には、そのいろはがしっかりと叩き込まれていた。同時に、もてぬ者への施しの精神も。
 
 主人公への彼女の対応は、庇護であり指導だったのである。
 貴族の礼儀作法、距離感、頭の回し方、すべてが備わっていない主人公は何かと目立っていた。王家を除く国内最高位の子女として、その点にエリザベートが気を回すのは当然のことだったし、教えられたとおりに主人公に教えた。時に学園の教室で、彼女のお茶会で、舞踏会でも。

 面倒見がよすぎるほど主人公の世話を焼き、忠告し、指導をしていたのだが、そんなことなど知らない主人公の目にはいびりとしか映らない。加えてエリザベートの取り巻きの令嬢たちは、自身の嫉妬心もあわせて、彼女の意図を汲んだつもりでいじめを行っていたのだ。

 「断罪イベントも発生するわけだわ」

 ため息をつく。
 エリザベートはただのお人好しだった。しかしそれにしたってやり方がまずい。これはただの自業自得だろう。二の舞は絶対に避けなければ。

 彼女のお人好しな性根はこの魂に染みついている。これはもう変えられるものではないが、私が行動指針を決める以上、あんな不器用なことはしない。これでも20年近くの人生経験は積んでいるのだ。
 誰を相手取っても、むやみに敵に回したりはしないと固く決めた。
 私の安泰な人生のために。

 「――まあ、貴族社会でどこまで通用するのかはわからないけれど」

 5歳の公爵令嬢と現代日本の一般庶民の価値観の差を埋めるには、勉強を重ねるしかない。
 前世ではあまりしたことのない、机に向かった勉強である。
 皮肉にもちょっとした嬉しさを抱えながら、明日からの生活に想いを馳せて、私は眠りについた。
 
 
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