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3.名前の無い関係に
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しおりを挟む─ 冬季 ─
どうしてここまで親身になってくれるんだろう。
「助けてほしい」と言った僕の言葉を、りっくんは本気で受け取った。僕を〝命の恩人〟だと信じて疑わないりっくんにとっては正当な良心なんだろうけど、身分証も持たない赤の他人の言葉なんか普通なら聞き流してしまうものだよ。
だって、面倒でしょ。厄介だと思うでしょ。
宿無しだから、部屋を貸す。一文無しだから、ポンとお金を渡す。
これには使用期限も返済義務も無いんだって。
僕が自立できるまで、好きなだけここに居ていいんだって。自立のサポートがしたいんだって。
しかもその対価が、〝僕がどんな風に生きてきたかを話すこと〟なんだって。
分からないよ。
そんなの全然、対価にならないじゃん。
「あ……もうすぐ帰ってくる」
気付いたらもう窓の外が暗くて、ベッドサイドの小さなテーブルに置かれたデジタル時計には〝19:25〟と表示されていた。
綺麗に整理整頓された大人の男の家には、三部屋一つ一つに時計がある。壁掛けだったり、デジタルだったり、種類は違うけどそれでいつでも現実を見ることができる。
僕はいそいそと洗面所に行き、歯を磨いて顔を洗った。
帰ってきて部屋中暗かったら怖いかもしれないと、壁伝いにリビングの電気を探し当てて点ける。それから窓辺に向かって、夜だけどカーテンを開いた。
「……残業、かな?」
リビングにあるのは、壁に掛かったシックな丸時計。いま針は七時三十五分を指していた。
日曜なのに仕事があるらしいりっくんは、僕のことが心配だからって本当にお昼に一度帰ってきた。
……ビックリした。
僕が出会った人達は帰ってくると言って帰ってこない嘘つきばかりだったから、ほぼ時間通りに玄関の扉が開いたのがものすごく新鮮に感じた。
『昼と夜は、ちゃんとしたごはんを一緒に食べましょう』
一時間くらいでまた仕事に行ったりっくんから、出がけの玄関先でそう言われた。七時半には帰れると思うけど、残業になったら八時頃になる、とも言われた。
『どんなに遅くても九時を回ることはないから、心配しないでゆっくり眠っていてください』
僕が無意識に不安そうな顔でもしていたのか、しつこいほど律儀な念押しをされた。
りっくんが出て行ったあと、僕はすぐに窓辺に移動した。朝と同じく、駐車場からりっくんの黒い車が発進してくのを見届けるためだ。
三階の窓から車を見送ると、りっくんの上着と同じ匂いのするベッドを借りた。寝室は結構広い。そしてぱっと見で分かるほど清潔だ。
何日も替えないシーツ、ボロボロの毛布、床には飲みかけのペットボトルやお菓子の袋が散乱しているのが当たり前の汚部屋とは大違い。
いつ出没するか分からない変な虫に怯えなくていいなんて、めちゃくちゃ嬉しい。
あまりに綺麗すぎて落ち着かないかと思ったのに、布団に入って数分目を瞑ってたら寝落ちていた。
いい布団と程よい固さのマットレス、隣近所とのプライバシーがしっかり守られている静かな部屋だと、睡眠薬が無くてもこんなに深く眠れるなんて知らなかった。
「りっくん優しいなぁ……。いつか絶対悪い人に騙されちゃいそうで心配だよ。……あっ、……違った」
黒い車がマンションの前を横切る度に、「あっ」と声が出る。ここは一階部分が駐車場になっていて、マンションに車が吸い込まれてくように見えて面白い。
早く帰ってこないかな、と誰かを待ち侘びるのには慣れている。大袈裟じゃなく、何時間でも待ってられる。ただしあんまり待たされ過ぎると、どんどん悪いことしか考えられなくなって、いつもならリスカかODに走っちゃうんだけど……。
りっくんは九時までには帰るって言ってたから、無闇に心がキリキリしない。
「そういや、お金使っても全然怒られなかったな……」
お昼、僕はりっくんから預かったお金で勝手に贅沢をしてしまった。
百円しか使わないと言ったのに、二日くらいまともに食べてなかった僕は自然とおにぎりコーナーの前に行っちゃってたんだ。
並んだ商品のうち、どれが一番安いか、腹持ちがいいかを考えて、梅おにぎりにした。そして食べ終わってから気付いた。〝ヤバイ、怒られる〟って。
何の仕事をしているか知らないけど、お昼に一度帰って来るって言ってたから、汚いまま部屋で過ごすのはダメだと思ってひとまずシャワーを借りた。その間もずっと、おにぎりを買った言い訳を考えていた。
でも見え透いたウソを吐いたら、余計に相手を怒らせることになる。「ウソつき」と暴言を吐かれるのも、手のひらで叩かれるのもイヤだ。
じゃあどうするか。
正直に言うしかない。
そう決めた時、鬼気迫る勢いでりっくんが帰ってきた。嘘を吐こうとした僕なんかのことが、心配だったからって……。
その瞬間、りっくんが食べる用に何気なく買っておいたお弁当の存在を思い出した。
「要らねぇよ」、「人の金で余計なものを買うな」……りっくんも他の人たちと同じことを言うのか、試してみたくなった。
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