二度目の初恋

須藤慎弥

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第3話(終)

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 卯月は毎晩、同じ夢を見た。

 彼の紡いだ言葉を思い出したくて、何度も無意味な二度寝をした。

 ただならぬ熱量だったのだ。
 ひどく心配気な声も、卯月を見つめる眼差しも、抱き締める腕の強さも。

 けれど彼は……覚えていない。


「僕は……〝ゆずき〟じゃない」


 それは、彼の姿を見る事で呼び起こされている気がした。




 卒業証書の入った丸筒を手に、名残惜しげに語らうクラスメイト達より先に校門を抜けた卯月は、今もなお苦手な河川敷を歩いていた。
 少しばかり雲がかった初春の空を見上げ、感傷に浸るようにひんやりとした向かい風を全身で受け止める。


「……この風に乗って、記憶も飛んでっちゃえばいいのに」


 立ち止まった卯月は独りごち、空に手を翳した。

 まだまだ蕾の多い桜の木の下で、大和は大勢のクラスメイトに囲まれて別れを惜しんでいた。
 今日に限っては控えめなその笑顔を最後の思い出に、決心した卯月が回れ右した事など彼は知らない。
 〝ゆずき〟と大和がどんな思いを交わしていたかなど、もう考えたくない。
 苦しみたくない。


「……っ、でも……っ」


 しゃがみ込んだ卯月の視界が、たちまち霞んだ。

 大和を一目見て、〝会いたかった〟と心が叫んだのだ。
 きっとそれだけ、心残りがあった。
 生まれ変わっても忘れられない感情は日毎大きくなっていた。


「苦しい……っ」


 忘れた方が楽になれると思っていたのに、そうではない事に気付かされる。
 二度と会えないのがこんなにもツラいなら、いっその事言ってしまえばよかった。


「大和くん……っ」


 ──やはり伝えよう。
 今日が彼と会える最後の日なのだから、どんなに変人扱いされてもいいやと卯月は袖口で涙を拭い、背後に迫った気配を感じぬまま立ち上がる。

 鼻をすすりながら回れ右すると、そこには思いがけない人物が凛と佇んでいた。


「泣くほど伝えたいことがあるなら、我慢せずに言えよ」
「……っ!?」


 驚きのあまり絶句した卯月の目の前に居たのは、なんとあの大和だった。

 どうしてここに居るのかと問うことさえ出来ない卯月に、大和は昔馴染みのような気安さで突然こんな質問をしてきた。


「この空を見て、何を思ってた?」
「な、なにを、思ってたか……?」


 初めて交わす会話にしては、要領を得ない。
 だが聞かれた事には答えなければと、唖然としながらも回答を巡らす卯月は生真面目だ。
 真っ直ぐに見つめてくる大和の視線を感じ、わずかに頬を染め空を見上げた。


「……黒ずんだ雲が無い空は、綺麗だなって。平和だなぁ、って……」
「…………」


 そう答えた卯月に倣って空を仰いだ大和の表情は、窺えなかった。

 しばし無言の時が流れる。
 いざ対面すると、卯月は動揺を隠せなかった。

 話すまい、いや話そう……揺らぐ決意の狭間で雄大な空を見上げていると、しばらくして静寂を切ったのは大和だった。


「あぁ、平和だよな。──〝ゆずき〟」
「……っ!」


 落ち着いた声に懐かしさを感じた卯月の手のひらから、カランと丸筒が滑り落ちた。
 聞き間違いかと思い、大和に視線を移す。しかし彼はもう一度「ゆずき」と確かに言い、卯月の体をひっしと抱き締めてきた。
 そして彼は、訳が分からず固まる卯月の耳に決定的な台詞を囁く。


「置いて逝ったろ、俺のこと」
「そ、そんな……っ!」
「誰にも頼らず妹を庇って。……熱かったよな。苦しかったよな」
「や、や、大和くんっ?」
「せめて、俺がやった塩むすびで腹を満たしてから逝ったと信じて二十歳まで生きていたが、ゆずきの居ない人生は苦痛でしかなかった。……俺の初恋だったんだ、ゆずきは」
「……っ!」


 まさか、そんな事があるのか……。
 彼が転校してきた日に抱いた感想が脳裏によぎる。
 覚えているのは卯月だけだと、彼に話したところで一蹴されると、四季の訪れと共に思い悩んだ日々が記憶と重なった。

 初めて抱かれたとは思えないほど懐かしい大和の腕の中で、静かに瞳を閉じる。


「卯月はどうだか知らないけど、俺の記憶は断片的で刹那的なんだ。なぜ頼ってくれなかった、なぜ俺を置いて逝った、こんな気持ちばかりが蘇ってくる」
「…………」


 ──間違いない。疑いようもなく、大和も卯月と同じ記憶を蘇らせている。

 初恋だったゆずきがいなくなり途方に暮れた彼は、卯月を守ってやれなかった無念さを。卯月は想い人を残して逝った切なさをそれぞれ抱え、生まれ変わったのだ。


「こうして巡り会えて、やっとこの言葉が言えると思うと感慨深いな」
「……?」


 まだ信じられない思いで首を傾げた卯月へ、大和が優しく微笑みかける。
 それから、まるで当時を彷彿とさせる物言いで彼から発せられたのは、──。


「〝こんな悲惨な時代は間もなく終わる。きっとだ。だから辛抱してくれ。俺が必ず、必ず迎えに行くから〟」
「あっ……!」


 それは、卯月がこの一年闇雲に何度も探った、あのときの〝大和〟の言葉だった。





 前世の記憶がある者は少なからずこの世に存在する。
 とある精神科医の研究の結果、〝生まれ変わり〟とされる典型的なパターンとして五つの要素があると文献にも記されており、肯定も否定も出来ない超常的事例がいくつも在るという。


 これはそんな、嘘のような真のお話。










 終
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