僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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3.名前の無い関係に

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 数メートル先の横顔が、濃い苦笑を浮かべていた。

 俺は何とも言えない既視感に似たものを覚え、気が付けばスッと立ち上がって冬季くんのそばへ歩み寄っていた。


「悪気は無い、ウザイと言われる……」
「……りっくん?」


 俺を気遣う優しい言葉と、不愉快な気持ちを思い起こさせる言葉の両方が、いっぺんに胸に突き刺さる。

 既視感どころか、俺は過去に同じニュアンスの言葉を何度も吐かれているじゃないか。

 実家のことや俺自身のことを、さながら聞き込みする刑事ばりに細部まで知ろうとされるのは気分が悪かった。

 それなら俺にも当然その権利はあるだろうと、彼女以上に問い返したら「ちょっと怖い」ときた。

 訳が分からない。

 俺に悪気は一切無かった。どこで生まれてどんな幼少時代を過ごしたか、過去に遡って一から十まで記憶を語らせるのはそんなにいけないことだったのだろうか。

 実習で忙しく連絡を返せないでいると不満を訴えてくるのに、俺と会っていない間何をしていたのか聞くと、「成宮君には関係ないでしょ」と素っ気ない。

 それもそうかと理解を示してやれば、「私のことなんかどうでもいいのね」と逆ギレされる。

 理不尽極まりない。

 交際した女性らすべてに言えることは、彼女たちへの接し方は難しく、精神状態が不安定すぎる。これに尽きる。

 まさか冬季くんもそうだなんて、とても信じられないが……。


「ちょっ、りっくん? どうしたの?」
「いえ……なんというか、驚いたんです。俺もよくそう言われていたので」
「誰に?」
「女性にですよ」
「えっ!? あぁ……! そういう事か!」
「…………っ?」


 交際相手から疎ましがられる経験など、そうそう無いことだと思う。

 けれど冬季くんは、深く詮索し合わない俺たちの間に初めての共通点を見出し、何かをひらめいた。

 長過ぎる袖を捲り、短い距離をパタパタと駆けて俺のそばに寄ってくると、一週間前より格段に光の宿った瞳を爛々と輝かせた。


「りっくん、僕たちは自分で自分の首を締めちゃってるんだよ!」
「……というと?」
「僕が自立して出てくまでに、ダメなとこを一緒に直してこ! りっくんがもう深酒しなくていいように!」
「…………??」


 自分で自分の首を締めている、ダメなところを一緒に直していこう、俺が深酒しなくていいように……と言われても、俺には何の事を言っているのかさっぱり分からなかった。

 父や実家についてが日々頭をよぎるせいで深酒してしまうというのが真相なのだが、俺の事情を知らない冬季くんは少々勘違いしていそうだ。

 冬季くんの真意を計れぬまま、ひとまずその日はいつも通り風呂を済ませた後、玄関先で冬季くんに見送られながら医院に戻って床についた。

 明日はまだノープランなのだが、九時に迎えに行く旨を伝えてあるので早く寝なければと毛布を手繰り寄せる。


「痛てて……」


 身動ぎした拍子に、つま先側にある木製の棚に踵をぶつけてしまった。これがまた地味に痛い。


「早いとこパンフレット頂かないとな」


 膝を曲げてソファで眠るのも慣れてきたけれど、どうしても体が痛くなるので業者のツテでソファベッドの購入を考えている。多少院長室は狭くなるだろうが、問題は無い。

 それに、こういう時に何だが院長室に冷暖房を完備していて良かったとつくづく思った。ここをケチっても数十万の差だったので、最新のものを設置して正解だった。

 十月後半ともなると、夜は冷える。部屋が温もると毛布一枚で充分なのが素晴らしい。夏は夏で快適であるし。


「それにしても……あれどういう意味だったのかなぁ……」


 天井のやわらかなオレンジの明かりを見つめて浮かぶのは、先程の冬季くんのハツラツとした表情。そしてセリフ達。

 俺たちに思わぬ共通点があったのは嬉しいが、内容はまったくもっていただけない。

 心臓がキリキリと痛むほど、俺にとっては苦い思い出の数々を冬季くんも経験していたかもしれないなんて、偶然にしては出来すぎている。

 冬季くんと俺は、つまりは似たような性分であるということなのだろうか。


「明日は……少し踏み込んで聞いてみようかな」


 呟いて、じわりと目を閉じる。

 冬季くんの事情を知ることが俺への対価になる、と言ったのは、彼がずっと遠慮し続けるから等価交換の案を出したまで。

 素性を明かせない俺と同じく、冬季くんも自身の身に何があったのかを話したがらないので、無闇やたらと詮索すべきでないのだろうが……。

 だが俺は、彼にとても興味がある。

 心密かに冬季くんのことを年の離れた友人だと思っていて、〝いずれ出て行く〟と言われた時わずかに残念な気持ちが湧いていた。

 自死願望から一転、自立のために働く場所を探すという何とも前向きな発言を嬉しく感じたのは本当だ。

 けれど……どうしてだろう。

 関わりがなくなる可能性を考えると、寂しい。

 出て行かれてしまったら、帰宅した際の「おかえり」が聞けなくなってしまう。

 自分以外の者が口にする食べ物を選ぶ楽しみが、無くなってしまう。

 考え事が減ってしまう。

 医師家系という厄介なバックが邪魔をして、友人らしい友人が出来なかった俺には、年下と言えど冬季くんは貴重な存在になりつつあった。

 出会い方が特殊だったからなのか、冬季くんにはやはり人を惹き付ける何かがあるのか、それはまだ分からない。

 確かなのは、冬季くんが気にしていた言動を俺は少しも不快に感じなかったということ。

 初めてだった。

 疑われたくない。自分をよく見せたいと思ったのは──。




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